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「不登校」が消滅か。メタバースが変える子どもと学校の未来
メタバースの普及が進んだことで、授業は教室で受けるものという概念が変わりつつあります。これを受けて、「不登校」の意味が学校という施設内で学ぶか、自宅やそれ以外の場所で学ぶか、学ぶロケーションの選択肢の一つを表現する言葉へと変わろうとしています。 保護者と子どもの間で、または子ども同士のコミュニケーションで「登校する?」「いや、今日は不登校にする」そんな会話が生まれる日も近いかもしれません。 日本でのメタバース領域での研究者の第一人者であり、東京大学で教授として教鞭をとる雨宮智浩先生に、メタバースが教育現場に与えた影響、大学講義での導入事例などを伺いました。
東京大学 情報基盤センター 教授。2002年東京大学工学部機械情報工学科卒業、2004年東京大学大学院情報理工学系研究科修士課程修了、同年NTT入社、NTT コミュニケーション科学基礎研究所研究員を経て2019年東京大学大学院情報理工学系研究科 准教授、2023年より東京大学 情報基盤センター 教授、東京大学バーチャルリアリティ教育研究センター教授(兼務)。2014年〜2015年 英国ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)認知神経科学研究所 客員研究員兼務。日本バーチャルリアリティ学会理事、ヒューマンインタフェース学会理事、電子情報通信学会福祉情報工学研究会副委員長等を歴任。総務省「安心・安全なメタバースの実現に関する研究会」構成員。博士(情報科学)。
教育現場での導入が進むメタバース
ーーそもそも、どうしてメタバースが教育現場から注目を集めるようになったのでしょうか?
雨宮智浩教授(以下、雨宮教授):2020年から新型コロナ感染症が流行したことが大きいです。それまで、会議は会社、授業や講義は学校に行かないとできないという状態でした。ところが、感染症流行により行動制限が生じたことで、オンラインで実施する体制が整い、対面以外での手法が注目されるようになりました。
別要因として、VRゴーグルの普及が2016年あたりから進んだことと、性能向上も大きいですね。教育現場では、GIGAスクール構想によりICT教育支援が進みました。学校現場で児童生徒に配布できるくらいの価格帯でVRゴーグルが販売されるようになったことも、メタバース浸透を後押ししました。
あとは、オンライン会議でのアバター利用者が増えたこと、こうした動きを受け入れる流れができたことも大きいです。
オンライン化にはメリットとデメリットがあります。例えば画面上で接している相手から顔を見られ続けることで感じる苦痛、女性ならオンライン上でもメイクなど装用が求められることなどに起因する「Zoom疲れ」。オンライン化のデメリットとしてよく知られていて、Zoom疲れを感じ「顔を出したくない」と仮面をかぶる感覚でアバターを利用することも。こうした動きが、メタバースへの認識と利用と地続きになっている部分は少なからずあると思います。
ーーメタバースと教育分野との相性はどうなのでしょうか?
雨宮教授:特に実習や演習形式の講義と好相性ですし、生徒間や教師とのコミュニティの場としても活用できると実感しています。
たとえば、ディスカッションを行う際、テレビ電話では一度に複数人が同時に話すと誰が話したかが分かりにくいですが、メタバースを利用すれば、どこから話しかけられたかや、誰に向けて話しているか分かりますし、さらに参加者同士で交流したり、ポスター発表形式の会場ならどこに人だかりができているかを視覚的に確認したりできます。
メタバースは仮想空間です。しかし、現実世界と同等、もしくはそれ以上のセレンディピティ(偶然の出会い)にあふれた経験ができる場所だと感じています。
他者の体験を疑似体験できることも、メタバースが得意としていることかつ教育分野と相性がいい要素です。たとえば、認知症患者を撮影したビデオを見ても、言動は把握できても世界観までは把握できません。ところが、VRを使えばその人の視点になれるので体験者は認知症患者が見聞きしていることを自分ごととして体験できるようになるのです。
ステレオタイプを自覚するという観点では、白色人種と有色人種での体験の違い、DVをする側とされる側それぞれの疑似体験などがあり、議論のきっかけとして使えます。
今後の流れとしては、触覚から伝わるコミュニケーションに関する研究がはじまっており、メタバース上で食べてみたり触ってみたりする体験が実装され、やがて教育現場にも採り入れられるのではないかと予想しています。
ーー講義の一環として、メタバースを活用した歴史ツアーを実施されていると伺いました。
雨宮教授:原爆ドームがある広島市の平和記念公園のツアーですね。現地では現地ツアーに組み込まれていて、特定の場所でゴーグルを装着すると、原爆が落とされた瞬間から街が復興していくまでの映像を見られるようにしました。ようは街に出るメタバースですね。
ゴーグルをかけることで当時にタイムスリップしたかのような経験をできることは、参加者に対し強い体験をもたらすことができます。ツアーの参加者からも、「映像だけを見たときよりも、自分ごととして体験を持ち帰ることができた」と感想をもらえたので、修学旅行に取り入れてもらうなど、より有益な教育プログラムになるのではと期待しています。
メタバース登校・授業が持つ可能性と子どもに与える影響
ーーメタバース登校・授業は、不登校児童・生徒の学習支援の場でも活用されていると聞きました。そうすると、メタバース登校・授業は通常の学校の代替手段もしくはそれ以上の価値があるかもしれないですね。
雨宮教授:学校でも自宅でもない、サードプレイス的な空間として受け入れられている可能性は考えられますね。
ただし、学校でしていることをメタバース空間に完全移行し再現するのは、無理があると思います。通信トラブルで音声や画像が途切れてしまったりするなどのデメリットもあることから、揚げ足を取ろうと思えばいくらでもとれますから。
ですが、顔を出したくないときは仮面をかぶったり、現実世界ではできないことを疑似体験できたりなど、独自の魅力をメタバースが持ち合わせているのも確かです。そのため、「リアルとメタバースなら、どちらがより価値が高いのか」の二極論で考えるのではなく、シーンに応じてよりメリットがあるほうを選択していくスタンスがよいのではないでしょうか。
ーーメリットが多いメタバース授業・登校ですが、生徒に対してどのような影響を与えていると感じますか?
