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【岸博幸】デジタル社会で必要な能力はアナログの中で育つ
子どもをとりまく環境が急激に変化し、時代が求める人材像が大きく変わろうとしている現代。この連載では、多様化していく未来に向けて、これまで学校教育では深く取り扱われなかったジャンルに焦点を当て多方面から深掘りしていく。今回は、元経済産業省官僚で、慶応義塾大学大学院教授の岸博幸氏に話を聞いた。
日本経済の見通しは厳しい。給料が上がらず社会保障の水準も下がる残酷な未来においては、親は75歳までのキャリアプランを持ち、子どもは問題発見能力や問題解決能力などの本質的な能力を身につける必要がある。
前編でそう話してくれたのは、経済産業省の官僚としてさまざまな政策の立案・実行に携わり、現在は慶応義塾大学大学院教授、エイベックスグループ顧問としても活躍する岸博幸氏(以下、岸氏)。
「親世代が働く上で求められるものも、子どもの能力の中で一番大事なポイントも、共通するのは“クリエイティビティ”。しかしインターネットが日常生活に大きく浸食している現代においては、集中力が続かずクリエイティブな発想を生み出す妨げになっている」と岸氏は続ける。
ここからはインターネットがクリエイティビティに及ぼす影響と、その影響を抑え子どもの能力を伸ばすための具体的な方法について、深掘りしていく。
デジタルの利便性が創造性と集中力を奪う
――問題発見能力、クリエイティブな問題解決能力、そしてコミュニケーション能力の3つを身につける必要があると伺いましたが、特に2つ目の能力の“クリエイティブ”が大切だと。
「経済の生産性を高めるには、既存のものを組み合わせて新しい付加価値を創るイノベーションが必要という話をしましたが、そのイノベーションの源泉になるのがクリエイティビティなんです。
今までにない斬新な視点から、新しい発想でものを考えて生み出す。これができる人が今は意外と少ないんです。なぜかと言うと、みんなインターネットで調べて答えを探すことに慣れていて、自分で考えるということをしないから。
デジタル化により何かにつけて『ネットを使いこなすのが大事』『黒板よりも電子黒板だ』『生徒全員にパソコン、タブレットを配布すべきだ』と言われていて、デジタルを使いこなせるのが当たり前という風潮になっていますが、僕はこれが一番危ないと思っています」
――デジタルに埋もれた生活の中では、クリエイティブな発想は生まれないと?
「クリエイティブなアイディアはどういう風に生まれてくるのか。脳科学の観点から分析すると結論は非常に簡単で、自分の脳を振り絞ってとことん考えないとダメなんです。
脳の記憶をつかさどる部位には短期記憶と長期記憶の2つがあって、独創的なアイディアを生み出すという作業は脳の長期記憶の部分で行っているのだと、研究によってわかっています。
長期記憶の部位では、過去の人生でいろいろな本を読んだり勉強したりして蓄積した記憶の中に、さらに新しい記憶が入って混じる過程で、無意識のうちに自分なりに物事の抽象化をしたり、新しい組み合わせを考えたりしています。
一方で短期記憶の部位というのは、記憶が入ってきてもすぐ忘れる。街を歩いていて看板などの広告をたくさん見てもパッと忘れるでしょう?スマホで次々に画面を変えて情報を見ているときも同じ。クリエイティブな発想は短期記憶ばかり使っている生活の中では絶対にできません」
――インターネットやスマホに依存していると、長期記憶が使われないままになってしまうんですね。
「クリエイティブに物事を考えるときに、インターネットからヒントやファクトを入手するのはもちろん大事ですが、得た情報を1回自分の脳で考えてフィルタリングしたものしか、長期記憶には残らないんです。自分の頭を振り絞って、死ぬほど考えたときに初めていい発想は生まれます」
マルチタスクは23分のロスを生む
「もうひとつ、パソコンやスマホの使いすぎにより問題になるのが、集中力が続かないということ。集中力がないと、物事について深く考えることはできないですよね。
しかしスマホというのは、異常に魅力的に作られている。だからみんな道を歩いててもスマホを触っているし、電車の待ち時間でも乗ってからでも、SNSやWEBサイト、動画などを見ていますよね。
スマホやネットというのは格好の刺激物ですから、人間の賢い脳は環境に順応してしまって、常に新しい刺激を求めたくなる。そしてパッパッと画面を変えるくせがついたり、常にスマホを気にするようになってしまう。
アメリカの大学で行われたおもしろい実験があるんですけれど。大学生に本を読んでもらって、その隣に電源を切った自分のスマホを置いておくんですよ。その結果どうなったかと言うと、電源を切っているから動くはずはないのに、スマホが気になっちゃって30分も集中できない。
スマホを棚に入れた状態にして横に置くと多少この集中時間が長く続く。さらに一番長く続くのは、別の部屋に置いてしまう状態。つまり何が言いたいかと言うと、スマホが常に身近にある環境では集中できるはずがないということなんです」
――ゲームなどの遊びも友だちとのつながりも全てスマホが中心になっている子どもにとっては、電源を切るというだけでもかなりハードルが高そうです。大人にとっても難しそうですね。
「大人に関して言うと、さらに恐ろしい別の研究結果があります。それは、仕事でマルチタスクをしている人も、かなり集中力が下がっているということ。
文章やプレゼン資料を作っている最中にメール着信の通知が出て、一旦手をとめて返信をしてから元の作業に戻るというのは、よくあるじゃないですか。みんなどちらの作業にも集中しているつもりですよね。
しかし途中で作業をやめ、別の作業に移ってからまた戻ると、集中力の回復には23分もかかることが、アメリカの心理学の研究によって証明されています。つまりすごく時間を無駄にしているんです」
――無意識のうちに当たり前のように行っているマルチタスクが、集中力や生産性を下げていると。
「子どもの頃からスマホやネットを一生懸命使い続けた場合も、同時にいろんな作業をする能力や情報収集力は高まる。これはこれで大事なんですよ。でもそればかりになってしまうと、クリエイティブなアイディアは考えられない。
意外と知られていませんが、ネット企業の巣窟と呼ばれるアメリカのシリコンバレーで成功した経験を持つ親たちに『自分の子どもを通わせたい』と人気の学校があります。そこはデジタル機器の持ち込み禁止、遊び道具はつみきや砂場などのアナログなものしかないという、デジタルが一切ない学校。
これは裏を返せば、ソーシャルメディアなどインターネット上の便利なものを創り出した人ほど、そのリスクをわかっているということなんです。残念ながら日本においては、子どもの頃からデジタルを使いこなすのは当たり前という風潮になりつつありますが。
使いこなせることは絶対大事です。でもそれは物事の半分くらいですよ。スマホやネットを使いこなせるだけでは、クリエイティブなアイディアは絶対に生まれません。
自分の頭で集中して考え、自分の口でコミュニケーションをとる能力を優先して高めておかないと、のちのち困ることになります」
アナログ環境の中で集中力を回復
――子どものクリエイティビティを伸ばすためには、やはりある程度はスマホなどのデジタル機器の使用時間を制限した方がよいのでしょうか?
