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【中野智宏/後編】創作で社会に貢献する。言語学を学ぶ東大生の思い
ファンタジーの世界に魅了され、小学5年生から「人工世界」を創作している東大生の中野智宏さん。大学では言語学を専攻し、テレビ朝日『タモリ倶楽部』にも出演。幼いころの「好き」という気持ちをどのように開花させ、探究をし続けたのか話を聞いた。
架空の地理、言語、歴史や文化を持つ人工世界「フィラクスナーレ」の創作に励む、東京大学大学院在学中の中野智宏さん。
前編では創作活動を支える、幼少期からの音楽や美術の経験、そして「好きなことを続ける」ための家族のサポートについて聞いた。
後編では、「創作」を仕事にすることや、社会の中で創作がどのような意味を持つのかについて話を聞いていく。
大学受験の勉強も創作に生きている
架空の地理に、架空の歴史背景、言語、文化などが綿密に構築された「人工世界」を小学5年生のころから創作しつづけている中野智宏さん。
高校卒業後は東京大学で歴史言語学を学んでいるが、創作で網羅すべき学問は多岐に渡ると感じているそうだ。
――世界地図を作り、そこに住む民族を考え、彼らが使う言語まで創作するとなると、地理や歴史、宗教などさまざまな知識が複合的に必要になってきますよね。
そうなんです。
大学を受験するころには、割と今の「人工世界」のイメージが頭の中でちゃんとできていて、現実とは違う歴史、違う言語を持っている設定が固まってきていたので、そうなると逆に、これまで学校で学んでいたさまざまな学問が創作の世界にすべて生きてくると気づきました。
たとえば世界史でインドの古代史をやるときに学んだことがすぐに歴史創作に生かせる、社会や地理の知識も使える、ということに気づけてくる。
創作と勉強は、背反する2つの作業という感覚はなく、片方をやればもう片方が生きてくる感じですね。両方がお互いの推進力になっています。
一方で、ファンタジーって、「なんでもあり」っちゃ「なんでもあり」なんですよね。
人間が想像できるものはすべて「OK」になる。そこが素晴らしいところでもあり、作る側としては制約になることもあります。あまりにも何も制限がなさすぎる中で、自分でどういう制限をするかというところも難しくなってきます。
たとえば、この世界には「人間の頭の構造上、生まれない言語」などもあるのですが、そういった「現実世界のルール」を、人工世界に持ち込むのか、というのは議論になるところです。
――人間の頭の構造上生まれない言語、ですか?
「代名詞を持たない言語は存在しない」といった、人類に普遍的な言語の法則のようなものです。思考回路だけでなく、風土や気候なども言語に影響しているという考え方もあります。
また、人間の口腔機能の面でも、発音できない音というのも存在します。これは言語に限ったことではなく、地理なども同様です。
――架空の世界の中で、どこまでそういった現実の法則を作品に反映するかが課題なんですね。
はい。大学受験の時に、地理と世界史を選択科目にしていたので、そこで学んだ知識がかなり創作に生きてきていると思いますが、地理に関してはそろそろ論文も読んでインプットを深めていかなくてはと思っています。
日常の全てが創作につながっている
――東京大学の学部在学中には、人工世界を舞台とした映画『世界のあいだ』の監督と脚本を務めました。創作のアウトプットを映画で、と考えた理由は?
ビジュアルの持つパワーの強さですね。それから、もともとファンタジーの世界が好きになったのも、『ハリー・ポッター』など幼少期の映画体験がきっかけなのでその影響もあると思います。
そういえばこの間、小学校の卒業文集を読んだら「未来の自分へ、作品は映画化していますか?」と書いてあったので、夢は叶ったことになりますね(笑)。
――音楽、美術、小説、そして映像制作。さまざまな分野で才能を開花させていますが、一番好きなのは何をしているときですか?
難しいですね……。どれも併行して作業することが多くて。
小説を書いている途中で挿絵を書いたりと、かわりばんこにいろんなことをやっていますね。アウトプットの形はそれぞれだけど、自分の中では全てひとつの世界として、つながっています。
――そうすると、息抜きはどこでしているんですか?
