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日本はいつから「子育てしにくい社会」になったのか【子育ての歴史/後編】
「母親だから」「父親ならば」と、私たちを無意識に縛り続ける「価値観」はいつ、どのように生まれたものなのでしょう。日本の子育ての歴史、そしてこれからの子育てについて和光大学名誉教授で教育学者の太田素子先生と、タレントでエッセイストの犬山紙子さんに対談していただきました。
ワンオペ育児に疲れたとき、「どうして私だけ仕事も家事も育児も?」と思ったことのある女性は多いのではないでしょうか。
平成から令和へ、新しい時代を迎えた今なお「母親だから」と、無言の「女性としての役割」を押し付けられてしまうのはなぜでしょう?また、「一家の大黒柱として」と、「男性としての役割」を重荷を背負わされていると感じる父親もいるでしょう。
前編では、親子が離れて暮らすことが当たり前だった江戸時代以前から、家族を持ち「家」の継承を重んじるようになった江戸時代、文明開化とともに「良妻賢母」の価値観が根付いた明治・大正時代までを振り返ってきました。
和光大学名誉教授、教育学者の太田素子先生と、タレントでコラムニストの犬山紙子さんと、昭和から平成、令和、そしてこれからの子育てを紐解いていきます。
育児を「成功」と「失敗」に分けられた、高度経済成長期の母たち
――都市化が進み、農林水産業を中心とした一次産業の割合を、二次・三次産業が超え始めるのが、1955年(平成30年)頃。高度経済成長期には、子育てはどのような変化を迎えたのでしょうか?
太田:高度経済成長期になると、家電製品が一般家庭に流通し始め、母親の家事負担が軽くなりました。
人口が徐々に都市集中型になり、都会に出てきた人々が新しい家族を作りはじめます。
多産多死の時代から、少産少死の時代へと移り変わり、一家庭あたりの子どもの人数が減ってくると同時に、核家族化が進みはじめます。
祖父母世代がいることにより緩和されていた親子関係が、核家族になったことで親の目が子どもに届きすぎてしまい、息苦しくなった親子もいたのではないでしょうか。
1970年以降、高校への進学率は80%を超え、大学への進学率も20%代から年を追うごとに上昇していきます(出典:学校基本調査 年次統計/政府統計の総合窓口(e-Stat))。大正時代まではエリートだけのものだった学歴社会、競争社会に、みんなが巻き込まれていく時代ですね。
80年代から90年代にかけて受験勉強が加熱し、追い込まれた子どもたちは決して少なくないと思います。
犬山:今のお話を聞いていて、私の母に思いを馳せました。
私は小学校受験を経験しているので、幼稚園の頃から母に勉強するように言われ続けてきたんですよね。私は子どもの立場で、「こんなに勉強しなさいと言わなくてもいいんじゃないか」と思っていましたが……時代が時代だったのだな、と。母もしんどかったのでしょうね。
太田:少し前まで「育児の成功、失敗」と言われていた時代ですからね。子どものためを思って、子どもを追いこんでしまったケースもあったでしょう。
この頃には、良妻賢母の価値観が世の中に残りつつも、現実の女性たちは子育てだけを生きがいにすることが難しくなってきた。適度に離れ、気を配ることが、子どもとの良好な関係を保つためにも、そして、「女性が自分の世界を持つ」ためにも大切になってきたのです。
1970年代から80年代にかけて、男性よりも先に女性が「人生80年」の時代に。子育てが30代でひと段落すると考えると、その後の人生と向き合ったときに「私の一生は何なのだろう」と模索する女性たちが増えてきた。
とにかく外で成果を出す。男性は「見えざる父」となった
――国連は1975年を「国際婦人年」とすることを宣言。日本では1985年に男女雇用機会均等法が成立し、徐々に女性の社会進出が始まり、「男性は外、女性は内」だった時代から、男女ともに外へ出ていくようになっていきました。家庭における父親の役割はどのようなものだったのでしょう?
太田:ある社会学者が「見えざる父親」と言ったんです。
犬山:見えざる父親!すごい表現です!
