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【防犯/前編】子どもが他人の善意と悪意を見分けるために知るべきこと
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世界的に安全な国として位置づけられている日本の防犯対策とは?小学生をはじめとする子どもの誘拐、性犯罪被害のニュースは後を絶たない。この連載では、親として認識すべき安全対策、子どもへの安全教育について紹介する。第4回は、日本こどもの安全教育総合研究所理事長の宮田美恵子氏に話を聞いた。
「知らない人に話しかけられてもついていかないで」
犯罪に巻き込まれないように、子どもにこう教えている保護者は多いのではないだろうか。
しかし、警察庁の「令和元年の刑法犯に関する統計資料」の関係別暴行検挙件数を見ると、半数以上が「面識あり」の人による犯行だ。
「知らない人」だけが犯人であるとは限らないからといって、「外に出たら誰とも関わってはいけない」と教えてもよいのか。
「それならば、子どもにその判断をするための”ものさし”を持ってもらうしかありません。そのひとつが相手との間にできる空間です。自分が、あるいは相手が心地よく感じられる空間を知ること。安全教育は空間教育ともいえます」こう語るのは、日本こどもの安全教育総合研究所理事長の宮田美恵子さん(以下、宮田さん)。
まずは、宮田さんが提唱する空間教育とはどのようなものなのか聞いた。
子どもに教えるべき「危険のサイン」は関係性と距離
――空間を考えた防犯とは、どういった考え方なのでしょうか。
昨年から「ソーシャルディスタンス」という言葉がよく使われていますが、社会的距離という意味においては、1966年にアメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールが「パーソナルスペース」として提唱しているものと同じ意味合いです。
パーソナルスペースは、誰にでもあるひとりの人間を取り巻く空間。人にはその関係性において、ふさわしい距離があります。
たとえば今、私はインタビューを受けていますが、机を隔てた今くらいの距離が心地いい。初めてお会いしているので、これ以上近いとお互いにちょっとやりづらいと感じるかもしれません。
関係性や状況に応じて、私たち大人は上手に人との距離を取っているんですよね。正確に測らなくても、自分が心地よく相手も不快に思わない距離が身についています。
本来自分しかいないはずのパーソナルスペースに、「どうぞ」と招いてもいない相手がすごく近づいてきたら……どうですか?想像するとゾッとしますよね。
親子でも兄妹でも友だちでもないのに、必要以上に近づいてきたら「あれ?おかしい」のサインです。いつもは距離を保ってくれる相手なのに、今日はいつもより近づいてくるのはおかしい。
お互いが心地よいと思える距離を守ってくれない相手には気をつけなければいけません。つまり、相手との距離感はひとつの目安になるのです。
――「パーソナルスペース」の感覚を、どのように子どもに教えるとよいのでしょうか。
空間教育はコミュニケーションの基本。その場の状況や関係性にふさわしい距離によって生み出される空間を守ることは、人間同士の基本的なマナーです。
これを最も育めるのは家庭であり、保護者の方。ぜひお子さんと「ぴったり距離」「ゆったり距離」「きっちり距離」を確認してみてください。
ぴったり距離は、保護者と子どもが手をつないでピッタリくっついて歩くときのふたりの距離。子どもにとって親密なおうちの人との距離のことです。
続いてゆったり距離は、保護者と子どものぴったり距離の腕を少しゆるめたくらいの距離。相手に手が届くくらいの距離で、友だちや親しい人との距離です。
初対面の人や目上の人などと話すときの距離は、きっちり距離。保護者と子どものゆったり距離の腕をピーンと伸ばしたくらいの距離です。相手に手が届かない距離であることを覚えておきましょう。
たとえば、初対面の人やそれほど親しくない人とゆったり距離まで近づくことはないでしょう。お互いに距離をとって話すものですよね。
