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【天才の育て方】#16 山本・リシャール登眞~世界遺産検定最年少マイスターが試験を突破できた理由[前編]
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KIDSNA編集部の連載企画『天才の育て方』。#16は、世界遺産検定のマイスターを史上最年少の11歳で取得した山本・リシャール登眞さん。世界遺産に興味を持つようになったきっかけや両親との会話で育まれていった圧倒的な思考力について紐解いていく。
「検定試験に受かりたかったわけではなく、ただ、この世界が知りたかっただけ」
「母に言われたんです。前例がないなら、作ればいいって」
そう語るのは、2021年4月現在、世界遺産検定認定者の中でも0.3%しかいない「マイスター」の資格を2016年に最年少の11歳で取得した、山本・リシャール登眞さん(以下、登眞さん)。
その知識の深さから、高校1年生となった現在、テレビ朝日『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』やTBS『日立 世界・ふしぎ発見!』などにも出演し、活躍の幅を広げている。
膨大な知識を必要とする世界遺産検定のマイスターの資格をわずか11歳で取得した天才はどのように育ったのだろうか。今回はお母さまにもご同席いただき、彼の才能が育まれたルーツを探る。
1歳の時の病気がきっかけで、母が決意した教育方針
母「実は、登眞は1歳のときに、インフルエンザ脳炎で命が危なくなりました。それ以来、『この子をこんな立派な子にしたい!』『こういう道を歩ませたい』といった考えは一切意味がないと思うようになりました。
現在の新型コロナウイルスもそうですが、いつ、何が起こるかわからない。
とにかく好きなことをやってねと、いつも言っています。自分の好きなことをやっているときは、生き生きしていますから。彼のやることについて、将来の役に立つか、立たないか、という考えで育てたこともありません」
登眞さんの母は、静かに、しかし力強くそう話す。登眞さんが次々に検定試験をパスしていったのは自分たちのおかげではない、彼が自分自身の力で掴み取ったのだと言う。
それでは、登眞さんはどのようにして、才能を伸ばしていったのだろうか。
ピラミッドの壮大さに魅了され、世界遺産探究の道へ
生まれはフランスのリヨン。その歴史的な石畳の街並みは世界遺産にも登録されていることから、世界遺産は彼にとって馴染み深い存在だった。
物心のつく前から歴史や建築物に対する高い関心への片鱗を見せていたお子さんだったのかと思いきや、登眞さんの母はいたずらっぽく笑う。
母「実は小さなころから世界遺産に夢中、というわけではなかったんです。2歳のころに京都の金閣寺に連れて行ったときには、金閣寺そのものより、手前にあるピカピカ光る自動販売機に興味を示していたんですよ(笑)。
まさかこんなに世界遺産にのめり込んでいくとは思っていませんでした」
ところがあることをきっかけに、登眞さんは世界遺産に強く惹かれていくことになる。
登眞さん「3歳のころ、古代エジプトの世界に触れる機会がありました。博物館で棺に施された装飾を見て、「これは、なんだろう?」と。加えて、ピラミッドの壮大さにもとてもびっくりして、エジプトに憧れを抱くようになりました。
その後、5歳のときに日本のつくばに越したのですが、そこで古代エジプト関連の本を探していたところ世界遺産の図鑑に出会い、はじめて世界遺産に興味を持ち始めました」
母「図鑑類は、初歩的なものであれば2,3歳から興味を示して、家にあるものをめくったり眺めたりしていましたね。しっかりと文章が あるものを読めるようになっていったのが5歳のころからでしょうか」
登眞さん「6歳でまたリヨンに住むのですが、当時ニュースで取り沙汰されていた、マリ共和国北部の紛争によって、世界遺産であるマリの都市トンブクトゥの遺跡が破壊されていることを知り、ショックを受けました。
その後再び日本で暮らすようになったとき、書店で、世界遺産の知識を試すことができる検定があることを知り、受験を決めました」
試験勉強の感覚はない。この世界をただ、知りたかった
最初に検定の3級に合格したのが8歳。出題される試験は当然子ども向けには作られていない。
登眞さん「試験は、難しさよりも、楽しかったですね。3級の試験のためのテキストは漢字だらけで、読めないところは母にふりがなをふってもらって、夢中になって読んでいました」
8歳でどのように試験勉強をしていたのか?と聞くと、さらりと答える。
登眞さん「試験勉強という意識はなかったです。合格したい気持ちよりも前に『この世界を知りたい』という好奇心が強かったから。なりゆきというか、知識を深めていくうちに受かった……という感じです。
大きくなっていろいろな場所に行けるようになってからは、現地の資料やパンフレットも見て勉強するようになりました。
それから、小学生向けの新聞に載っていた世界遺産のコラムも読んでいました」
母「当時、朝日小学生新聞でも毎日小学生新聞でも世界遺産の記事の連載をやっていて『どちらを購読させようか』と迷っていたら、『どっちも』と言うのです。
登眞さん「それをスクラップしていたよね」
世界規模の学びで得た気づき
