こちらの記事も読まれています
【学びのカタチ】思考力、共生力、自由を手に入れるための「こども哲学」
Profile
2020年の教育改革を控える新時代には、親である私たちが受けてきた教育があたりまえでなくなるのかもしれない。これからの子どもたちに必要なのは、どのような教育なのか。この連載では、テストや成績、運動神経では計ることのできない独自の分野で子どもの能力を伸ばす、新しい「学びのカタチ」について紹介する。第3回目は、子どもから大人まで年齢を問わない哲学対話を実践する「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」代表、角田将太郎氏に話を聞いた。
子どもが体を使って感じる「哲学」
“哲学”と聞くと、どんなイメージがあるだろうか。
私たちの生活にあまり馴染みのない、むずかしそうな学問だと感じてしまう方もいるかもしれない。
「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」代表の角田将太郎氏にまず、“哲学”とは?と聞いてみた。
「哲学と聞くと、今の保護者さんの世代だと大学で初めて触れるものというイメージを持っているかもしれない。哲学者の名前とかその人がどんなことを考えていたのかをレクチャーされてきたのかと思うのですが
僕らが考える哲学は、シンプルなもの。
哲学者の名前や知識を学ぶということではなく、そういうのを抜きにした状態で日常の中で、あたりまえだと思っていることを問い、考え、話を聞く中でもう一度考え直す。 自分たちがモヤモヤすることについて自分の素直な考えを出して質問したり話したり、人の話を聞くことや、からだを動かして、遊びの中で湧き上がる質問や疑問をみんなで考える。 それを哲学と呼んでいます」
特定非営利活動法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(以下、アーダコーダ)は、子どもと、もしくは大人同士で正解のない問いについて「哲学対話」をすることを提供するNPO法人。イベントや学校などでワークショップや授業を担当し、哲学対話の普及を目的とするさまざまな活動をしている。
2019年夏には、森美術館で開催された塩田千春「魂がふるえる」展のサイドイベントとして哲学対話を実施。子どもからは「魂と命はどうちがうのか」「すごい芸術とはなにか」などの問いがあがったという。
「子どもには、体を使って哲学を感じてもらうことを大切にしています」
アーダコーダは独自のカリキュラムとして体を使うワークショップを通して疑問を促すきっかけを作り、子どもたちの問いを引き出す実践をしている。
「問いって何か活動しないと出てこないもの。素材はなんでもよいのです。共通で体験できる活動をし、そこで出た問いを出し合う。出てきた問いを取り上げて、『なんでだろう?』とみんなで考える。
問いに対しての答えを求めたくなるのですが、答えのないことが答え。みんなでたくさん考えることができたね。と考えた結果よりも考える行為をアーダコーダでは大切としています」
アーダコーダが実践するこども哲学について話を聞いた。
なぜ子どもに哲学が必要なのか
一見、哲学は日常生活や子育てからは遠いように思える。なぜ子どもに哲学が必要なのだろうか。
子どもの「なんで?」を受け止める場所
「子どもって、なんで?とか、どうして?とよく問いかけてきますよね。頭の中にたくさんの問いを持っているのです。
でも、それをすべて受け止めることは難しいですよね。
こども哲学は、そんな子どものなにげない問いを全て受け止める場所なんです」
子どもと一緒にすごす時間、私たち大人は子どもの「なぜ?」にどれくらい向き合えているだろうか。
大人の気持ちに余裕がない時、決まった時間内でやるべきことがある時、子どもが「なんで?」と問いかけてきたことに対して、つい「あとでね」「今はそれ、関係ないでしょ」と、自然に湧き上がる子どもの疑問をつぶしてしまっていないだろうか。
問いを持ち続けることの大切さ
ーー子どもの問いを受け止めることに、どのような意味があるのでしょうか?
「子どもが『なぜだろう』と疑問を持つことを、億劫に感じないようになります。
学校や社会生活の中で、疑問を持ちそれを質問することがポジティブに受け止められないことが、大人になるにつれて増えていきますよね。そのうち、疑問を持つこと自体を億劫に感じてしまう。
でも、心の中に問いを持ち続けることは、とても大切なことだと思います」
アメリカから始まった「こども哲学」
ーー「こども哲学」はどのように始まったのですか?