実はそれ、ちょっと困ってるんです。何をするにしても創作がベースにあって、研究ひとつとっても、創作と全く切り離せるということがないんです。
たとえば今、大学院で専門にしようと考えているのがインド=ヨーロッパ語族のケルト語派の分野なのですが、歴史変化をみると、「これ、フィラクスナーレの中のあの部族に使えるな」とか想像が膨らんでいってしまいます。
なので、「無になること」が課題ですかね。運動をした方がいいかなぁと思ったりしています。
自分にしかできない「創作」で社会に貢献したい
――中野さんは、SNSで「創作で社会貢献をする」と発言されていますが、具体的にうかがえますでしょうか?
現代社会において、「自分にしかできないことは何だろう」と考えたら、それが人工世界の創作だった。それが大前提なのですが、それとは別に、問題意識を持っていることがあります。
それは、「ファンタジーの地位」というものが、現代社会でどのように見られているかを考えたときに、あまり大切にされていない現状があるのではないかということです。
たとえば、現代の私たちが「ファンタジー」の世界に属するものとしてイメージする「妖精」は、もともと古代では「宗教」や「神話」から生まれた存在でした。
神話というものは、数百年・数千年の時を経て磨き続けられてきた物語たちです。別の言い方をすれば、それだけ長い「時間の審査」と言えるようなものを通過して、現代の人々に届けられているものです。
そうした神話をはじめとする文化が、時代の移り変わりの中で文学になったり、派生して音楽になったりするわけです。そうやって「芸術」として、社会の中で比較的明確な役割を持っていたのだと思います。
しかし一方で、現代におけるファンタジーは、たとえばいわゆる「異世界もの」として流行したマンガやアニメ、ゲーム作品の中で、ある程度固められた「ファンタジーといえばこれ」といったフレームワークを何度も転用し、神話・伝説からキャラクターやアイテムだけをとってきて使っている例も多くあるのです。
芸術というよりは、商品としての側面が強いように感じています。
僕が人工世界をつくる上で大きな影響を受けたのは、『指輪物語』の作者、J・R・R・トールキンです。
彼の作品をフルに楽しむためには、言語、歴史、登場人物の血筋まで、ものすごく膨大な設定、情報を頭に入れながら読まなければいけないんですね。現代の読者にはメモ無しに理解しながら読むことは難しいものもあるんです。
そういった細かな世界観が設定された作品は、この時代にはあまりは流行らなくなってきています。もちろん、「この文化を復活させるべきだ」ということだけを言いたいのではなく、芸術作品としてのファンタジーが社会の中でできることもあるのだと思うのです。
ファンタジーはただ単に現実逃避をするためだけにあるんじゃないんだと思います。むしろ、ファンタジーを通じて現実の側面を逆に見えやすくする、受け手にとって、「現実の鏡」になると僕は考えています。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』『モモ』や、アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』なども、人間の心理 に着目していたり、現代社会のあり方を批判するようなものだったりします。
芸術としてのファンタジーが好きだからこそ、これからも人工世界を創り続けたい。そしてそれを通じて、ゆくゆくは社会に何らかの形で貢献できたらと思っています。
これからも創作活動を続けていくために
――今後チャレンジしたいことはありますか?
ひとつは現在も続けている小説の執筆と、その作品の映画化です。
それ以外の活動としては、人工世界「フィラクスナーレ」をオープンワールド系のゲームで楽しめたらと考えたりもしています。Google Mapsのようなサービスを作り、あたかも本当の地図のように参照できたりしたらおもしろいだろうと思います。
そのためには、できる限り早く地理の設定を完成させなくてはいけないと思っています。
――この春、大学院に進学されましたが、将来のキャリアイメージはありますか?
「キャリアイメージ」というと通常、就職などを指すのだと思いますが、僕にとっては創作と学問は表裏一体です。言語学は純粋におもしろいので、研究は続けたいし、それを生かした創作活動も続けていくという形です。
学部卒業時に就職を全く考えなかったわけではないのですが、就活をしていた友人や、就職した先輩を見ていると、就職をすることが必ずしもやりたいことをやることにはつながらないことも多く、むしろ就活・仕事以外の活動を制限されることもあって、どこまでも自由にとはいかないのだなと感じました。
また、学部4年間ではとてもじゃないけれど人工世界を作るのに必要な知識が備わったとは言えなくて、研究を続けることは必要だとも考え、大学院に進みました。研究で新しいことが明らかになっていくということは、創作で使えるアセットも増えていくということでもあるので楽しみです。
これからも、研究者かつ創作者として新しいものを生み出す道を進んでいこうと思っています。
<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部