太田:父親は家庭から消えていきました。この頃は、クリスマスさえも会社で過ごすような、プライベートと仕事の線引きが曖昧だった時代です。仕事を終え、一杯飲んでから家に帰る男性も多かった。
企業社会に自分の存在意義を見出し、家庭で過ごす時間を犠牲にしていた父親も多かったのではないでしょうか。
犬山:今だと批判の声があがりそうです。当時は「見えざる父親」でも良しとされている風潮だったのですか。
太田:そうですね。一般の女性たちにとっては、まだまだ「父親を家庭に介入させず、主婦をしっかりやること」が誇りだった時代です。
――制度の上では、男女共同参画と謳っていても、女性が働くならば「主婦業をしっかりこなしたうえで」という感覚があったのですね。
太田:女の人たちが欲して手にした働く自由。しかし同時期に、子どもを社会で育てるという理念の形成まではできなかった。原因は保育園の普及が遅れたことです。
それには、政策決定の場に女性が少なすぎたことが関係します。
犬山:日本はそこで遅れたんですね。今も、閣僚がふたりだけですしね。
今なお、「女性が声をあげると面倒くさい」「権利を主張する女性はヒステリック」などのレッテルを貼られていると感じます。まずは、日本に漂う女性蔑視の思想をまずはなくさなければ。
短期大学も含めた大学への進学率(出典:男女共同参画白書(概要版) 平成30年版/内閣府)の男女差はないけれど、その先、社会に出てから女性が出産後、キャリアが分断されてしまうことは、今日まで続く問題です。
犬山:出産・育児というライフステージを迎えた局面で、やりがいを感じられない仕事に移ったり、涙を呑んでキャリアを諦めてしまう。夫と妻のどちらかが育児に専念しなくてはいけない現状になった時、経済的なことを考えると昇進しやすい夫に託した方が合理的だから、と。
男性の家庭進出が進まない構造があるからこそ、賢い女性たちがそういう選択をとらざるを得ないのではないでしょうか。
わきまえる妻、プレッシャーを感じる夫からの解放へ
――犬山さんのご夫婦は、主に旦那さんが家事を担当されているとうかがいました。夫婦のあり方を公表することによって、反響はありましたか?
犬山:ある程度の覚悟はしていましたが、私に対する批判は意外にも全くありませんでした。
ただ、女性たちの「うらやましいです」という声は悲しかったです。私たちは、お互いの仕事量を考えながら、対等に子育てや家事の割合を話し合った結果、こういう形になったのであって、お手本になるような夫婦ではないのです。だけど同時に、キャリアを諦めなければいけなかった女性たちの声は心に響きました。
犬山:それから、私はよく「いい旦那さんだね」と言われますが、夫は自分の分は自分で稼いでいるにも関わらず「奥さんに食べさせてもらっている」などと言われ、嫌な思いをしていると思います。
女性であれば専業主婦と呼んでもらえるのに、性別が逆転したら「ヒモ」と呼ばれてしまうんです。
太田:まだ時代が追いついていないのですね。私の世代では、あなたたちのように公表する勇気はなかなか持てなかった……だから、世間体としては夫を立てていたけれど、家の中では対等な関係を築いていた夫婦もいたと思います。
私の場合は「無能だから、家事も仕事も子育ても全部をうまくはできません」というフリをしてやり過ごしていましたね。フリなのか本質なのか、自分でもよく分かりませんけれど。そうしたら、夫は「それならば仕方ない」と、家事もやってしまう(笑)。
犬山:自分が無能なフリをしてやっと対等になれる……その処世術は悲しいです。
犬山:あとは、妻の方が夫より稼いでいるのに、収入を少なめに伝えるという話もよく聞きます。「家庭内の収入が増えて嬉しい!」という感覚ではなく、男性側はプライドが傷ついてしまうのでしょうか。
稼がなければいけない、泣いてはいけない、強くなければいけない。男性もつらいですよね。
太田:もっと「男らしさ」から自由になれるといいわよね。
――犬山さんの世代の男性たちの、家事や育児への進出についてはいかがですか?
犬山:私の主観ですが、二極化している印象です。
私の世代は、「ジェンダーロールを持たないようにする人」と「ジェンダーロールをガチガチに内面化した人」が分断されているように思います。男女平等に向かうかと思いきや、世代間でも一筋縄にはいっていないんですよね。
モデルケースとなる自分の親世代が「専業主婦と見えざる父親」なので、自分の親しか見ていないと視野の狭い価値観が育まれてしまうのかもしれません。
太田:1970年代以降に生まれた「核家族」というシステムが、共働き世帯が多くなってきた今、うまく機能しなくなってきたのかもしれませんね。
私は今後、家族はもっと契約的になっていくのではないかと予想します。要するに、「父」「母」「子」といった役割からそれぞれが解放されて、場合によっては血縁関係のない同じ境遇の人が協力してコミュニティを形成して生きていくのではないか、と。
子どもは、いろいろな人たちに囲まれているほうがよい場合もあるでしょうし、今後の家族のあり方も変わっていくかもしれませんね。
「当たり前」は変わっていく。歴史に学ぶこれからの子育て
――新型コロナウイルスの流行は、男女問わず家の外で働いていた共働き世帯が、リモートワークで「家で過ごす」というパラダイムシフトを迎えました。コロナ禍は、夫婦や家族関係にどのような影響を及ぼしたと考えますか?