「20世紀後半にアメリカで始まった活動です。それが日本に伝わってきたのは90年代で、それからちょっとずつ全国に広まり2010年あたりからこども哲学という言葉の知名度が高まってきました」
ーーまだ新しい分野なのですね。
「はい、まだまだこれからだと思っています。2014年、こども哲学の実践者を増やす目的でアーダコーダが設立されました」
実際に学校などの教育現場でも徐々に教育プログラムとして導入され始めている、こども哲学。アーダコーダが実践するこども哲学のワークショップとはどのようなものなのだろうか。
こども哲学による、親子の化学反応
「親御さんにもできるだけ一緒に参加してもらったり、その場にいてもらうようしています」というアーダコーダのワークショップ。子どもや親の反応について聞いてみた。
問うことで世界を知る
ーー実際のワークショップの内容についておしえてください。
「たとえば、子どもが自由に紙コップを使って好きなものを作り、それについて質問したり、考えたりするワークショップがあります。
ある時、紙コップ100個ぐらいをつなげて丸くして、輪にした子がいたんです。それを見て僕が『蛇?』って聞くと、『これは池なんだ』という答えが返ってきました」
「作品だけを見るとよくわからないものでも、なんでこうなってるの?と問いかけると、その子なりの世界が広がっているのがわかります。
問うこと、対話することで、自分には思いつかなかった発想に驚かされる。それがこども哲学のおもしろいところです」
大人が子どもに教えられる
ーー親子で一緒に哲学に取り組むことで、どんな影響がありますか?
「親子が、教える(親)・教えられる(子ども)という関係ではなくなることがあります。むしろ逆転して、親が子どもに教えられる立場になったり…。
答えがすぐに出ないような問いに関しては、大人の方が子どもにヒントをもらって考えさせられることも多いです」
たしかに、「こうあるべきだ」という固定観念がない子どもの方が、物事をシンプルに捉えることができるのかもしれない。それを子どもに教えてもらうことで、私たち大人は既存の「あたりまえ」を新しく塗り替えるきっかけをつかめるのではないだろうか。
子どもが、相手を知るために対話を始める
ーーそういった哲学対話をすることで、子どもにどんな変化がありますか?
「子どもが自分の考えを素直に話せるようになったり、自信を持って発言できるようになります。それから、3~6歳の子どもでも友達に『どう思う?』と質問できるようになったりします。
友達に興味を持って、問い合って、お互いの考えを知って仲良くなる姿もよく見ます」
ーー自分の言葉で話したり対話することは、大人でもむずかしいかもしれません。
「答えが1つではない問いだから間違えてしまう恐さがない。いろんなワークを通じて、心も身体も自由になった状態で対話を始める。だから、恥ずかしい気持ちや緊張を乗り越えて、子どもが自分の考えを素直に話せるようになるんだと思います。
それに対して、僕やほかの子どもたちが『どうしてそう思ったの?』と質問して、また答えてと対話を繰り返していくうちに、発言した子ども自身も、自分の考えがどんどんわかっていくようなイメージです」
自分の言葉で考えて、他人と対話する。幼児期からその実践を積み重ねることは、子どもにとって貴重な経験になるだろう。
哲学との出会い
哲学はとても新鮮で楽しい!と言う角田氏。どのように哲学やアーダコーダに出会ったのだろうか。
「大学に入って、脳科学を研究したら人の心がわかるのではないかと思いましたが、勉強していくうちに、自分の問いとは少しずれていると感じるようになりました」
そんな中、出会ったのが哲学だった。
脳科学から哲学へ
「脳科学の研究をして人の心をわかろうと意気込んでいましたが、どんなに脳みそのことがわかっても、人の心はわからないんじゃないかと思うようになりました。
そんな大学1年生の時に、哲学の教授に出会ってはっとしました。自分の問いは、哲学なんだということに気づいたから」
そうして哲学のことを知れば知るほどその楽しさにのめり込んだが、それと同時に哲学の堅苦しいイメージも気になり始めた。
「大学で哲学を学んでいることを友人に話すと『え、大丈夫?』『それで稼げるの?』と聞かれたことが何度かありました。哲学ってむずかしくて実社会であまり役に立たないイメージがあるんですね。
そのイメージを変えたくて、実社会で子どもや大人向けに哲学対話を実践しているアーダコーダに、インターンとして参加しました」
そうして大学卒業後にはアーダコーダの事務局に務め、2019年7月より団体の代表理事に就任した。
