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【中村朱美】“日本にないからつくった”売上を追わない働き方
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働き方が多様化してきている昨今でも、家族や子どものために定時に家に帰れない親はたくさんいる。「なぜ夜に帰れないのか?」この疑問をもとに、新たなビジネスモデルで起業し、飲食業界の常識を変えた女性がいる。今回は、国産牛ステーキ丼専門店「佰食屋(ひゃくしょくや)」を経営する株式会社minitts代表取締役の中村朱美氏に話を聞いた。
「1日の営業時間はランチの3.5時間のみ」
「売り上げを追わない経営」
「従業員のボーナスは年3回」
2012年に京都にオープンした国産牛ステーキ丼専門店「佰食屋」は、“超ホワイト企業”として、長時間労働や深刻な人材不足を抱えていた飲食業界に衝撃を与えた。
1日100食限定、売り上げ次第閉店するというコンセプトと、売り上げや業績を追わないシンプルな働き方でありながら、黒字経営を実現したのが代表の中村朱美氏。自身を、“心配性で臆病な性格”と表現しながら、まったくの未経験だった飲食業界で、会社員を辞めて起業。
「世界的に見たら、日本の働き方は間違っているんじゃないか」
と強い疑問を持ち、自分流の働き方改革を掲げて道を突き進む中村氏の、従来の価値観を覆す起業ストーリーを語ってもらった。
「なぜこの働き方が日本でできないのか?」
――長時間労働をせず、売り上げを追わない新しいビジネスモデルを、どうして実現しようと思われたのですか。
「事業の成長より、私自身が『家族一緒に晩ご飯を食べる』生活がしたかったからです。
幼い頃、『テレビを消し、家族そろって晩ご飯を食べる』という家庭で育ったこともあり、結婚し、家族みんなそろって晩ご飯を食べることが夫婦の理想でした。
でも、結婚後、ふたりとも会社員として働いていると、たったふたりでさえ、それが叶わないんです。
ひとりでご飯を食べてもやっぱり楽しくないし、味気ない。もし子どもができてからも子どもとふたりで晩ご飯を食べることになったら、私は幼いころから家族で食卓を囲んできたのに、自分の子どもにそれをさせてあげられないのが嫌だと思いました。
そんな願いが、起業へと向かったきっかけは、海外留学です。教育大学に通っていたのですが、2年生のときに、英語教師になりたいと思いオーストラリアに留学しました。
そこでお世話になったホストファミリーのお父さんは、私が学校から帰ってくる16時半頃にはもう家にいるんです。こんな時間に会社から帰って、毎日夕方にお父さんが家にいる!とすごく衝撃を受けて。
お母さんも同じくらいの時間には帰宅していて、いっしょにホームパーティに連れて行ってくれたりしました。共働きでお子さんも小さかったのに、本当に楽しく暮らしている光景が、まさにカルチャーショックでした。
大学を卒業し、会社員として働いているときも、『オーストラリアは夕方に夫婦が仕事を終えて家に帰り、家族で晩ご飯を食べられるのに、なぜ日本ではできないの?』という疑問がずっとありました。
実際に、日本でこうした働き方をできている人はほとんどいないですよね。このことがずっと心の中でくすぶっていて。
その後もヨーロッパなどを旅行していると、企業で働いていても昼寝の時間が設けられていたり、日曜は百貨店すら閉店したりと、どこの国に行っても日本ほど働いてへんで、と。
世界で見たら、どちらかというと日本のほうが間違ってないか?と思うようになりました」
厚生労働省による「全国家庭児童調査」を見ても、家族そろって毎日夕食を食べている家庭は全体の26.4%にとどまっている。全体の半数以上の家庭が夕食の時間を別々で過ごしているのが現状だ。
「専門学校で働いていたとき、ある日、めちゃくちゃ天気の良い日でした。職員室で、『なんで私たちこんなに気持ちの良い日に、室内に閉じ込められて働いていると思う?』と思わず同僚と話したこともありました。
私は仕事をするために生きているのではない。仕事は、本来は人生を豊かにするためのものであり、心をすり減らすものではないと思います。
いろんな国で家族そろって晩ご飯を食べる働き方ができるのであれば、絶対日本でもできるはずということをどこかで信じていて、それが既存の企業でできないのであれば自分でそんな会社を作ってみたい、これが最初のモチベーションでした」
子どもを理由にしないための先回り起業
――会社員を辞めて起業することは大きなチャレンジだと思いますが、何が中村さんを突き動かしたのでしょうか。
「最初は、夫が私に作ってくれたステーキ丼が本当においしくて、これをみんなに食べてもらいたい。それだけの思いで、まったくの未経験である飲食業界に飛び込みました。
夫は『定年後にレストランを開きたい』という夢があったので、『その夢を今実現しよう』と説得し、前倒しで起業。
周囲にはよくモチベーションや情熱で起業したのかといわれるのですが、その逆で、私はものすごく心配性で、臆病な性格なんです。だからこそ非常に綿密な計画を立てる。これが私が前に進める理由だと思っています。
いつも何か物事をはじめるとき、必ずプランA・B・Cのように状況と場合によって考え尽くされるすべてのストーリーを先に考え、すべてノートに書き上げたうえで『最悪のストーリーがこれならいける』と思えてはじめて行動できる。
佰食屋をはじめるときも、お客さんが来なくて資金がなくなったり、鳴かず飛ばずの状況だったら、1年後に辞めると事前に決めていました。辞めても私は教員免許があるので塾の講師のアルバイトを、夫はタクシーの運転手をしようと。それでも食べていけると思えば、踏み出すことに躊躇はありませんでした」
――開業にあたり、ワークライフバランスはどのように考えられていましたか?
