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【天才の育て方】#05 佐藤和音 ~8カ国語を操るマルチリンガル[前編]
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KIDSNA編集部の連載企画『天才の育て方』。 #05は佐藤和音にインタビュー。幼い頃から言語に興味を持ち、現在では8カ国語を操る。今回は佐藤和音のお母さまにも同席いただき、グローバルに活躍する彼の才能が育まれてきたルーツを聞いた。
「2歳で初めて描いた絵が漢字の”頭”」
「3歳でフランス語のCDを丸暗記」
こう語るのは、日本語、英語、フランス語、スペイン語、中国語、韓国語、イタリア語、ポーランド語の8カ国語を操る佐藤和音さん(以下、敬称略)。
現在18歳になる彼は、学生生活の中でディスプラクシア(協調運動障がい)による困難を幾度となく経験しながらも、両親とともに乗り越えてきた。中学2年時には英検準一級を獲得し、高校1年生で高等学校卒業程度認定試験に合格する。
上位2%のIQ(知能指数)の人たちが参加する国際グループ「メンサ」に所属し、翻訳チームにて会報誌の翻訳を担当。
ソフトバンクグループ代表取締役会長 兼 社長である孫正義氏が「高い志と異能を持つ若手人材支援」を目的として設立した公益財団法人 孫正義育英財団の正財団生の1人だ。
常に新しい言語へ興味を持ち習得を目指す彼は、どのように言語を学び始めその能力の伸ばしていったのだろうか。
今回は彼のお母さまにも同席いただき、育った背景からそのルーツを紐解いていく。
2歳で描きだした漢字が始まり
8カ国もの言語を操る彼は、いつから、どの言語に対しどのように興味を持ったのだろうか。
初めて描いた絵は「頭」
和音「3歳頃から漢字とフランス語の辞典を持ち歩いていました。漢字辞典は母が子どもの頃に使っていたもので、本棚から勝手に出してボロボロになるまで見ていたそうです」
母「漢字以外にもハングルやローマ字も好きで、人や動物を描くよりも字を描いていました」
ーーお絵かきで描くものが文字だった、ということでしょうか?
母「一番最初に描いたお絵かきは漢字の『頭』でした。家使っていたマグネットボードでよく線を描いて遊んでいたのですが、ある日後から覗いてみると『頭』と描いていて。
驚いたと同時に、見ていると面白い子でした」
ーー初めて書いた絵が「頭」ですか…!?
和音「そのようですね(笑)3歳の頃、父がフランス出張の練習のために流していた1時間ほどのフランス語のCDを丸暗記したこともあります」
言語の音が好き
ーー言語に興味をもった、その背景にあるものは何なのでしょうか?
和音「そもそも言語の音が好きでした。日本語にも音があるし、中国語にも固有の音がある。フランス語やタイ語の音は幼い頃から好きでしたね。
家では海外の曲をよく流していて、歌で聴いていると言語の音も入ってきやすくて、口真似しているうちに覚えていったのだと思います」
ーー外国語に対して「音」という概念は珍しく感じます。
和音「音について話すと、例えば英語はアメリカ英語とイギリス英語があって、発音の仕方が異なる単語がたくさんあります。でも単語の音さえ合っていれば通じる。
逆に中国語は、単語の一部分だけでも音を間違えると通じなくなる。中国語には四声があって、これを正しく言わないと、どんなに読み書きができても通じない言語だといわれています。
こうした音の視点からいっても、英語と中国語は一番好きな言語といえます」
母「音を覚えるだけでも現地の人とコミュニケーションを取れて、自分の言葉が通じて嬉しい経験を重ねたことが、どんどん覚えていったきっかけになっていると思います」
現地の人に言葉が通じたのは3歳
ーー海外旅行によく行かれていたそうですが、それも言語に興味を持つきっかけになったのでしょうか。
和音「15カ国以上を38回ほど旅していますが、3歳の頃に両親と行った旅先で、簡単なフランス語やタイ語が現地の人に通じたことはあります。通じると単純に嬉しかったですね」
ーーその時、言葉の意味も理解したうえで話していたのですか?
