「あきらめると、うまくいく」受け入れ、受け流すためのコツ【藤野智哉】
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「KIDSNA TALK」第4弾は、著書「「いい加減」の処方せん」が話題の精神科医・藤野智哉先生をお迎えして、いい人になることをやめること、人に期待しないことなど、あきらめることの重要性についてトークします。
まず、私自身が心臓に疾患を抱えていることが大きく関係しています。小さい頃は、「なんでほかの子は走れるのに僕は走れないんだ」とか「なんでほかの子は水泳の授業を受けられるのに僕はダメなんだ」とずいぶん葛藤しました。
でもあるとき、「どれだけ悩んでもこれは変わらない」と思い至ったんです。
もう少し大きくなると、「走れなければ自転車でいいじゃないか」「乗り物に乗るなら自動車のほうが早いじゃないか」「泳げなくても浮き輪がある」と、できないものはできないと受け入れたうえで、どう対処していくか考えたときに、違った方向が見えてきました。「あきらめるとうまくいく」の根底にはこの考え方があります。
実は人ってどうにもできないことに囚われて悩んでいることが結構多いんですよね。どうやっても変えられないこと、たとえばものすごく暴言をはいてくる上司がいたとして、その上司はどうしても変えられません。
なので、そのことで悩むより、「職場にはそういう人がいる」という前提、あるがままをまず受け入れ、そのうえで部署移動を希望するのか、ご自身の捉え方を変えるのか、どうすればご自身が楽になるかを考えていきます。
たしかに、悩んでも変えられないと分かっていることについて、考えこんでループしてしまうことがありますね。
なにかについて深く考えたり悩むこともすごく大切なことですし、悩むことで解決策が見つかることであれば悩む時間も大事です。ただ、どこかで「これは悩んでも仕方ない」と切り替えていく観点も必要ですね。
続いて「いい人になるのをあきらめる」と書かれていますが、先生自身、日々さまざまな患者さんとどのように接しているのでしょうか。
まず「いい人」というのは、「誰にとってのいい人なのか」を考える必要があります。みんなにとっていい人になろうとすることは、必ずしもご自身にとっていいこととは限りません。
呼べば来てくれる、頼めばなにかしてくれるのは、周囲の人にとってはとてもいい人ですが、結局、「都合のいい人」と思われてしまうリスクがあります。あなたにとっての「いい人」とはそういうことですか?
なにか頼まれたときに即答するのではなくて、本当に自分がすべきことなのか、いったん考えてみてください。すべての人にとってのいい人になんて絶対になれません。大切なのは、「誰にいい人と思われたいのか」その基準をしっかり決めておくことです。
大人であればこの考えを理解し実行することもできると思いますが、子どもの場合、たとえば学校という組織やクラスの中で、真面目な子ほど都合のいい人になってしまっているのではないかと思います。
自分の子どもがそのような状況の場合、「みんなに優しく」と教えられている中で、「あなたがそんなにやらなくていいんじゃない?」とも言えなくて、なんと声をかけたらいいのかと悩んでしまうんですよね。
素直なお子さんほど、難しいかもしれないですよね。
お子さんの年齢にもよると思いますが、実際にこの考え方を理解するのはなかなか難しいと思います。とくに学校では「みんなに親切にしなさい」「いい人でありなさい」と言われて育っていますし、その考え方自体は間違いではいません。
ですから、そういうタイプのお子さんには、ある程度やってみて、しんどいなと感じたら、「まず自分を一番にしたうえで、できる範囲でしてみたら?」とアドバイスしてあげるだけで十分ではないでしょうか。
もし、本当に全員にとってのいい人になれて、自分もしんどくならないのであればそれは理想的かもしれませんが、そんなことは不可能ですからね。
精神科には、みんなにとっていい人になろうとして疲れてしまった人がたくさん訪れるので、お子さんがもし同じような状況で困っていたら、ぜひ助け船をだしてあげてください。
ご著書の中には「感情のままに突っ走ってもよい結果は出ない」とありますが、それでも感情が抑えられなくなったときはどのように対処すればいいですか?
