イタリアの「ポンぺイ」は福井県にもある…織田信長が焼き尽くした戦国時代にしては"ありえない"奇跡の都市
朝倉氏の館には「日本最古」の花壇があった
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戦国時代、最も先端的な都市はどこだったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「朝倉氏の拠点だった一乗谷(福井県福井市)はそのひとつだろう。街のインフラ、住人の生活水準は、当時としてかなりレベルが高かった」という――。
織田信長が火をかけた戦国時代の“最先端”都市
朝倉氏といえば、戦国時代の越前国(福井県北部)に君臨した大名で、最後の当主の義景よしかげが、隣国の近江(滋賀県)北部を治める浅井長政と組んで、織田信長に対抗したことがよく知られる。結局、朝倉氏の領国支配の拠点だった一乗谷(福井県福井市)は、信長の軍勢によって火をかけられてしまう。

朝倉義景画像〈複製〉湖北町所蔵(原資料=心月寺所蔵)(写真=ブレイズマン/PD-Japan/Wikimedia Commons)
その一乗谷だが、実際、山に挟まれた谷地なので、田舎の小さな町だったと思っている人が少なくないようだ。
しかし、福井市の中心街から東南に約10キロ、九頭竜川支流の足羽川の、さらに支流である一乗谷川に沿った東西約500メートル、南北約3キロメートルの狭隘なエリアは、京都からの便もさほど悪くなかったこともあり、応仁の乱を逃れた文化人も多く移り住み、最盛期には1万人以上が暮らしたとされる。
そのうえ、戦国時代の一般的な都市とくらべて、文化的な水準が高いだけでなく、インフラ整備も行き届いていた。町は整然と区画され、道路は砂利敷きで、その脇をはじめ随所に石積みの水路が張りめぐらされていた。また、商人や職人が暮らした町屋の一軒一軒にまで、井戸やトイレが備わっていた。
戦国時代には地方都市はもちろん、京都であっても、井戸などは共同で使うのが当たり前だった。そんな時代に、この小さな山間の都市が、大いなる先進性を誇っていたのである。





