自分のルールに社会を合わせていく
「社会には、納得できないようなルールもあるじゃないですか。その社会のルールに自分を合わせるよりも、まずは疑って考えてみる。そしてルールが自分に合わないなら、自分に合った環境が何かを考え、それを探し求める。そういったスタイルが現代には求められているし、その方が生きやすいと思うんです。
それを探したり、実行することが好きだし、そういう人を見るといきいきしているなと感じることができる」
私たちは、子育てや仕事など日々のあらゆる場面で、自分のルールを大切にできているだろうか。わがままを通すという意味ではなく、問いを持ち続け、自分の言葉で考えることは、これからの社会を生き抜くうえで、とても大切なことかもしれないと感じた。
子どもの未来と哲学
今の子どもが大人になるころにはどんな社会になっているかを質問してみた。
多様化する社会では対話が必要
「まず、日本に外国人が増えるだろうし、日本人が外国で働くことも増えて、生活や文化が違う人たちと関わる機会が増えると思います。
異質な他者をどう受け止め、共生していくか。子どもたちにはその力が必要になるのではないでしょうか。
そのときに、『違うから無理』と退けるのではなく、その違いを楽しめることが大事。そのためには、自分があたりまえだと感じていることが、他の人にもあたりまえだとは限らない、という気持ちや態度を持っているかどうかが重要だと思うんです」
あたりまえを疑うという哲学的発想が、ここで活きてくる。
違いを受け入れ、おもしろいと感じられる力
ーーそういう意味では、哲学を実践した経験は、子どもの未来にも大きく関わってきそうですね。
「はい。こども哲学の前提が『他の人はぜんぜん違う考え方を持っている』ことにあり、『その違う考え方を聞くことはおもしろい』ということを大事にしています。
お互いに話して、なんで?って問い合うことで、『その考え方の根底にはそんな見方があったんだ』と気づくことができます。そしてそれでも受け入れられないのはなぜなのか、と自分の考えに気づいたりします」
他者を知り、自分を知る。こども哲学を実践することによって、子どもの心に人間への興味が根付くのではないか。
対話によって生まれるものを大事にしたい
他者との違いをおもしろいと感じる力だけではなく、対話するスキルや勇気が身につきそうなこども哲学。これからのアーダコーダやこども哲学について聞いてみた。
哲学によって自由になれる
「アーダコーダがしていることは、これまでもこれからも、子どもや大人を自由にすることだと思っています。
あたりまえのことがあたりまえじゃない、ということに気づくと、それまで自分の思い込みに囚われていたことにも気づき、自分の中で思考の可能性が広がっていきます。
そして、哲学を実践する時間を持つことで、子どもたちは問う力を持ったまま生きていけるのではないでしょうか。問うという体験や力を失わずに済むと思います」
あたりまえを問い直して、新しいあたりまえをつくる
ーー角田さんと話をしていると、大人になっていろいろなことがあたりまえになっていて、問う力を失っているかもしれないと感じました。
「哲学によって自由になり、どんどん新しい『あたりまえ』を作っていくことができます。その『あたりまえ』も固定的なものではなく、どんどん更新され続けていくもの。
子どもたちは哲学を通して、問いを持ち続けることの大切さと、それを受け止めてくれる大人や一緒に話せる仲間がいることを感じます。
なので、僕たちは問いに対する答えや結論を出すことより『たくさん考えたね』という過程を大切にしています。
哲学って閉じこもってるイメージがあるからもったいない。本当はもっと楽しいものなのです。
アーダコーダではこれからも、みんなで話すことによって生まれるものや、みんなで問うことを大事にしていきたいです」
アーダコーダの学びのカタチ
新しいあたりまえ、自由になること、対話で生まれるもの。決して饒舌ではないけれど、ひとつひとつの言葉を大切に語る角田氏の話を聞いて、考えることがどんどん楽しく、そして深くなっていくのを感じることができた。
アーダコーダのワークショップで哲学を実践する子どもたちも、きっとこの深く考えることの心地よさや、他人と対話し分かり合うことの喜びを日々感じているのだろう。
哲学という一見難解な学びが、子どもたちの強い軸となり、未来をより自由で楽しいものにするのかもしれない。
<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部
記事情報が参照できません