それはアンガーマネジメントに近い話ですね。人間なので感情が出ること自体はおかしなことではありませんが、感情をどう表現すれば、それが有意義に使えるのか。もっというと、周囲からの見え方などを考える癖をつけるといいかもしれません。
たとえば、アンガーマネジメントでは「怒りがわいたら6秒数えろ」と言われていますが、実際に数えられる人はなかなかいないでしょう。しかし、今この場で怒りを爆発させたときにどうなるかを考えると、だいたいろくなことにはならないことが分かります。
「今この感情を有意義に使うにはどうすればよいか」を考える癖をつけると、考えているうちに6秒以上経過します。つまり、一瞬でもこの考え方を思い出せば、怒りは多少落ち着くでしょうね
怒りを出す前に一度立ち止まるための癖づけが必要ということですね。
もうひとつ、人はある出来事があったときにその事実とは別に、それに対して自分の感情による認識があり、それに対し行動をおこします。認知行動療法の考え方では、この認知を変えることで行動を変えることができる、または行動を変えることで認知を変えることができるといわれています。
たとえば、あなたはあいさつが無視され、腹が立ったあなたは「なんで無視するんだ」とキレる行動をとったとしましょう。
しかし、果たして「無視された」という認知は正しいのでしょうか。相手は聞こえていなかっただけかもしれませんし、そこには「返事がかえってこなかった」という事実があるだけで、「無視された」というのは自分が勝手に意味づけをしているだけなのです。
自動思考で出てきた感情に則って行動することが癖になってしまうと、ロクな結果になりません。そうならないためにも、なにか悲しいことや腹立たしいことがあったときに、「自分の認識があっているか」見直すことが重要です。
自分の考え方に疑いを持つというか、自分で突っ込みをいれるんですね。
日頃から「自分は事実や事象に対し少しうがってみる癖がある」と意識しておくと、いざというときに立ち止まることができます。自分の考え方の癖を知っておくことはすごく大事です。
誰しも人と比較してしまうことはあると思いますが、「自分と人とは違う」とあきらめることの重要性について教えてください。
他人というのは別の生き物だと分かっていても、同じ人間ではあるから、どうしても同じようなことを考えて、同じようなことをしてくれるんじゃないかと、ある種の期待をしてしまうわけです。
僕らがよく言うのは、それぞれの脳はMacとWindowsくらいスペックが違うということ。どちらが優れているという意味ではなく、OSが違えばできることは違いますから、MacにWindowsと同じことを望むのはそもそも酷というものです。期待を押し付けても無駄ですよね。
「こうしてほしい」「こうしてくれるはず」というのは、自分が勝手に思う「普通」を当てはめているだけで、そもそも共通認識の「普通」などというものは存在しません。
相手を変えることはできませんが、押しつけをやめることは自分サイドでできることです。
過剰な期待をしてしまうと、思い通りにならなかったときに、怒りや悲しみが出てしまいますが、「自分が無意識に期待している」ことを知ることで、余分な感情にまどわされずにすみます。
とくに家族など近しい存在は、慣れてくるとだんだんと同じように考えているはずと思ってしまいがちですね。
たしかに、長く一緒に過ごしていると、阿吽の呼吸のようなものもあります。ですが、長年連れ添った夫婦でも熟年になりケンカが絶えず離婚にいたるケースもあるわけですから、違う人間だということは忘れてはいけませんね。
俯瞰で考えたり、いったん思ったことを自分の中に戻したりする作業が必要ですね。
人は考えるより先につい動いてしまうものです。それは必ずしも悪いことではありませんが、そのせいでいつもうまくいかないと感じる方は、これらのティップスを少しずつ意識していくと、自分を変えられる可能性はありますね。
もちろん僕自身、完璧にできているわけではありませんし、すべてを実践する必要もないと思います。「これを絶対やらなきゃいけない」と思ってしんどくなっては本末転倒なので、自分が使えそうなものを頭の片隅に置いて、ちょっと試してみるみくらいの感覚がいちばんよいでしょうね。
次回のKIDSNATALKは12/15更新予定!お楽しみに!
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2021.12.08
今回はまず、あきらめる大切さについて伺っていきたいと思います。著書にも「あきらめるとうまくいく」と書かれていますが、その考えにいたった背景を教えてください。