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【天才の育て方】#20 小林都央~選択的登校で創作を諦めない12歳のクリエイター
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KIDSNA STYLEの連載企画『天才の育て方』。#20は小学校2年生で人口の上位2%のIQを持つ人たちが参加するJAPAN MENSAに認定され、孫正義育英財団の6期生でもある小林都央さん。プログラミングや3Dアニメーションなど日々数々の作品を生み出す都央さんと、ギフテッドの子どもを育てる母親の思いを紐解いていく。
「まだ見ぬサービスや見たことのない物を作ってみたい」
「将来やりたい仕事は、今、実現している」
こう語るのは、小学校2年生でJAPAN MENSAに認定されたIQ154の小林都央さん。(以下、都央さん)。
2012年生まれの彼は、5歳の頃から元素記号に興味を持ち、4年生の時に英検準1級、6年生で漢字検定準1級に合格するなど、幼少期から異彩を放ってきた。複数のプログラミング大会での受賞など、多岐にわたる才能を発揮し、ChatGPTがリリースされるよりも前にAIを用いた言語生成アプリの開発も手掛けた。その才能を見出され、孫正義育英財団の6期生としても活躍中だ。
今回は、日々3Dアニメーションや作曲を行っている都央さんの原動力や今後のビジョンに迫る。さらに、学校生活と創作活動を両立する選択的登校にたどり着くまでの道のりをお母さまに聞いた。
動画版はこちらから
選択的登校で創作活動に熱中する
――都央さんの一日の過ごし方から教えてください。
都央さん:6時頃に起きて、近所の公園で行なわれているラジオ体操に参加し、7時頃に帰宅してから、少し勉強したり新聞を読んだりして朝ごはんを食べます。学校に行く日と行かない日を自分で決める「選択的登校」をしているので、体調や時間割を見ながら今日はどうするかを選択します。
学校に行かない日はパソコンで2、3時間作業をしたり、所属している海外のオンラインスクールで授業を受けたりする他は、目を休めたり、外に出て散策したりという生活をしています。
――プログラミングや3Dアニメーションなど様々な創作活動を行なっていますが、何がきっかけだったのでしょうか?
都央さん:5、6歳の時に父からお下がりのパソコンをもらったことがきっかけです。その頃に見たテレビ番組で、小中学生向けのプログラミング言語であるScratchが紹介されていて「おもしろそう!」と思いプログラミングを始めました。
それから、ピクサー映画などを見ていて「3Dでこんなふうにものづくりができるなら、自分も作ってみたい」という思いが溢れて。3DCGソフトの候補を自分で調べてメールで父に送り、相談しながら無料かつ高品質で使えるBlenderというソフトウェアを使うことにしました。
都央さんのYouTubeチャンネル『Tozaburo-3D』で公開されている作品「TraBALL」
作曲を始めたきっかけは、クリスマスプレゼントとして買ってもらったピアノです。自分で作曲をしている人が動画で「作曲の始め方」を投稿してくれたので、その動画を見て作曲を始めました。
――都央さんが楽しいと感じるのはどんな時ですか?
都央さん:思いついて取り掛かった時。やり始めが一番楽しいです。
僕の短所は短気なところなのですが、やり始めてしばらくすると次第につまらなくなってきて「やーめた」となってしまう。そうして途中で終わってしまった作品が100個以上あると思います。
――学校と創作活動の両立は大変ではなかったですか。
都央さん:大変でした。創作を始めたばかりの頃は、それほどやりたいことがなかったので問題なく両立できていたのですが、次第に作りたいものが増えてきて、全てに取り組むことができなくなってきました。
そのため、自分の中で重要度の折り合いをつけながら、ほどよく学校に行って、ほどよく勉強して、ほどよく自分の時間をとって、バランスよく行なっていきました。
自分の「好き」を発掘する才能
――ここからはお母さまにもお話を伺います。どのように都央さんの才能に気付いたのでしょう?