それにも関わらず、自分のゆったり距離まで近づいてきて話しかけてくる人。この距離だと手が届くため危険でもあります。それは「ちょっとおかしいな」という違和感や圧迫感を感じるでしょう。
「きっちり距離にいるはずの人がむやみに近づいてきたら、それはおかしい。依頼を断ったり、まわりの大人に助けを求めていいんだよ」と教えてあげてください。大好きなお父さんやお母さんとのぴったり距離が、子どもの”ものさし”になるのです。
もうひとつの伝え方は「自分のふうせん」。
この自分の風船と相手の風船が重なり合うことでトラブルが起きやすくなります。このような相手との距離感は学校では教わりませんが、説明すれば小さな子どもでもわかります。
相手との距離は、自分の安全を保つことであると同時に相手への配慮でもあり、とても大事なことです。
しかし、知らない人とは関わらせないという方法では、いざというとき人に助けを求めるスキルはつきにくい。何かあった時に、見ず知らずの通りすがりの人に助けを求めることも、コミュニケーションなのです。
ラインを越えてきた人は不審者だと排除するよう教えるのではなく、まずはお父さんやお母さん、大事な人とのぴったり距離で得る安心感、心地よさを知ってもらう。そして成長して人間関係が広がるにつれ、様々な人や状況にふさわしい距離感を知ってもらえればと思います。
犯罪被害を防止するためとはいえ、子どもたちには善良な一般の人との関わりも視野に入れたコミュニケーションを学ぶところから始めてほしい。だからこそ、私は空間教育を提唱しています。
未就学児のうちは「自立」よりも「安全」
――未就学児、特に乳児くらいの年齢だと、自分から相手に近づいて行ってしまうこともあります。
乳幼児の場合は、いろいろな経験がないため相手がニコニコしながら近寄ってきたり、「おいで」と言われたりすれば、疑うこともせず「なんだろう?」と必要以上に距離を詰めてしまいます。
子どもの場合は興味を持ったら「これ」しか見えません。交通安全教育にも通じることですが、ボールが転がれば車が来るかもしれないという危険性なんて考えられない。何に警戒すべきかということをまだ経験していませんから。
だからこそ未就学児の場合は、目と手を離さないでほしいのです。
親子で公園に行って、保護者が他の保護者とおしゃべりに夢中になっているということもあるかもしれません。公園という同じ空間にいるからいっしょにいるつもりになっているんですね。
たとえ同じエリアにいても目と手を離さないでいただきたいので、保護者だけ、子どもだけでトイレに行ったりするのもなしにしてほしいと思います。
スーパーなども同様ですが、不特定多数の人が出入りする場所は、どんな人でも入って来られるという意味で危険でもあります。警備員さんがいたとしても、ひとりの子どもだけを見ているわけではありませんし、監視カメラも100%犯罪抑止になるわけではありません。
まだ幼い子どもを危険から守るのは、お母さんやお父さんの目と手です。一見、子どもに危険が及んでいないからといって、目と手を離してはいけません。
日本では子ども用のリード(迷子ひも)を使うことに関して賛否があるようですが、子どもの安全策はひとつよりふたつあった方がよいでしょう。保護者が終始目を離さないとは限りませんから、保護者の目と手に加わる安全策にはなるかもしれませんね。
――いつからひとりで出歩かせてよいものか悩みます。子どもの安全を気にしすぎるあまり、過保護になってしまわないかと。
子どもの安全と過保護を同じように比べるのはちょっと違います。
「ひとりでお使いに行かせたい」と考える保護者の方もいるかもしれませんが、海外だったら虐待に当たるケースも。そんなところで子どもの自立を図る必要はありません。日本でも幼児は保護者と過ごすことが大前提です。
小学校にあがり日々の積み重ねの中で、子どもはいろいろなことを経験して自立していきますから。
自治体や季節にもよりますが、午後5時頃になるとチャイムやサイレンが流れますよね。その時間になったら、少なくとも小学生以下の子どもはおうちにいてほしい時間です。
知り合いの犯行が多いからこそ「人」でなく「行為」
――小学生になると行動範囲が広がりますよね。子どもが注意すべき危険はどこに潜んでいるのでしょう?
