開店1カ月で4000万円…「フードコートで売上日本一」を達成したラーメン店主の「絶対妥協しない」心意気
Profile
日本一の評価を受けるようになった「飯田商店」。店主の飯田将太さんは海外に飛び、現地の食材も使いながら新しい試みに挑む。飯田さんは「ラーメンを日本の文化にしたい。世界中の人に飯田商店のラーメンを食べてもらいたい。現在の飯田商店は通過点にすぎない」という――。(第4回/全4回) ※本稿は、飯田将太『本物とは何か』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
断り続けた「ららぽーと沼津への出店」
飯田商店のラーメンを、世界中の人に、もっとたくさんの人に食べてもらいたいと思っている。その力を身につけたい。
きっかけは、沼津のららぽーとへの出店依頼だった。以前から話は来ていたが、ずっと断っていた。というか話を聞くことをしなかった。
でも、何度断っても三井不動産の人がやってくる。帰れ、とはっきりと言ったこともあった。それでも来る。次は無視もした。お客さまとして来たにもかかわらず無視をしたのに、それでもまた来るから、「わかった。話だけは聞くよ」と。
その話に強い誠意を感じた。すべてを自社製でやる。飯田商店の味そのものを提供する。この条件なら考えてもいいと言ったら、これこそが望んでいたことだと、真剣な対応を約束してくれた。実際にその通りだった。
すべて自社製をめざす
ちょうど、弟子になりたいとか、働きたいという従業員も増えてきていた。やるのは相当大変だなとは思ったが、「もっとたくさんの人に飯田商店のラーメンを食べてもらえたらうれしいし、やってみたい」と、気持ちが変わった。
フードコートに出している有名店の料理は、自分のところではつくらずに、いわば飯田商店風の「似ているもの」を探してきて提供することが大半だ。これは絶対に嫌だった。だから、飯田商店の裏に、セントラルキッチンをつくることから始めた。
製麺機のグレードアップとそのレシピづくり、スープの設備とそのレシピづくりに始まり、完全に密封できる寸胴鍋探しから冷蔵の設備、そして運送トラックの入手、現地での人の採用まで、キリがないような感じだった。
開店は、2019年10月4日。