実は「アメンボ」ではなかった…やなせたかしが「手のひらを太陽に」の歌詞に書いてボツにされた軟体動物の名前
ミセスの大森元貴演じる、いずみたく「やなせさんが印税を一番稼いだ歌」
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朝ドラ「あんぱん」(NHK)は、やなせたかし氏をモデルとする嵩が唱歌を作詞し大ヒットを飛ばす展開に。やなせ氏の自伝などを調べた村瀬まりもさんは「『手のひらを太陽に』には実はあまり知られていない逸話が複数ある」という――。
やなせたかし最大のヒット曲、誕生秘話
のぶ「嵩さん、見て。ほら、血が流れゆう」 嵩「……手のひらを、すかしてみれば……真っ赤に流れる、僕の血潮……」 |
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朝ドラ「あんぱん」(NHK)は、第20週「見上げてごらん夜の星を」から舞台を芸能界に移している。やなせたかしをモデルとする嵩(北村匠海)が作曲家のいせたくや(大森元貴)と知り合い、その紹介で六原永輔(藤堂日向)の制作するミュージカルの美術を担当することに。いせたくやのモデルは、昭和のヒットメーカー・いずみたく。六原永輔のモデルは作詞家・放送作家の永六輔だ。
いせ役で、「ミセス」の略称で知られるMrs. GREEN APPLEの大森元貴が本格的な演技をさらりと披露し、話題になっている。J-POPアーティストの中でも突出した歌唱力を持つ“歌うま”な彼だけあり、劇中ミュージカルのタイトルでもある「見上げてごらん夜の星を」をアカペラで歌い上げたシーンは、いせは音楽監督で舞台役者ではないので設定上は無理がありつつも、さすがというべきところだった。
実際にも1960年ごろ、やなせたかしといずみたくは出会っている。「見上げてごらん夜の星を」の舞台美術をやなせが手がけたのも、史実どおりだ。やなせは、いずみを「たくちゃん」と呼び、いずみが1992年に死去するまで長く付き合い、信頼関係を築いた。やなせにとっては、親友と呼ぶべき存在だったようだ。
そして、冒頭のシーンのように、やなせが明かりに自分の手をかざしてみたことから、「手のひらを太陽に」の歌詞が生まれたことも事実である。それに、いずみが曲をつけ、紆余曲折を経て、現在では知らない人はいないというほどの国民的唱歌になった。
やなせの妻が「手のひら」を発見したわけではない
『日本童謡事典』(上笙一郎編、東京堂出版)は、「手のひらを太陽に」と同題のやなせの随筆からとして、こう引用している。
厭世的な気分に追い込まれた 時のことです。暗いところで懐中電灯で冷たい手を暖めながら仕事をしていました。ふと電球を手のひらにあててすかして見ると、真っ赤な血が見える! 自分は生きているんだという再発見と、その喜びを謳歌してがんばらなくちゃ! と自らを励ますためにこの詞を作りました。 |
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ドラマと違うのは、のぶ(今田美桜)のモデルである妻・暢のぶさんが最初に懐中電灯に手をかざし血管が透けると発見したわけではなかったこと。また、やなせは『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)には、こう書いている。
一九六二年、ぼくは佐野さんに頼まれてニュースショーの構成をしました。司会に宮城まり子。そしてぼくが作詞し、作曲をいずみたくに依頼したのが「手のひらを太陽に」です。 |
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