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グローバル化やAI社会を見据え、2020年にスタートした教育改革。いち早く産官学との連携を進め、最先端の教育改革に取り組んでいる自治体として、埼玉県戸田市が注目を集めている。第3回は前回に引き続き、戸田市の教育改革と日本の教育の未来について戸ヶ﨑教育長にインタビュー。
第1回、第2回ではICTを活用した学習の実践校として、埼玉県戸田市立芦原小学校の校長 藤川英子氏にコロナ禍から現在までの話をインタビュー。そして第3回では、戸田市教育委員会 教育長の戸ヶ﨑勤氏に、戸田市がこれまでに辿ってきた教育改革の道筋について聞いてきた。
最終回となる今回は、教育改革の大きな取り組みである「SEEPプロジェクト」とはどんなものなのか、そして戸田市が目指す未来の教育について聞いていく。
教師ひとりの力に頼らず“教育を科学する”
「SEEPという言葉は、英語で『浸透する』という意味です。教育の世界にじわじわと着実に着実に浸透していくという意味を込めてSubject(教科教育)、EBPM(Evidence-based Policy Making)、EdTech(Education×Technology)、PBL(Project-based Learning)のアクロニムをとってつけました」
戸田市が現在、SEEPプロジェクトの中でも力を入れているのがEBPM。エビデンスベースで教育政策を考えるためには、当然ながら根拠となるさまざまなデータとその分析が必要になる。
「ICTを使うと本当に学力が上がるのかということが議論になったとき、今の段階では日本国内で明確な事例やエビデンスは出ていないんです。
学力が上がるに違いないという思いを持っている人はたくさんいるのですが、もっと検証が必要で、そのためには何年分ものデータをとって経年変化を分析する必要がある。現状ではまだその難しさがあります。
今行っているEPBMによる効果検証は、何が一番効果的だったのかということが図れるような基盤作りです。学力調査においても単なる偏差値や順位ではなく、IRT(項目反応/項目応答)理論などを使いながら、学力が本当に伸びたのかどうかを計測し、客観的な根拠に基づいた政策を行っていきたい。
たとえば、IRTを使っている埼玉県学力学習状況調査の結果をもとに子どもの力を伸ばしたのはどのような教師で、どういう指導に力を入れたのか、などがわかる基盤を作りました。これに、大学や研究機関などと連携した他の調査のデータ分析を掛け合わせるなどして進めています。
これは私の造語ですが、『Class Lab』、学級そのものを実証の場にすることが大切だと思っています。学校や教室の中に企業や研究者に積極的に入ってもらい、実際に見てもらって知のリソースをどんどん活用して、教育活動の充実につなげていく。この改革の柱は教育委員会と学校、そして産官学とで共有し、理解し合っているので、目指すところに向かって協働できているんです。
このEBPMによって、Subject(教科)の子どもたちに身につけさせたい力が何か、そして何を学ぶか、どう学ぶかといったことを決める段階に結びついていきます」
調査分析のために外部機関やアドバイザーとも連携
EBPMの取組においては、実践事例やアンケートの分析等の定性的な質的研究、統計データの分析による定量的研究の2つを行い、教育の実態把握や、教師の匠の技の言語化・可視化・定量化による授業改善などにつなげている。
「AI社会においてはデータサイエンスが非常に重要になると言われていますが、教育においても同じ。エビデンスベースの教育を進めるため、戸田市では教育政策シンクタンクという新しい組織を、教育委員会の中に作りました。
教育委員会に所属する職員が作るEBPM推進担当チーム、データサイエンスや教育経済学に関する専門家からなる外部アドバイザー、外部機関とが連携して、さまざまな調査分析をしています」
外部機関との取組のひとつに、国立情報学研究所と戸田市教育委員会の共同で行っているリーディングスキルの育成がある。市内すべての小学校6年生と中学生、さらに希望する教師を対象にリーディングスキルテストを実施し、結果を分析。埼玉県学力・学習調査との相関や、リーディングスキルが高い生徒の学習状況などを研究している。
