ドライバーを「ナイスショット!」と言わない方がいい…多くの人が勘違いしている「取引先ゴルフ」でのNGマナー
お客さんのボールは真っ先に探しに行くこと
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Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎さんは、88歳になった今でも各界の著名人とゴルフで親睦を深めるほどのゴルフ好きだ。そんな川淵さんがプレーで大切にしていることとはなにか。ノンフィクション作家・野地秩嘉さんの連載「一流の接待」。第4回は「接待ゴルフのマナー」――。
サッカーよりもゴルフに明け暮れた会社員時代
現在、サッカーの日本代表は躍動している。それも元々は川淵三郎がJリーグを作ったからだ。
川淵三郎は30年間、ビジネスパーソンとして古河電気工業に勤めていた。その間、最後の5年間は仕事以外では、サッカーよりもゴルフばかりをやっていた。
当時、業界の人たちは「古河に川淵あり」と噂をしていたが、それは営業面の活躍よりも、むしろ、ゴルフが上手だったからだ。そして、ゴルフ接待では神だった。伝説のゴルフ接待名人、川淵三郎がこれからすべてを語る。
なお、彼はサッカーの指導書は書いていない。しかし、ゴルフの指導書を一冊、出している。大勢のゴルフ指導者も感服したという内容を『川淵キャプテンにゴルフを習う ゴルフも「仕事」も上達するレッスン50』(プレジデント社)にまとめてある。
お酒を飲まなくても、ゴルフと麻雀ならできる
川淵三郎が古河電気工業に入社して以後、社業と並行して、選手、監督、日本代表チームの監督、協会役員としてサッカーに関わった。川淵さんが会社員だった時代は昭和である。昭和の接待といえば、ゴルフ、マージャン、会食、ナイトクラブである。お酒をあまり飲まなかった川淵さんは酒食の接待は同僚にまかせて、もっぱらゴルフと麻雀の接待に専念した。サッカーのJリーグを作っただけでなく、競技麻雀プロリーグ「Mリーグ」の最高顧問でもある。
川淵さんは当時のゴルフ接待の様子を語る。
「名古屋支店の営業部長として伸銅品をデンソー(当時 日本電装)などの会社に売っていたわけです。その伸銅品とはラジエーターやヒーターの素材ですね。銅や黄銅をテープ状に伸ばしたものです。僕は営業部長だったけれど、ゴルフ接待する相手は超一流企業のトップのみなさんでした。昼間はゴルフをやって、夜は食事から麻雀といったこともよくありました。
当時は高度成長の終わりの頃です。自動車は売れていました。古河電工も毎年のように売り上げが上がって、それこそ何十億円もの素材を自動車部品会社に納入していたから、今とまったく違って当時は接待の機会も多かったんです」