朝ドラ「ばけばけ」のモデル、ラフカディオ・ハーンと18歳下の小泉セツが出会ってすぐ事実婚状態になったワケ
ハーンはセツを見て「足が太いから士族の娘ではない」と怒った
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『怪談』などで知られるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は小泉セツと国際結婚し日本に帰化する。2人のひ孫・小泉凡さんは「ハーンにとって神々の住む出雲はあこがれの土地だった。そこで生涯の伴侶と出会ったことに運命的なものを感じる」という――。 ※本稿は、小泉凡『セツと八雲』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
横浜で半年ほど過ごしてから、島根で英語教師に
1890(明治23)年、横浜に上陸してから5カ月ほどたった頃、八雲は島根県尋常中学校と師範学校の英語教師のポストを得ました。月給は100円です。
それは当時の知事に次ぐような厚遇でした。10代の頃からお金に苦労してきましたが、40歳にしてようやく経済的にも報われた格好です。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る その八重垣を
『古事記』に出てくる日本最古とされる和歌。来日前から「出雲」の象徴であるこの和歌を胸に刻んでいた八雲です。大分県に赴任する話もあったようですが、あこがれの島根県への赴任が決まりました。ご縁としか言いようのない話で、躍り上がるほど喜んだことでしよう。
この年は大日本帝国憲法の施行と同じ年にあたります。260年余り続いた江戸時代の体制が一新され、近代国家として整備が進められる時代の教育者の一人、ということにもなります。
松江に着いたのは8月30日でした。蒸気船で大橋川の船着き場に着き、対岸の富田旅館で旅装を解き、そのまま3カ月ほど暮らしました。女将のツネと女中のノブに食事などの世話になります。
12歳年下の教頭・西田千太郎と意気投合する
勤務先の学校では誰も知り合いのいない一介の外国人教師でした。全く慣れない環境で、12歳年下の教頭で英語教師の西田千太郎と早速、意気投合しました。英語が堪能で、連日のように行動をともにする間柄になりました。
<利口と、親切と、よく事を知る、少しも卑怯者の心ありません、私の悪い事、皆いってくれます、本当の男の心、お世辞ありません、と可愛らしいの男です>(『思ひ出の記』) |
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西田への賛辞を、そんな風にセツに語りました。聡明で実直な出雲人です。結核を患っており、吐血することもありましたが、出雲地方ならではの、いろんな所へと連れていってくれました。
西田は6年半後に34歳で他界してしまうのですが、死の直前まで克明な日記を書き残してありました。これによって松江時代の八雲の詳細な動向が伝わってきます。
八雲は他界する直前、文学者の坪内逍遙(1859〜1935)や高田早苗(1860〜1938/後の早大総長、文部大臣)らに早稲田大学に講師として招かれます。その時、高田が亡き西田と似ている、と言って大層喜んだほどでした。彼こそ八雲が最も信頼した日本の友人です。出会った頃のセツも、意思の疎通がはかれない時は西田に頼ることが多かったようです。





