犬山:主に経済的なことに起因する格差が広がったという印象が強いです。お互いの家事負担などが目に見え、家族の絆が深まったという富める側の声がある一方で、子どもへの虐待やDV、どちらも増えていて楽観視できる状況ではありません。
保護者の収入が減ったりして家庭内の空気が悪くなると、その鬱憤はどうしても弱い者、つまり子どもに向かってしまいます。
格差を是正するために、公的なサービスにもっと資金を注ぎ、大変な状況にいる人たちがきちんと助けを求められるような社会にしていかなければ、格差がますます開き、厳しい社会になっていくのだろうと思います。
犬山:そのためにも、やはり企業のトップに女性を登用したり、女性議員の数を増やしていくことが大切なのだと思います。クォータ制(男女共同参画を実現するため、一定の比率で人数を割り当てる制度)などを導入し、無理やりにでも女性を増やすことが求められるのでは。
キャリアを諦めざるを得なかった女性たちがきちんと社会活動に参加し続けられるような環境を整え、経済的にも社会的にも安全に子育てができる状況を作っていくことが大事だと思います。
太田:日本の住宅は狭いので、そこだけで子育てをするのは限界があります。深刻な状況に陥っている子どもたちや家庭の受け皿がなければ、巣ごもりして自分や家族の時間を大事にする余裕は生まれないでしょうね。
モデルケースのひとつが、福祉国家と呼ばれるスウェーデン。1932年、社会民主労働党が政権をとり、一貫して国民の福利を最優先課題として取り組んできました。
太田:収入のおよそ半分が税金であるにも関わらず、国民はどこか安定感があるんですよね。「胎内から墓場まで」と謳われているとおり、子どもが産まれたら1歳から必ず保育園に入れますし、病気になれば公的に保証され、ひとりで孤独に死んでいく心配もありません。
さらに、スウェーデンは男性の育休が普及していて、女性と男性が半分ずつ取得するとインセンティブがあり、15万円ほどの手当が支給されます。
男性がバギーを押して歩く姿や、「フォーシュコーラ」と呼ばれる就学前子育て施設に訪れる男性の姿を街中でみかけることができます。
――日本でも来年から「男性育休」の取得を促進する法律が施行されますね。
犬山:喜ばしいことです。育休を取りたくても、自分のキャリアに傷がつくのではないかと怖れて躊躇していた男性も多いでしょうから。
太田:育休を取ったら、男性にも育児という新しい体験が人間としても貴重な体験になったと積極的思えるようになってほしいわね。
犬山:妊娠期間中から、母親学級や父親学級のような場で、第三者が介入して男性に育児をすることの重要性を説くことが大事だと思います。
フィンランドには、相談の場という意味を持つ「ネウボラ」という妊娠から出産、子育てを包括的に支援する施設があるそうなのですが、渋谷区にこのネウボラが新設されて。渋谷だけでなく全国への設置も進んでいるところです。
はじめは女性が多いかもしれませんが、男性を呼び込む仕組みをつくり、どんどん広がるといいと思います。
――最後に、私たちが歴史から学べることは何だと思いますか?
太田:長い歴史を振り返ると、家族や親子、男女の関係は大きく変化してきました。価値観は時代によって「変わってゆくもの」だと、だから変えてゆくことも出来るものだと希望を持って欲しいですね。私も教育史の研究者として、若い世代にそのための材料を提供し続けたいと思っています。
犬山:「女性だから」「母親だから」と与えられた役割に対する今の価値観も歴史のある瞬間に偶発的に生まれ、やがて変化していくものだということに勇気を持てます。
そして、今もいろいろ問題はあるけれど、昔と比べると今の方が断然よい方向に向かっていると知ることができたのも大きな気付きです。
編集後記
日々の子育ての中で目にする情報や、誰かから掛けられた言葉、「当たり前だ」という考え方に知らず知らずのうちに縛られてきたことに気づかされた、長い長い「歴史の旅」でした。
太田先生の解説をうかがいながら、犬山さんのお考えを聞く……過去と現在を行ったり来たりしながら、「今」と地続きの未来を考える対談となりました。
昔の人々が積み重ねてきた歴史を学ぶことで、「今」を生きる私たちが、次の世代を生きる子どもたちのために、よりよい社会を築いていければと感じました。真剣さと笑いを交えながら、400年を超える長い歴史をぎゅっと凝縮した、濃密な取材でした。
<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部
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