「起業すれば、それが飲食店であったとしても自分がルールなので、週に何日、何時間働くか、いつ休むかを決めるのも自分。自分で決めたことだから責任も取れるし、子育てしやすいだろうと想定した上ではじめました。
この考えに至ったのは、会社員時代の経験から。ホワイト企業といわれていた専門学校に勤務していましたが、役職が上がるにつれて残業や出張も増えて、休みも自由には取れなかった。
ホワイトだといわれている会社でもこの状態なら、転職してもきっと変わらない。『子どもを育てながら企業で働く』という未来が、私の中で見えなかったんです。それならもう『自分でやるしかない』と、強く思いました。
当時、私たちは子どもも望んでいたので、起業と不妊治療を並行して行いました」
――タイミングに迷ったりしませんでしたか。
「夫の定年後の夢を前倒しでスタートした理由には『子どもがいない今のうちに』という思いもありました。
もし先に子どもが生まれていたら、きっと私は、子どもを理由にはじめられなかったと思います。まだ子どもが小さいから小学生になったら、独立したらと、自分に対して言い訳ができてしまう。もし、子どもが『あなたが大きくなったらやろうと思っていた』と親から聞いたら、『自分のせいで母親は何かを諦めた』と感じますよね。
だから、子どもを理由にしないために、あえて子どもが生まれる前にはじめたかったのです。
不妊治療も、2年間授かることができなかったら治療を辞めて養子縁組しようと最初から決めていました。当時は養子縁組の条件に親の年齢が定められていたので、望むのなら早いほうがいい。それなら治療も早くはじめたほうがいい。計画を立てていれば通院回数や必要なお金も分かるので、精神的にもとても楽でした」
自分の心の声が、従業員の声の代弁になる
「私の仕事は、自分が嫌なことは従業員にさせない、それがベースです。私は小さな子どもがいるから、夕方には家に帰りたい。だから従業員にも夜まで働いてほしくない。有給休暇も消化したいし年末年始は家族と過ごしたい。これらを従業員の待遇に反映させています。
また、最初の店舗は水曜が定休日で、まだ子どももいなかったのでやっていけていましたが、子どもができて保育園に預けはじめると、どうしても日曜だけは預かってくれるところが少ない。
本当は日曜日は休んで家族と過ごしたいし、私以外にも、子育てや趣味で日曜日に休みたい従業員はいるはずです。
それならばと、100食の半分、50食でも利益を出すビジネスモデルを考えてオープンした『佰食屋1/2』は、日曜定休にしたんです。
グループ店に日曜定休のお店があると人手に余裕ができます。『佰食屋1/2』に所属しているけど日曜日も働きたい従業員には他店舗に入ってもらい、他店舗の従業員が休みを取れる。私がやりたくないことを排除していくと、それはみんなの声の代弁にもなる。
働く時間を目いっぱい増やして売り上げを伸ばしても、社員にはあまり還元されないという声もよく聞きます。そもそも、就業時間内に利益を出せない商品や企画自体に問題があるのに、『がんばれ』と言うのはおかしい。私は、そういった『業績至上主義』とは真逆の会社を作りたい。
だから、100食を200食に増やしたりはしないし、ディナー営業はしない。メニューを3つに絞っているからフードロスはほぼゼロ。経費も削減になり、冷凍庫も要りません。同じメニューを毎日100食売り切ることが目標なので、接客も厨房もシンプルな業務で従業員も採用しやすくなりました。これで黒字経営が実現したのです。
今では9時30分から整理券を配布し、100食を売り切り、午後2時半には閉店。従業員は翌日の仕込みを済ませ、残業ゼロで18時までには完全退勤します。
従業員の給与はきちんと上がっていくような仕組みをつくってベースアップを図り、ボーナスは年に3回。
ただ私自身は、自分の今の生活を維持するためにはいくら必要かというのを逆算していて、夫婦合わせて500万円くらいの年収があればそれが叶うと分かっているので、私はそれで十分。それ以上稼ぐことで無理をしなければいけなくなるくらいなら、時間を優先すると決めています」
自分の働き方を自分で選ぶ社会を作る
コロナ禍で考えた、佰食屋スタイルを広める方法