「絶対やった方がいいですね。息子は小学3年生ですが、その年齢になるとやっぱり周りでは任天堂switchやYouTubeが好きという子が多い。でも我が家は結構厳しくしていて、ゲームは1日30分まで。小学校1年生の娘も同様です。
テレビも本当に見たい番組ならもちろん見ていいけれど、どうでもいい番組をつけっぱなしにするのは絶対にやめるように言っています」
――デジタルから離れて行うべきことはありますか?
「たくさんあります。まずは本をいっぱい読んだ方がいいです。紙の本を読むのと、画面上で文章を読むのとでは、実は全然違うんですよ。
アメリカの実験で証明されているのですが、画面で文章を読むとだいたい最初の2~3行はちゃんと読むけれど、そのあとの視線を追うと下に下がりながら画面の左側だけをおざなりに移動する。そして最後だけまた少し読む。いわゆる流し読みで“浅い読み方”になってしまっているんです。
でも紙の場合はそうならない。文章の内容に没入して、新しい知識を吸収し、それを自分の持つ知識と統合して、新たなアイディアや洞察を生み出します。紙の本を読む場合は無意識に“深い読み方”になるんです。
デジタル機器と同等かそれ以上の時間を使って紙の本を読むこと、紙の本をしっかり読んで自分で考えるくせをつけることは、すごく大事だと思います」
――さきほどの長期記憶のお話にもつながりますね。
「あとは、自然との結びつきも非常に重要です。子どものみならず大人にとっても大事。理由は簡単で、やはり都会というのはデジタルだけに限らず集中力を落とすものばかりなんです。
街を歩いていたら無意味な看板やネオンサインばっかりでしょう?電車に乗ってもタクシーに乗っても画面があって、情報があふれている。これは非常によくなくて、当然脳はそれだけ注意散漫になってしまいます。
これもアメリカの心理学の実験が証明しているんですが、森の緑は人間が持っているもともとの集中力を再生する力があるんですよ。自然環境のなかですごすというのは、大人にも子どもにも集中力を回復し自分でものを考えるという大事な時間になります」
――そこでアイディアがひらめいたりもする?
「それもあります。そういう環境を子どもに小さいときからずっと経験させるというのは非常に大事。
僕は長野県に別荘を持っています。都会だけにいると子どもは注意散漫のかたまりになっちゃう可能性があるから、意識して違う環境、自然の何もない環境に連れて行くっていうのは意味があると思います」
「なぜ?」の繰り返しで子どもに“考えさせる”
――子どもが問題発見能力や問題解決能力などの本質的な能力を身につけるためには、どのようなことをすればよいのでしょうか。
「僕の子どもが幼稚園の頃からやっているのは、思考力を鍛える訓練。これはこの時期から始める方がいいと思います。
一番簡単なのは、繰り返し“理由を聞く”こと。たとえば、子どもと買い物にいくとだいたい玩具を欲しがるでしょう。そのときがチャンスで、『じゃあひとつだけ買ってあげる。だからどうしても欲しいと感じるものをひとつ選びなさい』と言う。
次は『それがどうしても欲しい理由を教えなさい』と言います。当然小さい子どもならわけのわからない理由を最初は言いますよね。そこからさらに『なんで』と問いかけを繰り返して、さらに考えさせるというのをやっていました。これが意外と効果があります」
――幼稚園くらいだと理屈の通った答えを返すのはなかなか難しいかもしれません。
「でもそれも大事なんですよ。答えは何であれ、自分なりに考えるという訓練が必要。学校の授業は考えるよりも覚える方ばかりになってしまっているので、考える力は家庭で親とのコミュニケーションの中で意識的に育てる方がいいですね」
答えのない問題に立ち向かわなければいけなくなるこれからのAI時代、日本の経済成長のために必要なのはイノベーションによる生産性向上や問題解決能力だ。
そのために必要なのは、語学力でもなくテクノロジーを使いこなす技術でもなく、クリエイティブな発想であると岸氏は言う。
それが培われるのは、デジタル機器に囲まれた環境ではなく、ひとつのことに集中し、脳をフルに使って考える環境。インターネットの発達により途方もない量の情報を選び取りながら生きている私たちは、その中で失いかけている能力に目を向け、取り戻す必要がある。
目まぐるしく変わる社会と予測のできない未来に送り出す子どもたちにとって、本当に大切な環境を、親は考えていかなければならない。
<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部