「電車が好き!」「動物に興味がある!」そうした好奇心の芽はどの子どもにも大なり小なりあるだろう。しかしそれが登眞さんのように知識の花として開花していくにはどうしたらいいのだろうか。登眞さんは誠実に考えを言葉にしてくれた。
登眞さん「僕の場合は、検定との出会いがあったからでしょうね。自分の知識を確かめられる場との出会い。それがよかったのだと思います」
知識に驕ることなく謙虚でいられる秘訣は?という質問にお母さんはしみじみと答える。
母「これは、世界遺産のおかげだよね」
登眞さん「本当に、世界遺産のおかげです。なんといっても、学びの範囲が世界規模ですから、勉強をしていると自分が小さく感じるんですね。こんなにすごいものを作った人たちがいるんだって」
母「検定の3級の範囲だと、割とみんなが知っているポピュラーなスポットが出題されるのですが、2級、1級と進んでいくうちに、戦争や奴隷制度など、人間の醜い部分が背景にあるような暗い歴史のある世界遺産も範囲に入ってきます。学びを進めることで、歴史というものを、受け入れることができるようになったようなんです」
登眞さん「幼少期からさまざまな国を転々とする生活だったので、どうしてひとつの世界なのに戦争をするんだろう、という思いもいつもどこかにあります。
同じ時期に、図鑑で環境破壊や飢餓について「地球環境館」という本を読んで 、心を痛めることが多々ありました。だからこそ、自分の身に起きる良いことや悪いことについては、冷静に「そんなものだろう」と思えるようになったのかもしれません」
母「私は国際人道法という、戦争中の武力行為の規制や戦後処理を専門に研究をしているのですが、彼が興味を持った分野は『戦争の防止』なんですよね。
私自身は研究の中で戦争について向き合わなくてはいけないのですが、彼が『こういう素敵なものがあるよ』と世界遺産のことについて話してくれるとき、『人間も捨てたものじゃないな』と思えるんですよね」
登眞さん「世界遺産というのは、人間が今まで作り上げ、守ってきた素晴らしいものを保護することで、それぞれを尊重しあう目的で設立されているんですよ。
だから、見た目にインパクトのある建築物や、華々しいものばかりが登録されているわけではありません。
ヨーロッパにあるシュトルーヴェの測地弧は、天体観測の測量地点の連なりが認定されているのですが、写真で見るととても地味なんです(笑)。でも、文化文明発展の稀有な証拠として、価値のある遺産と認められ登録されています。
そういった世界中のさまざまな世界遺産を知ることで、物事を一つの視点から良い、悪いで判断するのではなく、受け入れる価値観が育まれていきました」
知識の詰め込みではない、純粋な探究から考え方や価値観が形成されていく、とても理想的な学びの形ではないだろうか。
公立校だからこそ、マイスターが取れた
母「世界遺産検定の試験は、不合格になっても困ることはないので、勉強に関しては一切プレッシャーをかけなかったんです。学校の入学試験のように『ここで落ちたら次はない』というようなこともありませんから。
自由に受けて、たまたまトントン拍子に合格していったんですよね。“最年少で合格”についても私たちは意識していませんでした」
登眞さん「もちろんマイスターに最年少で合格したことは嬉しかったですが、実は1級の試験も最年少合格者だったことはしばらくしてから、テレビ番組で取材を受けたときに知りましたし(笑)。正直、あまり気にしていなかったです」
そんな登眞さんは、どんな学校生活を送ってきたのだろうか。特殊な習い事や学校の勉強に天才になる秘訣が隠されているのでは?
母「特別なことはしていません。習い事はチェスと、あとはリヨンでは自然教室という感じで、広大な敷地で、好きなように遊ばせていました。水遊びをしたり、他の子たちと同じようにいたずらもしていましたね。
ただ、日本語科のある小学校に通っていたのですが、日記や作文をすごく重視する学校で、毎日きちんとした文章を書かされていました」
登眞さん「7歳で入った京都の小学校でも、身の回りのこと、高学年からは時事について考えを述べ合う授業がありました。社会科に力を入れている学校だったんです。自分の意見を文章で書く習慣がついたことは、世界遺産や時事、環境問題について考える上で生きていると思います」
幼いころから国内外さまざまな土地で暮らしてきた登眞さん。日本の学校では、海外の学校との違いを窮屈に思うことはなかったのか。
登眞さん「全くなかったです。日本特有と言われる、横並びの同調圧力も感じませんでした。通っていた小学校は1学年の人数の少ない、1つのチームみたいな雰囲気で、和気あいあいとしていました」
母「授業参観の時も、みんながどんどん発言していて、『良い意見だと思います』とか『その意見に付け足します』と、とっても活発でしたね。地元の公立小学校は、登眞に合っていたと思います。
進学校と言われる私立校を見学したこともありましたが、『世界遺産が好きで探究していきたい』と伝えると『そんなものは意味がない、もっと受験に役立つものを』と言われてしまったことがあって。応援してもらえるような環境ではないと感じました」
登眞さん「僕は地元の公立校にいたから、マイスターが取れたんだと思います」
母「いろんなバックグラウンドを持った子たちがいて、みんなでこぼこなんですよね。それがすごくよかったんです」
後編では、読書づくめだった日々についてや、世界遺産を通して伝えていきたい思いについて話を聞いた。
<取材・撮影・執筆> KIDSNA編集部