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【天才の育て方】#19 紀平凱成~聴覚過敏の困難と向き合い感性溢れるピアニストへ[前編]
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KIDSNA STYLEの連載企画『天才の育て方』。#19は聴覚過敏を乗り越えて、ピアニストとして活躍する紀平凱成さんの母・由起子さんにインタビュー。幼少期から音楽の才能を現すも、次々と困難が降りかかる彼は、それをどのように克服し、ピアニストとして活躍するに至ったのか。その背景を紐解いていく。
「教えていないのに4歳でギターのチューニングをした」
「自分は言葉で伝えるよりも、音楽で表現していく」
このエピソードの持ち主は、ピアニストとして活躍する紀平凱成(かいる)さん(以下、凱成さん)。
現在22歳の彼は、自閉スペクトラム症があり、聴覚過敏・視覚過敏による困難に苦しみながらも、家族とともにそれを乗り越えてきた。
16歳で名門『英国トリニティ・カレッジ・ロンドン』の上級試験に史上最高得点で合格し、数人しか与えられたことのない奨励賞を受賞。その翌年、17歳で同カレッジの学士資格を取得。東京大学と日本財団が進める「異才発掘プロジェクト」のホーム・スカラー第1期生でもある。
感性溢れる演奏が注目を浴び、歌手のMISIA さん、さだまさしさんとの楽曲制作への参加や、2021年の東京パラリンピック開会式での演奏も経験。彼の演奏を聞いた人は、「優しい気持ちになる」と口をそろえて言う。
困難を乗り越えながら常に挑戦を続ける彼は、どのようにその才能を伸ばしていったのか。凱成さんの母である由起子さんに話を聞いた。
自閉症と診断。幼少期の過ごし方
ーー凱成さんの幼少期について教えてください。
母:私たち夫婦は音楽が好きで、凱成がお腹の中にいる頃からあらゆるジャンルの音楽をシャワーのように浴びせていたことも関係しているのか、赤ちゃんの頃から音楽に興味がありそうでした。
一方で成長するにつれ、話しかけてもこちらを見なかったり、言葉が出るのが遅かったりしたことが気になって、専門病院を受診したところ、自閉症と診断されました。凱成が3歳の頃でした。彼が見ている世界は、私たちが見ている世界とは違うんだろうと感じることは、その頃からたくさんありますね。
ーー未就学期はどのように過ごしていたのでしょうか?
母:通っていた幼稚園が、自然にたくさん触れさせたり、五感を刺激する方針だったこともあり、家庭でもなるべくそのように過ごしていました。畑で野菜を収穫したり、雪で遊んだり、壁一面に白い紙を貼って自由にお絵描きができるようにしていたり。音楽も生の音を聞かせたくて、さまざまなジャンルのコンサートに連れて行きました。
苦手なことやできないことが多くて、本人も見守る私たちも苦しいこともありましたが、家に閉じこもることはせず、積極的に多くのコミュニティに参加するようにしていました。
凱成は特性上、自分の世界にこもることが多かったのですが、幼稚園では置いてあったオルガンを弾くようになり、それを褒めてもらったり、求めてもらったりという経験をとおして、他者がいる外の世界へも関心を持つようになったと思います。
小学1年生で「ピアノを弾く人になりたい」
ーーいつからピアノを始めたのでしょうか?
母:生まれたときから自然と音楽に触れていましたが、先生に習い始めたのは6歳のときです。そして、小学校1年生のときに「ピアノを弾く人になりたい」と言いました。
ーー1年生から夢が決まっていたんですね。本当にピアノが大好きなんですね。
母:子どもの頃からピアノを弾いていると、好きなフレーズやリズムが出てくるたびにニコニコ笑っていたりするので、音を奏でる行為が本当に好きなんだと思います。
それだけでなく、小さいときからピアノを弾くとみんなが嬉しそうにしてくれるとか、褒めてもらえる、ということがモチベーションになっていたこともたしかです。コンサートでは、演奏しながら何度もお客さんの表情を見たり、弾き終わったあとには客席に思いきり手を振ったり。音楽をとおして人とコミュニケーションを取っている凱成ならではの行動だと思います。
コンクールに出たときにまで、審査員に向かって手を振り、いっしょに見ていた先生は「マナー点がマイナスになりそう」と心配していましたが、私も本当にヒヤヒヤしました(笑)。自閉症の子は社会性が乏しいとされているのですが、凱成は会場の一体感やお客さんの喜んでいる顔を求めているので、人が好きなんだなと度々思います。
飛び級で名門音楽大学の卒業資格を取得
ーーピアニストとしてデビューするまでは、順調な道のりだったのでしょうか?
母:いいえ。本当に困難な道のりでした。自閉症と診断を受けた方のなかには感覚過敏を伴う方も多くおられるのですが、凱成も小学校高学年の頃から視覚過敏・聴覚過敏が強く現れはじめます。ピークの状態だった中学生後半は外を歩くにもイヤーマフ(防音保護具)をつけて、親に支えられながら目をつぶって歩き、学校に行っても目を開けられないような状態が続きました。
聴覚過敏も悪化し、外の世界はもちろんのこと、家のなかでさえも食器がぶつかる音、テレビやドライヤーの音など、ありとあらゆる音に耐えられなくなっていきました。
自分が奏でたピアノの音にも反応してしまい、イヤーマフをつけてなんとか練習をするも、十分な練習はできない時期もありました。本人は本当に苦しかったと思います。
私たちは、本人のペースに任せて、そのときは「無理して弾かなくてもいいし、違う職業を目指してもいいんだよ」と伝えました。今すぐ感覚過敏を乗り越えろと言っても無理な話だし、そういう時期はあっても仕方ないと思っていました。
ーーどうやってその状態を克服したのでしょうか?