「リーディングスキルは、そのまま読むと読解力。でも単なる文章を読む力ではなくて、事実を事実としてきちんと理解できるかという力を見ています。
これを科学的に分析して分かってきたのが、学力調査の点数は高いのに、リーディングスキルが低いという子どもが少なからずいるということ。つまり問題の解き方はわかってテストの点は取れているけれど、その意味や論理は理解できていない可能性があるといいうことなんです。こうした子どもたちはやがてつまずいてしまう可能性があるのではないか。
こういった子どものリーディングスキルを上げるためには、長い文章を読み取って自分の考えを書いたり、条件不足や条件過多なものを読み取って図に表現したりするなど、日々の授業で小さな改革を着実に実践していくことしかない。これを全部の教科でやろうという取り組みをしています。
この他にも、教育政策シンクタンクには必要に応じて、社会学、医療工学、教育工学などさまざまな外部の専門家の知見を取り入れていこうと考えています。
教育政策シンクタンクの中には、法律に関する専門家として個人情報の権威の方、教育学博士でもある方の2名の弁護士を委嘱しました。こんな心強い体制はなかなかないと思います」
GIGAからTERAへ。スマートシティでの1人1台
――現在、戸田市の目指していることはどんなものですか?
「今、文部科学省の方では、学校の中で1人1台のPC環境を実現する“GIGAスクール構想”が推進されていますが、戸田市ではギガのひとつ上の単位であるテラを掲げて“TERAホーム&スクール構想”というのも構想しています。
学びというのは学校の中で完結するものではない。今回のコロナ禍の状況を考えてもそうですよね。
仮に教師や子どもが学校に来られなくなった事態が生じても、教師の自宅から子どもの家庭へ、つまり“外から外へ”つながる環境を整えることも必要。教師が自宅から発信することは、戸田市ではすでに可能になっています。
ただ問題は、すべての家庭にパソコンやWi-Fi環境があるわけではないので、そういう家庭はどうするかということ。今回の休業期間においては、パソコンがない家庭にChromebookの貸し出しを行ったのですが、これにもまだ課題はあります。
市のものを一般家庭に貸し出すという概念がこれまでなかったので、壊れたときに弁償はどうするのかなど、役所は規則や条例などで細かい決まりを考えなきゃいけない。しかし、今日は緊急事態下だったので、まずは貸し出しを優先しました。Wi-Fi環境の整備に関しても、全国でもうまくいっている自治体はなかなかないんですよ。このあたりは今構想を練っている段階です」
目指すは電子国家エストニアの学び
――国内で最先端の教育改革を進めている戸田市ですが、目標とするモデルなどはあったのですか?
「戸田市が目指すひとつのロールモデルとしては、ICT環境の充実したエストニアが挙げられます。」
教育大国として知られるフィンランドの南に位置するエストニアは、IT立国化を国策として進めており、さまざまなサービスや仕組みが電子化されている。新型コロナウイルスの流行が起こるはるか前から学校でのオンライン学習など世界最先端レベルのデジタル社会を既に構築していたため、コロナ禍においても子どもたちの学びが中断されることはなく、話題になった。
「さきほどTERAホーム&スクール構想の課題としてあげた各家庭のパソコンやWi-Fi環境の問題が、エストニアではとっくに解決されている。BYOD(Bring Your Own Device)といって、私的デバイスを学びのツールとして活用できるようなシステムが、子供が学校に入学するころにはしっかり整えられているんです。
学校はもちろん1人1台のPC環境で、さらにクラウド上で家庭のデバイスと同期されているから、端末を持ち歩かなくても学校と家庭で学習内容等が共有できる。そういう環境が当たり前な中で子どもたちが育っているので、今回のコロナ禍でも慌てずに対応できたと言われています」
――学校の中と外を自在につなげられる、まさに戸田市が理想とする学習環境ですね。