和音「3歳の時点で、その言葉はコミュニケーションに使うもの、という概念は理解していたのかもしれません。本格的に英語を始めたのは小学2年からで、中学2年で英検準一級を取得しました」
母「旅行先で現地の人とコミュニケーションを取るために、意味を理解したうえで外国語を使っていると感じたのは、小学3年の頃ですね。韓国旅行中にカタコトの韓国語を話して現地の人に褒められた嬉しさから、さらに言語力が伸びていった印象はあります」
困難から新しい扉を開く
ディスプラクシアという協調運動障がいを持つ彼は、小学校時代から苦労も多かったようだが、その経験が海外へと目を向けるきっかけともなったようだ。
困難の多い学生時代
和音「ディスプラクシアで不器用なため、筆圧コントロールができず漢字ドリル1ページに2時間かかっていました。蝶結びに8時間かかったり。小学校ではいじめられたり、先生に理解してもらえず怒られることも多くありました。
漢字は満点を取れていたので練習回数を少なくしてもらえるよう母が交渉してくれたり、先生とコミュニケーションを取っていたようです」
ーー成長に合わせて、先生や友だちとの問題をどのように解決してきたのでしょうか?
和音「人の気持ちを考える練習をしていました。なぜ嫌なことが起こったのか、なぜ嫌なことを言われたのかを母と話し合い、自分か相手のどちらかだけが悪いわけではない、人間関係は半分半分ということを一緒に考えました」
自分の現在のスタンスを再確認
和音「いじめなどで自分を見失った時、母はよく自分を海外へ連れ出してくれていました。『世界はこんなに広い。いろいろな人がいる。それをしっかり見てごらん』という教えは、今でも生きていく上での指針になっています」
ーー目の前に見えているものだけがすべてではない、ということを教えられてきたのですね。
和音「海外に目を向けるとさまざまな人がいて、本当に百人百様、十人十色。海外で現地の人と触れ合ったり周りを見てみると、日本という1つの国内だけの画一的な考え方から離れることができて、自分の現在のスタンスを再確認することができます」
ーー海外へ目を向けることも、言語習得の一環になっているのでしょうね。
和音「新しい言語を学ぶことは、新しい扉を開き冒険をしている感覚になります。もちろん習得するために苦労はあります。でも一生懸命やって一通りできるようになったとき、海外の人たちに言葉が通じる嬉しい体験ができたり、人との出会いもどんどん増える。それが好きで、楽しくて続けています。
『世界は広い』という言葉がなかったら、今の自分はいないと思います」
バーバルコミュニケーションの重要さ
困難を経験し、苦悩を打ち破る考えを身につけた彼にとって、言語とはどういった存在なのだろうか。
和音「言語って、ツールでもあり人間関係の潤滑油でもあると思うんです。例えば自分が海外の人に『ニーハオ』と投げたら、向こうの人が『ニーハオ』と返してくれる。コミュニケーションができている、通じているとわかると、すごく嬉しい。それが自分が言語を学ぶうえで、一番のモチベーションになっています」
ーー人間関係の潤滑油、とは?
和音「コミュニケーションを純粋に考えると、バーバルコミュニケーションを使う必要すらないのかもしれません。翻訳機を使わなくても、指差しや態度、表情で伝えたいことが伝わる経験をしたことがある人も多いと思います。
ではなぜバーバルコミュニケーションを自分が重要視するかというと、言語が周りを幸せにするために一番役立つもの、と考えるからです。海外に行ったときは特に、現地の人の言語で話すと現地の人はより喜んでくれます」
母「ネルソン・マンデラ氏が話していた言葉で『相手が理解できる言語で話せば、それは伝わる。相手の言語で話せば、それは心に響く』という言葉があります。なので、一言でも二言でも現地の言語を使いましょう、といつも言っています」
彼の興味関心は言語だけにとどまらず、それが存在する必要性にまで及んでいるようだ。
後半では、マルチリンガルな彼の勉強方法や、母として大切にしていた育児方針について探る。
KIDSNA編集部