母:大きな挑戦だったのが、イギリスの「英国トリニティ・カレッジ・ロンドン」の検定試験です。感覚過敏の症状がいちばん悪化していた中学3年の頃に、「感覚過敏に苦しめられ続けるのではなくて、手が届くかもしれない目標があれば克服できるんじゃないか」と、家族で話し合って決めました。ピアニストの夢はあっても、当時は遠く、現実的ではなかったので。
国際的なピアノの検定試験はいくつかありますが、英国トリニティ・カレッジ・ロンドンの検定試験は、現地に行かなくても日本で試験を受けられること、筆記試験がなく課題曲の演奏とプログラムノート(曲目解説)の提出で評価をしてもらえることが、当時の凱成には合っていたので、挑戦することを決めました。
専門学校の先生方にお世話になり、9か月間かけて準備をし、16歳のときに上級試験を受けました。そこでは史上最高得点で合格することができ、これまで数人にしか与えられていないという奨励賞をいただきました。
そして、翌年17歳のときに、さらに上のレベルである同大学のディプロマ試験(学位を取得できる資格)に挑戦し、卒業資格と同等の学士資格を取得することができました。
感覚過敏を乗り越えてピアニストデビュー
ーーいちばん辛い状況のときに、挑戦を選択したことが、凱成さんとご両親の強さを物語っていると感じました。
母:あの頃は暗闇の中を手探りで過ごしているような状態でした。せっかく夢があって本人もがんばっているのに、このまま感覚過敏に苦しめられ続けたくはないし、親としてなにができるのか、頭の中はそのことでいっぱいでした。
ただ、本当の意味で凱成が困難を乗り越えたのは、2019年にピアニストとしてコンサートデビュー、CDデビューが決まってからだと思います。意識が大きく変わりはじめ、ピアニストとして活躍するために克服しないといけないことを、自分で訓練し始めたのです。
たとえば全国でコンサートをやるためには、乗り物に乗って移動しないといけない。そう考えた凱成は、YouTubeで電車や飛行機の音を聞くことによって、苦手な音に慣れようとしたのです。見るのが苦手なものも、アルバムを作ってそれを見る練習をしたり。自分の意思で、感覚過敏を乗り越えようと行動していました。
ーー私たちには想像もできませんが、ものすごい苦痛を伴うのでしょう。
母:そうですね。親の想像をはるかに超えるくらいの努力をしていました。ただ、大きな困難を乗り越えることができたのは、本人の揺るがない夢があったからです。家族としても、いつまで感覚過敏が続くのかわからないなかで、焦らずにそのときできることを探して、前を向いていられてよかったなと、今になって思います。
2018年のデビューコンサートは、凱成が今まで生きてきたなかで一番幸せだった日として記憶しているようです。
裏返したパズルを完成できる才能
ーー幼少期から音楽の才能を感じることはありましたか?
母:そうですね。凱成が4歳の頃、夫のギターのチューニングを教えてもいないのに触っていて、鳴らしたときに心地よい音が鳴るように調整していたことがあり、とても驚きました。
また、年長になった頃、ジョン・レノンの『イマジン』をピアノで弾き語りする機会があったのですが、キーが自分の歌声に合っていなくて、とっさに伴奏を移調したことがあったんです。移調したことにより黒鍵が多くなっていて、普通の人であれば弾きにくくなるし、そもそもアドリブで対応することは難しいので、「この子は人と違う才能があるのかもしれない」と思った出来事でした。
ーー幼少期の興味関心はやはり音楽一本だったのでしょうか?
母:音楽以外にも数字や記号にも興味を持っているようでした。計算機が好きでよく触っていたり、暗記をすることも得意で、幼少期に「ルート3」や「ルート5」など、たくさんの平方根をかなりの桁数まで記憶していましたね。誰も教えていないのに、6歳になる頃には四則演算も理解しているようでした。
ーーそんな才能もあったんですね!
母:そうですね。ただ、私たちは初めての子育てだったので比較対象がいなくて、それが特別なことだとは思っていませんでした。「子どもってすごいんだな」という感覚でした。2歳のときに、遊びのなかで、300ピースくらいある大人向けのジグゾーパズルを裏返しにして、絵が見えない状態で完成させていました。
一方で9ピースしかない正方形の絵合わせパズルは全くできなかったんです。このように凱成は得意なことと苦手なことがはっきりと分かれていたのですが、この頃は自閉症の診断がついていなかったこともあり、不思議だなと思っていました。
ピアニストの夢を叶えたいま、凱成のブームになっていることがあります。それは、仕事関係で初めてお会いする方に、生年月日を聞くことです。そして、瞬時にその方が生まれた曜日と、生まれてから今日まで何日生きてきたかを言うのです。
これも小さい頃からできたことなのですが、ピアニストになって出会いが増えたなかで、本人なりに相手に喜んでもらえるコミュニケーションとして、名刺代わりに披露したりしているようです。
ーー幼少期からさまざまな才能の片鱗を持っていた凱成さん。どのように苦手なことを克服して、好きなことを極めていったのか。後編では親子のコミュニケーションについて教えてもらいます。
<取材・撮影・執筆> KIDSNA編集部