占領期間はたった3年だったのに…東南アジアの中で戦前の日本に対して最も厳しい評価をする意外な国
18~50歳の華人男性を集めて次々に処刑した過去
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アジアの中で、戦時中の日本に対して厳しい評価をしている国はどこか。近現代史研究者の辻田真佐憲さんは「中国や韓国、北朝鮮だけではない。東南アジアの中には、歴史教育や記念施設において、日本の占領時代を暗黒の時代として描く国がある」という――。(2回目) ※本稿は、辻田真佐憲『「あの戦争」は何だったのか』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。
東南アジア諸国の日本に対する意外な評価
大東亜戦争で掲げられたアジア主義的な理想は、いま、対象となった「大東亜」地域でどのように受け止められているのだろうか。
一般に、中国や韓国、北朝鮮は日本に厳しい評価を下しているとされるいっぽうで、東南アジア諸国は比較的穏やかな態度を示すことが多いといわれる。では、東条英機の“大東亜外交”について、現地ではどのような評価がなされているのだろうか。
文献を読むだけでは見えてこないことも多い。そこで、わたしは東条が外遊で訪問したすべての地をみずから巡ってみることにした。
すなわち、南京、上海、新京(現・長春)、奉天(現・瀋陽)、マニラ、サイゴン(現・ホーチミン)、バンコク、シンガポール、パレンバン、ジャカルタ、クチン、ラブアンである。現在の国名でいえば、中国、フィリピン、ベトナム、タイ、シンガポール、インドネシア、マレーシアにあたる。また、当時は日本領だったが、現在は外国になっている京城(現・ソウル)、台北、高雄にも足を運んだ。
東條英機の外遊先の「今」
まったく同じルートをたどったわけではないものの、現在の交通手段でもかなりの時間と労力を要した。当時の厳しい戦局のなかで、よくもこれほど頻繁に外遊を行ったものだとあらためて感心せざるをえなかった。
結論からいえば、東条の訪問について明確な言及が確認できたのは、シンガポール、ラブアン、長春の3カ所にすぎなかった。タイにも関連する記述はあったものの、バンコクではなくアユタヤに所在しており、外遊先とは直接の関係はなかった。
とはいえ、これだけの場所を巡ったことで、別の発見があった。それは、各国が歴史博物館や記念碑の説明などを通じて、それぞれの「国民の物語」を現在進行形で構築・明示しているということである。
他国の「われわれ」がどのようにあの戦争を捉えているのか。そのアクチュアルな現場を読み解くことは、われわれ自身が同じ時期の歴史をどのように物語るのかを考えるうえで、大きな手がかりとなるはずだ。