雨宮教授:心的ハードルが低くなるのかなと感じています。メタバース空間で講義をすると、終了してもなかなか生徒が退出しなくて、さっきまで受けていた授業の感想などを生徒同士で言い合ったり先生に聞きにきたりしているんです。リアルだと「質問はありますか?」と聞いてもシーンとしてしまうのですが、メタバース空間上だとアバターで姿が隠れているからなのか生徒のリアクションが違いますね。
同じ講義を受けている生徒同士で一体感も感じていると思っていて。海外を含め遠隔地からリアルタイムで受講できるし、VRゴーグルを装着している生徒なら横を向けばいっしょに受講している同級生のアバターが見える。「離れていても一人じゃない」と思える場所と機会があることは、帰属意識や愛校精神の涵養(かんよう)にもプラスに作用していると感じています。
あとは、小中学生の事例ですが、自主性をはぐくむのに貢献できていると感じました。東京大学では工学部が中心となってメタバース工学部(※)を2022年に立ち上げ、小中学生を対象にした講義を実施しています。その中で担当した授業では作成した作品をメタバース上で公開してもらうプロセスがあるのですが、生徒から講師へ、あるいは生徒間で「作品が完成したので見に来てください」と声かけをしている様子を見て、これもメタバースがもたらしたプラスの作用だなと。
ーーメタバース授業・登校を経験した生徒の進学について、こちらは将来どうなると予想していますか?
雨宮教授:現時点では、現実世界にプラスの作用をもたらすことを期待されることが多いですが、将来的にはデジタル空間上で全業務が完結できる仕事が登場し、そこで活躍する人材の募集がはじまり、マーケットも形成されると考えています。未知数の世界の話ではありますが、将来有望な産業になるのではないでしょうか。
メタバース登校・授業で身につけられる能力とは
ーー世間にはさまざまな「●●●力」がありますが、メタバース登校・授業を経験した子どもはどのような力を身につけられると思いますか?
雨宮教授:まず思い浮かんだのは共感力ですね。VRゴーグルを装着してメタバース空間に入り、他者の視点を経験することで、相手の気持ちを考えたり寄り添ったりしようとする気持ちが芽生えるのではないかと考えています。
共感力が育つのに伴って、オンライン会議で同席者が使用しているアバターやアイコンの表情から、たとえそれが表層的なものであったとしても、相手の気持ちを読み取る力も養えるでしょう。
あとは、視点でしょうか。VRゴーグルを介して見るメタバース空間は、映像そのものの解像度はまだ低いものが多いですが、実際の視点と異なりかつ実際には見えないものを見える化するといった意味での「解像度」が高いと言えます。そのため、リアルとは異なる視野を経験でき、物理的にもいつもとは違ったものの見方ができるようになるのではないでしょうか。
メタバース登校・授業が不登校にもたらす未来
ーー不登校にはマイナスのイメージが少なからず付きまとっていますが、メタバースが教育現場に浸透すれば、こうした認識は過去のものになるのでしょうか。
雨宮教授:二者択一で回答するならイエスです。
バーチャルリアリティという言葉自体、人間が考えるリアルとは何なのかを探求する学問であると考えています。バーチャルとはリアルを引き寄せるための概念と技術であるなら、そうなると今度はリアルとは何なのかという話になり、そのタイミングでリアルを再定義すればいいと思うんです。
登校と不登校についても、同じことがいえると考えています。不登校とは物理的に学校に行っていないことを、現時点では意味しています。ところが、メタバースが教育現場に浸透して、たとえ身体上は学校にいなくてもメタバース上では登校しているなら、それは不登校とは言えず、「そもそも不登校とは何ぞや」となるのではないかと考えました。
文部科学省による不登校の定義(※)はあります。しかし、学び舎の門戸がメタバース上で開かれているのであれば、扉に手をかけ開くときのリアルの居場所は、自宅でも自分の部屋でもいいのではないでしょうか。
子どもが「今日は行きたくないな」と言い出したら「じゃあ今日はオンライン授業にしよう」と返せるような、様々な可能性を許容できる場所になることを、メタバースに期待しています。
<取材・執筆>KIDSNA STYLE編集部