「なぜエストニアがそこまで電子化を進めることができたのか、詳しい方がいらっしゃったので、聞いてみたんです。
そうすると、エストニアというのは1991年にソ連から独立した国だから、国民全体がハングリー精神の塊だと。自分たちが手を抜いたらロシアに占領されるという危機感があって、教育に力を入れて国を立て直していかなきゃいけないという意識が強い。
何か緊急事態が起こったときに『私はできない』というわけにはいかない。情報共有などすぐ対応できるような環境にしておかなきゃいけないという意識が国民の中に浸透しているそうなんです。この問題意識が日本とは全く違う。
戸田市でもまずはスマートシティを早く実現できるとよいと考えています。家庭のWi-Fi環境についても、ガス電気水道と同じインフラだという考え方をしていかなきゃいけないでしょう。
そのためには、教育委員会だけでなく部局間連携や市民の方々の理解を深めていくことが不可欠です。限られた予算の中でそれをどう実現するかということは今後の課題ですが。」
――ただ環境を整えるだけではなく、問題意識や目的意識を国全体で共有することが重要になると思います。
すべての子供にAI時代の個別最適学習を
「戸田市では多くの学校の校長たちが『子どもたちに一日も早く1人1台PCの実現を』と言っています。全国的にはそこまで言う学校って意外に少ないんです。
日本のICTが世界に後塵を拝しているというのは、まさにこういうところにも言える。子どもたちのことを真剣に考えたら、これから子どもたちが出ていく世の中では、ICTはマストアイテムなんです。それを活用する授業等を学校教育の中でやっていなかったら、困るのは子どもたち。そこに危機意識と目的意識を持ってやってほしい」
――最後に、日本の教育の未来はどうなっていくと思いますか?
「戸田市の教育は日本の未来の教育を先導するファーストペンギンであるという意識をもってこれからも学校と一丸となってやっていきたい。
近い将来、学びの履歴・スタディログなどをデータ化し、定量化する。それを分析して、学びを効果的・効率的に進めていく。これは文部科学省でも最近検討が始まっていて、研究も間違いなく進んでいくと思います。
国も『誰一人取り残すことのない個別最適化された学び』ということをキーワードにしていますが、そのために知識・理解・技能の習得は積極的に個別化・デジタル化したい。AIが適切な問題を出して、個に応じて速い子は早く、ゆっくりの子は時間をかけて進めていく。
この効率化や個別化が進むと、学習指導要領で本来この教科は10時間と時数が決められているところが、7時間で終わるかもしれない。その浮いた時間をPBL(プロジェクトベースドラーニング)で正解がない学びを展開することができます。
正解がない学びというのは、身近にたくさんあります。ゴミ問題や洪水対策を考えるとか、コロナ禍での災害時の避難所運営を考えるとか、こうした課題にICTをフル活用し、協働的に、そして時には専門家の知見をもらいながら取り組んでいくことが未来の学びであって、こういう時間を作りたい。
“脱・正解主義”“脱・自前主義”“脱・予定調和”を進めて、子どもたちからあっと驚くような意見や考え方がどんどん出てきて、それらを大いに議論する学びをやりたい。これはそんな遠い世界の話ではなくて、今後日本でも主流になってくるものと考えています」
黒板とチョークが当たり前だった教室を変え、すぐそこにあるAI時代という未来を見据えた教育界へのイノベーションを起こした戸田市教育委員会。
これまで伝統や慣習に閉ざされていた学校をオープンにし、教育委員会の内部と現場の教師たちの意識改革、そして外部の企業や研究者、有識者との協働によって変化する社会のリアルを教室に取り込み、子どもたちと結び付けた。
目の前の社会に受け身でいるのではなく、子どもたちの未来を見据えた教育。たくさんの人々を巻き込んだエビデンスベースの効果検証や新しい学びの創造。今、そして今後も他の自治体の教育のロールモデルになっていくものだと確信した。
<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部