――佰食屋のビジネスモデルが広がれば、働き方改革も一歩前に進みそうですね。新たな雇用も日本各地で生み出すことができそうです。
「日本の企業が働き方改革をなかなか進められないのは、これまでの慣習だけでなく、収益から人件費や仕入代などの費用を差し引いた利益率が原因にあるといわれています。
佰食屋は当初、売り上げを追わない、業績至上主義から解放されたビジネスモデルを確立していましたが、これからは『働き方改革を推進しながら利益率を残す』スタイルを目指します。働き方改革と利益率を両立することができれば、大企業が真似しない理由がないんです。
利益率は集客率が安定すると上がるので、新型コロナウイルスの影響や自然災害が起きたときでも集客を上げる方法が必要。
それを中心に年間通して利益率を高めていく調整をちょうどはじめたところです。そのためのひとつの案として、既存の大手居酒屋チェーン店と佰食屋のM&Aができないかと考えています。
今、居酒屋はコロナウィルスによって壊滅的なダメージを受けていると感じています。そこで、居酒屋が営業していない昼間の時間帯にだけ佰食屋のメニューやアイデアを組み込んでもらえれば、新たな設備投資やテナント料を追加することなく、佰食屋の店舗を一気に全国展開することができます。
これが実現すれば、新たな雇用も生まれるはず。夜の営業のみの居酒屋さんでは、結婚や出産による優秀な女性従業員の退職に悩んでいるケースが多くありますが、もしランチ営業で雇用機会が増えれば、主婦や子育て中の女性従業員も確保することができます。
そうすれば、コロナウィルスの影響で失業した方の雇用も一気に増やすことができるのではないかと。
コロナ禍において、新たに融資を受けて設備投資をするのではなく、既存の遊休施設を上手に使う考え方はトレンドになってくると思うんです。ランチ営業しかしていない佰食屋の強みを活かせば、夜営業のみの居酒屋さんとタッグを組むことは現実的でベターな方法だと考えています」
佰食屋も、新型コロナウイルスの影響によって「佰食屋すき焼き専科」「佰食屋肉寿司専科」の2店舗を閉店している。さらにはこの期間で、中村氏は新たなビジネスプランを生み出したという。
「実は既に動きはじめている新ビジネスがあります。分野はまたしても未経験の『防災』関連。もちろん今回も、プランA・B・Cと、だめだったときどうするかというところまで書き出すところからスタートしています。
『防災』に絞った理由も、私の心配性で臆病な性格からきています。豪雨や地震、台風は毎年必ずくる災害です。コロナ禍での自粛期間中、もしここでさらに災害が自分たちに降りかかってきたらどう対処したらよいのか、子どもたちをどのように避難させよう、保存食はどうしようということをすごく考えました」
何かを犠牲にしない働き方改革を
――これから中村さんのビジネスモデルを広げていくことで、どのような未来が開けると考えていますか?
「私たちが目指しているのは『働き方改革による働きやすい社会』ではなく、『自分の働き方を自分で選ぶ社会』です。
働き方改革は働く時間を短くしたり、休みを増やすことばかりフィーチャーされがちですが、その本質は『自分で働く日数や時間を決められる働き方』だと私は思っています」
――仕事にライフスタイルを合わせるのではなく、ライフスタイルに仕事を合わせていく、逆転の発想ですね。
「お金をたくさん稼ぐために時間を費やす生活か、時間に余裕をもつ代わりに最低限のお金で生きていく生活か、どちらの生活を自分がしたいのか。
決して答えはひとつではないですし、自分が気持ちよく生活するための本質を知ることは、働き方を考えるときに大切なことだと思います。
どちらにせよ、『働くスタイルを選びやすい会社』が日本に増えれば、子どもを持つ人たちや、親の介護をする人、さまざまな人が自分らしく生きていける。
結果として『家族一緒に晩ご飯を食べる』『充実した自分時間を過ごす』人たちを日本中に増やしていきたいです」
前編は、新たなビジネススタイルと働き方を確立した経緯やその背景にある思いについて語ってもらった。後編では、そんな中村氏が考える子育てと教育について聞いていく。
<取材・執筆>KIDSNA編集部