母:みなさんが発掘してくれたというか、周りの方に「すごいね」と言ってもらって気付きました。
それまで、全く気になっていなかったけれど言われて見れば確かに気になる「不思議なことに気付くおもしろい子」だなと思っていました。
2歳くらいの頃に運動教室に通っていて、他の子どもたちがボールで楽しく遊んでいる中、うちの子はずっとボールの空気穴をチョンチョン触っていて(笑)。その後も「運動しようよ!」と促し、運動系の習い事を勧めましたが、どうしても自分の気になることに戻っていく……ということを何度か繰り返して根負けしました。
都央さん:水泳、テニス、書道と数々の習い事をしましたが、ボロボロでした。
母:ことごとくね(笑)。与えたものは全部ダメ。自分で発掘してきたものだけを続けています。
都央さん:残念ながら……そうです。それだけ熱中していたんですよね。
――ある時からお母さまの方が根負けして与えるのを辞めたということですね。
母:3Dは自分で発掘して今も楽しくてやっていることなんです。
ただ、機会は与えてあげたいなと思っています。彼はインターネットで情報を得ているのですが、それだけでは機会提供できない部分があるので、その点を意識しているくらいですかね。あとは「早く寝なさい」と言っているくらいです。
――都央さんがIQ154あるとわかった時、率直にどう思いましたか?
母:IQを知りたくて測ったというよりは、「少し他の子と違うかもしれない」と感じていた頃に、スクールカウンセラーの先生にテストを勧めてもらって受けることにしたんです。
それでどうやらIQが高いらしいことがわかったのですが、「喉が痛いのは風邪をひいたから」と診断されるように原因が数値化されただけのことで。
都央さん:ふーんって感じだよね。熱が出たのはインフルエンザのせいか、みたいな。
母:そうそう。都央にとっては、ありとあらゆるものが謎なんですよ。ひたすら「なんで?なんで?」と聞かれていました。ある時期から私よりもインターネットの方がよく知っていると気付いたようで、自分で調べてもらっているのですが。
都央さん:「なんで?」を連発していたら答えられなくて疲れちゃったんだよね。
母:答えられないよ(笑)。
都央さん:「自分で調べてノートに書き留めなさい」と言われて、Whyノートと名付けたノートを使っています。
親子で考えた「どうして学校に行くんだろう?」
――都央さんは選択的登校をされていますが、一般的な学校生活への適応が難しいとわかった時、どう思いましたか?
母:息子と一緒に「どうして学校に行くんだろう」とずっと考えていました。学校からつらそうな表情で帰ってきた時も、彼の気持ちの全部をわかることはできないので、想像することしかできません。でも、つらそうだということは理解したい。
ルールが多かったり、拘束時間が長かったり……すごく疲れるし嫌だよね、と。私も同じ立場だったらそう感じると思うんです。サラリーマンだって毎日毎日、疲れる仕事に行くのはつらいですもんね。
好きなことをやっていたいという気持ちは、すごく正直だと思います。全てがいいことばかりというわけではないけれど、彼が笑顔を見せてくれることがすごく嬉しいです。
――選択的登校を取り入れるまでに、どのような話し合いがあったのでしょうか。
母:まず学校の先生がいろいろ教えてくださったんです。「学校でしんどそうにしていますよ。無理をしないで休んでみては?」といったことをお話いただいて。それで状況が変わってきましたね。
都央さん:母と父を含め、いろいろな人に恵まれました。
4年生の担任の先生がすごく寛容な先生で、僕がつらそうにしていた時「図工の時間は休んでいいよ」と声をかけてくれました。5、6年生の図工の先生も僕のいろいろなことを認めていただいて、個性を爆発させたような作品も受け入れてもらえたので、図工の授業が楽しかったです。
母:学校や周りの方に恵まれたと思います。夫も「学校に行かなければダメだよ」というタイプではないし、先生も「絶対に来てね」という感じではなかったので、運がよかったのかもしれません。
でも、選択的登校をうまくやりこなした彼が一番大変だったのだろうと思います。
都央さん:具体的な言葉以上に、僕を認めてくれたことが何よりも嬉しいことでした。母が「今日は学校行かないでおこうか」と言ってくれたことが本当にありがたかったです。
心から熱中する息子を尊敬する
――都央さんをどのように育てていこうと思いますか?