小学生に対する犯罪被害の発生場所の多くは道路上、次いで公園となっています。
2018年、新潟県で小学2年生の女の子が殺害された痛ましい事件が起こってしまいました。被害者が連れ去られたのは下校途中。
帰り道は普段から交通量が少なかったわけではなく、そこには通行人やバスを待っている人がいたり、人の流れのある道でした。さらに友だちといっしょに帰宅していましたが、友だちと別れひとりで歩いている途中に事件は起こってしまったのです。
複数人で帰るということは、たとえ子ども同士であっても互いの目が互いを守っています。
けれど通行人の目も、友だちの目も、自宅のドアまで届きませんよね。どこかの地点からは友だちと別れ、そこからはひとりで家までの道のりを歩きます。
友だちと別れてひとりになる道を「ひとり区間」といいます。場合によっては、家までほんの数分、数メートル、家がすぐそこに見えている……このひとり区間を狙う犯罪企画者が少なくありません。
「ターゲットはここで友だちと別れて、だいたいこの時間にこの道をひとりで通る。このポイントで声をかけて車に乗せ、大通りに出れば匿名化できる」子どもを狙う犯行は計画的に行われます。
ほとんどの誘拐事件に共通することですが、犯人は行き当たりばったりに犯行を思い立つとは限りません。
そもそも事件を起こす人は、「そういう目」で見ていて、ターゲットに声をかけるチャンスはないかと目を光らせています。
犯罪が成立する条件は3つの条件が揃ったとき。
この3つはどんな場所であっても、常に揃うわけではありませんよね。狙う人間、子ども、監視者はそれぞれ移動していますから。
反対に条件が揃ってしまえば、この道だろうとあの公園だろうと、どんな場所であっても事件は起こってしまいます。たとえ人通りの多い道でも、子どもを狙う人は人の流れが途切れる一瞬の隙を狙って、子どもに声をかけるのです。
つまり場所は問わずどのような場所であれ、やろうと思えば犯罪は成立してしまいます。
――ひとり区間が危険だということはわかりましたが、子どもの通学路を変えることは難しいですよね。
大人であれば、「今日は遅くなったからこっちの道から帰ろう」と臨機応変に対応することができますが、そもそも通学路は決められているもの。
悪いことをしようとしている人からしたら、学校は対象となる子どもがいっぱいいる場所。登下校の道は決まっていて大体通る時間も同じなので、狙いを定められたら自宅までの経路を確認されてしまいます。
2017年に起こった千葉小3女児殺害事件の犯人は、元保護者会会長でした。「子どもの安全を守るこちら側にいると思っていた人の犯行だったとは……」と、世間的にも印象に残る事件だったのではないでしょうか。
けれど、これまでの事件を紐解いていくと、子どもと犯人が知り合いだったのはほぼ半数。統計的に見て、知らない人の犯行とあまり差がありません。
これまで枕詞のように子どもたちは「知らない人について行かない」と教えられてきたかもしれませんが、「知らない人」はあまり決め手になりませんし、むしろ強調しないほうがいい。
黒い服を着て、サングラスやマスクをつけた人が子どもの背後に迫る、というようなポスターを見たことがあるかもしれません。
無意識かもしれませんが、私たちは「知らない人」または「不審者」がどのような人なのか形をつくりたがってしまっている。けれど場合によっては人を差別し、排除や孤立化を招きかねません。
不審者ってどのような特徴を持つ人なのかうまく説明できないですよね。文字通り言えば、よくわからない人ということになりますが、子どもに「不審者に気をつけなさい」と教えがちです。
大人が説明できない「よくわからない人」が誰で、どのように気をつければいいのか、子どもにはますますわからない。
大人は「知らない人に気をつけて」と言ったり「みんなに挨拶をしなさい」とも言いますよね。そうすると齟齬が出て、子どもは混乱するのです。
――では、何を基準にすればよいのですか?
「どんな人か」で判断するのではなく、「自分に向けられる行為」で判断します。
凝視、不自然な声かけ、触る、待ち伏せる、追いかける、つきまとうなど、「自分のふうせん」に子ども自身が不快感を抱く行為を向けてきたのなら、よく知っている人だろうと知らない人だろうと断っていいのです。
相手が「自分のふうせん」(パーソナルスペース)に踏み込んでこなかったとしても、何か変だと違和感を覚えたのなら逃げていい。
子ども自身が「なんだかわからないけれど、イヤな感じがする」と思ったら、それは間違いではありませんから。
その人が善意を持っているのか悪意を持っているのかは見た目ではわかりませんよね。ましてや悪意のある人は、いい人を装って子どもに気付かれないように誘うのですから、胸中の悪意に気付くのは困難です。
けれど子どもが何か変だと違和感を抱いたら、間違っていても構わないから相手に応じない。これが重要です。
――後編では、他人の善意と悪意の見分け方がつかない場合の対処法について聞いていきます。
<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部
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