本を読んでも映画を観ても「ああ、面白かった」で終わる人と「面白い話」ができる人の決定的な違い
作品をネタ化する"5つの技術"
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話が面白い人は、どこから話のネタを仕入れているのか。文芸評論家の三宅香帆氏は「どんな小説やドラマなどの作品でも、『読み方』次第でいくらでも面白い話のネタになる」という――。 ※本稿は、三宅香帆『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
味わった作品を「料理」するプロセス
なにかを読んだとき、それを「ネタ」にするためには、具体的にいうと
① 〈比較〉ほかの作品と比べる
② 〈抽象〉テーマを言葉にする
③ 〈発見〉書かれていないものを見つける
といったプロセスが必要です。そしてこの①~③ができると、さらなる応用編として
④ 〈流行〉時代の共通点として語る
⑤ 〈不易〉普遍的なテーマとして語る
ことが可能になるのです。
観たもの読んだものに対して、この①~⑤のどれかの鑑賞・解釈ができるようになると、人に話すことができる状態になります。
つまり、
具体的な作品を読む・観る〈素材〉
↓
①~⑤のどれかのプロセスで鑑賞・解釈〈料理〉
↓
人に話せる「ネタ」に変化する〈盛り付け〉
というイメージでしょうか。
どう料理するのか、を私は伝えたいんですね。
正直、面白い作品は、何も知らずに観たり読んだりしても面白いんですよ! だって、おいしい野菜や果物って、料理しなくてもおいしいじゃないですか。ありのままがおいしい、素材の味を楽しんでもいい。
だけど、人に出すときは、おいしいリンゴをそのまま出すよりも……アップルパイにしたり、サラダとしてほかの食材と一緒に盛り付けて出したりしたくなりませんか?
同じです。
作品鑑賞には「解釈の過程」がある
作品も、そのまま食べてもおいしいけれど、料理してもおいしい。
人に出すときは、料理したくらいの方がいいかもしれない。
味を付ける、煮込む、焼く、混ぜる、という料理の工程があるように。作品鑑賞にも、比較、抽象、発見、のような解釈の工程があるのです。
いろんな食材と混ぜ合わせて味わってみたり(比較)、
潰したり煮込んだりしてちょっと形をなくしてから食べてみたり(抽象)、
その素材が持っていない味付けを足してみたり(発見)、
そういうなかでおいしい鑑賞が生まれるのです。
素材のままも、おいしいけれど。
料理しても、おいしい。
あなたなりの作品の文化的な鑑賞技術を、見つけてみてください。
さて、それでは物語鑑賞「5つの技術」について、もう少し詳しく見ていきます。
①〈比較〉ほかの作品と比べる
②〈抽象〉テーマを言葉にする
③〈発見〉書かれていないものを見つける
④〈流行〉時代の共通点として語る
⑤〈不易〉普遍的なテーマとして語る
ひとつひとつ、ざっくり説明していきます。
具体例は、ジブリ映画の『となりのトトロ』でいきましょう。

