母:以前も今も変わらず、元気に明るく過ごしてほしいなと。ただ、好き嫌いは明確にあるので、好きなことをさせて嫌いなことはあまりさせないようにしています。
交渉したり、周囲の協力を得たりすることは大人が間に入ってやってあげようと思いますが、つらそうな顔をさせてまで無理やりやらせる必要はないと思っています。やらなくてもいいことは、なるべくさせない方がいいかなと。
私と夫の子なので、想像を超えた天才になるわけではないと思っていて。過度な期待をされるのは大人でもつらいことなので、彼らしく日々を楽しく過ごしてくれればいいと思います。
――都央さんの才能を活かすために心がけていることはありますか?
母:たまたま都央のことを見つけてくださった方がいて運がよかったと思いますが、それまでは一人で黙々と作り込んでいる子だったので、特に変わったことはないですね。心身が健康であれば、あとは特に望むことはありません。
――多くの保護者は、わが子が“普通の子”と少し違うと思った時に焦りを感じると思います。お母さまがそう思わないのはなぜでしょうか。
母: 私は若くして彼を産んだわけではないので、いろいろ見てきているんですよね。もしかしたら、もっと若い頃に彼を産んでいたらいろいろな期待をかけていたかもしれません。
でも、それって幸せなのかな? と思います。いろいろな人生を見てきた分、多くを望まないのかもしれないですね。
それに、人生の中で好きなもや熱中できるものがないことは、本当につらいし寂しいことです。だから、こんなにも熱中できるものがある彼のことを尊敬しています。
学校やその後の社会生活で、協調性を持って周りに合わせる環境では、自分が好きなものを貫き続けることがすごく難しい。そのうちに自分が心から好きなものが何なのか、わからなくなってしまうんです。
成績や才能など他者に評価されることではなく、生きていくうえで「熱中できるものがあること」こそ幸せです。そのため彼自身の日々の熱中を奪ったり、制限したりしようとは思わないですね。
天才に聞く天才
――都央さんにお聞きします。都央さんが思う「天才」とはどんな人でしょうか。
都央さん:たとえば、興味関心が数学に向いている子は数学を極めて、数学オリンピックに出場し「天才」と呼ばれる。でも、折り紙がすごく得意だとしても、数学ほど「天才」と言われることはないじゃないですか。また、運動がすごくできたとしても、運動神経のいい人であって「天才」とは評価されにくいですし。
周りの人が「天才」と評価しやすいことに興味を持っただけの“運”なのかなと思います。
将来の夢は今、叶える
――最後に将来の夢を教えてください。
都央さん:将来の夢はないです。それは、やりたいことがないというわけではなくて、職業にとらわれずに活動できたらいいなと思っているのが理由の一つです。
一つの職業に就いたら、それしかできないですよね。でも今、僕は3Dもやっているし、プログラミングもやっている。作曲もやっているし、漢字についても興味があって調べています。
それが全部できる職業なんてないじゃないですか。だから定型の職業に就かずに僕は小林都央として生きていきたいです。
それに将来やりたい仕事は、今、実現しているんですよね。いつかアプリを作りたいと思ったら今アプリを作っているし、将来音楽を作りたいなと思ったら今作ってしまうので。
将来の夢は「今やりたいこと」として昇華されているので将来の夢がない。それがもう一つの理由です。
ただ、まだ見ぬサービスや見たことのない物を作ってみたい気持ちはあります。それを社会の役に立てることができたら幸いです。
編集後記
都央さんの作品群を見ていると、その自由な発想に驚かされる。彼の日々の創作活動には「家族」という安心できる基盤がきちんと育まれているからこそ、どこまでも自由な表現が生まれるのかもしれない。お母さま同席の取材で親子間の思いやりに触れた取材だった。
また、取材時の適格な言葉選びの他、原稿確認のやり取りなどを小学6年生の都央さん自らが行なうことに編集部一同驚かされた。春からの中学校生活も楽しみだと語る。
「与えられたものではなく自分で見つけたものを」「小林都央として生きていきたい」と自らの道を切り拓いていく過程に触れ、これからも都央さんにしか創れないものを生み出し続けてくれるのだろうと感じた。
<取材・執筆>KIDSNA STYLE編集部