脱ルッキズムのために保護者ができることとは?【山崎ナオコーラ×矢吹康夫/前編】

脱ルッキズムのために保護者ができることとは?【山崎ナオコーラ×矢吹康夫/前編】

見た目に関する差別や偏見を指す「ルッキズム」。いまだ社会に根強く残る、外見への差別や評価の思想を前に、保護者はどのように意識のアップデートを行えばよいのでしょうか。子どもと向き合う上で大切な心構えについて、作家の山崎ナオコーラさんと、社会学者の矢吹康夫さんに対談いただきました。

「親は二重だけど、子どもは一重。将来、整形したいって言われるかも……」

「うちの子は太りやすい体質。お友だちと比べてコンプレックスに感じるかな」

自分の子どもはどんな容姿であれ、もれなく愛おしい。それでも、子どもが成長して多くの人とかかわって行く中で、外見について心ない言葉をかけられ傷つくのではないか、逆に、外見で人を判断して誰かを傷つけてしまうのではないかと、不安な気持ちを抱く保護者もいるかもしれません。

こうした外見に基づく差別、外見を理由にした差別のことを、「ルッキズム(外見至上主義)」といいます。

先日、オリンピック開閉会式案で、女性タレントの容姿を揶揄するような演出プランを提案したクリエイターの一連の言動が問題になり、今、私たちはルッキズムに関する意識のアップデートの過渡期に差し掛かっていると言えます。

今回は、『ブスの自信の持ち方』というセンセーショナルなタイトルの書籍を刊行し、ルッキズム問題の講演やインタビューに数多く登壇する作家の山崎ナオコーラさんと、先天的疾患や怪我などによって外見に何らかの障がいを抱えた人たちに関する「見た目問題」を専門とし、ご自身もアルビノの当事者である社会学者の矢吹康夫さんに語っていただきました。

右:矢吹康夫(やぶき・やすお)/立教大特定課題研究員、専門は社会学。見た目問題に関する専門家で著書に『私がアルビノについて調べ考えて書いた本ー当事者から始める社会学ー』など。 左:山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら)/作家。『人のセックスを笑うな』で純文学作家デビュー。主な著書に『母ではなくて、親になる』、『ブスの自信の持ち方』、『反人生』、『リボンの男』など。

「わきまえた子どもにしたい」は親からの差別

――保護者には、自分の子どもの容姿や体型を気にする人も少なくありません。学校や社会の中でコンプレックスを持たないように、何ができるかと……。そういった親の思いについてお二人はどう思われますか。

山崎:その心配がまさに、ルッキズムなんです。親が子どもの容姿について良し悪しを判断することは、差別です。

差別をする人というのは、だいたいが良い人なんです。決して悪者ではない、やさしい人が差別をする。「子どものためを思って」と差別発言をしてしまいます。

でも、親といえども、子どもとは別の人間だし、社会がその顔をどう捉えるかということまで親が勝手に判断したり、踏み込む権利はありません。

山崎:美しさの基準は時代や共同体によって違うものです。親も時代や共同体と共に子どもを差別してしまう。

まずは、自分の中にある固定観念を意識して、「自分は今、差別をしているんだ」と自覚してみるところからはじめてみるといいんじゃないかな、と思います。正直、私も差別をしているときがあります。だから、気をつけたいです。

そもそも、客観的な視点なんて親にはないと思いませんか。家族の顔を見るときに世間の基準に照らし合わせて好きとか嫌いとか思うって人はまずいなくて、大体の親が子どもの顔を主観で好きだと感じている。

「親の私は好きだけど、社会からは嫌われるんじゃないか」と勝手な心配をするわけですよね。でも、実は親には、この前半だけしか権利がないと思うんです。

「私はあなたのことが好きだよ、あなたのことがすごくかわいいと思うよ」だけで良いと私は思っています。

iStock.com/kohei_hara

山崎:この国の現代社会においての優劣はあるとしても、もし親にできることがあるとすれば、「他人にそういうことを言ったり、したりしてはいけないよ」と子どもに教えることかもしれません。

「他人の容姿に優劣をつけてはいけないよ」と教えることのほうが、「この社会には優劣があるよ」と教えることよりよっぽど大切なのではないでしょうか。

矢吹:親に客観的な目線はない、というのはその通りだと思います。

親は無条件で自分の子どもを愛していいし、主観で見ていいと思います。それが親の特権だと思うので、子どもに対して、親は誰よりもポジティブでいていいんです。

「社会から揶揄されて傷つかないように、自分の容姿をわきまえた人間でいなさい」と子どもに教えるって、親自身が「あなたは差別される側の人間だよ」と伝えているということですよね。これほど理不尽なことはありません。

矢吹:社会学の立場から言うと、これはいろいろな場面で起きてしまうことで、たとえば部落差別などにおける「あそこの人と結婚したらあなたも差別されるからやめなさい」みたいな構図と同じです。

差別から子どもを守るという名目で、親自身が差別に加担している。

「この社会って、おかしいよね、おかしいけれど、順応しなければいけないよね、だから、わきまえようね……」これってつまり、社会がおかしいことを保護者はわかっているわけですよ。

それならば、変えるべきは社会でしょう。

  
iStock.com/CHUNYIP WONG

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自分が変わるのではなく、社会のゆがんだ常識を変える

ーー山崎さんもまさに、著書『ブスの自信の持ち方』の中で、「ブスと批判された人が変わるのではなく、見た目を揶揄するような風潮の社会が変わるべきだ」と書いていらっしゃいます。

山崎:見た目を揶揄することが問題に挙がるとき、「まず自分が変われ」と言う人がいます。「化粧をがんばれ」あるいは、「スルー力を身につけろ」「ポジティブになれ」など。

でも、「被差別者にルッキズムの理由がある」「被差別者が社会に合わせるべき」という間違った考えを浸透させたくないんです。容姿も性別も関係なく、誰もが自分の欲をまっすぐに満たそうとできる社会が理想だと思います。

矢吹:そうですよね。私が専門としているアルビノなどの見た目の疾患も「軽い障害だ」と言われ、周りが理解することを怠り、それによっていつまで経っても当事者側が「我慢しろ」「変われ」と言われてしまう現状があります。

山崎:とはいえ、私は近年、少しずつ社会が良くなってきていると感じているんですよ。

たとえば、少し前に「色白が美しさにつながるという表現をやめよう」という意図でスキンケア化粧品から「美白」という言葉を撤廃することを発表した企業が話題になりました。

こういったムーブメントが社会全体に浸透しているわけではないと思いますが、ここ10年、20年でだってどんどん変わっていっている。この先の10年で、もっと良い社会になっているんじゃないかという気はしています。

   
iStock.com/kyonntra

矢吹:たしかに、最近は見た目問題に関することや、容姿をイジるようなコンテンツに対して、ちゃんと批判が出てくるようになってきたようには感じています。

昔だったら当たり前に流されたり、おもしろがられたりしてきたものに対して、消費者がちゃんと「これは笑うようなものではない」「これは良くないものだ」とジャッジし、発信できるようになってきていますよね。

山崎:はい。バラエティ番組などメディアでの“ブス”という表現もこの2、3年で格段に減った気がするんですよね。だから、私はまだ期待できる気がしています。

山崎:SNSでも、みんな小さな違和感を発信するようになってきていますよね。反応する人が多いと、制作者側もこれダメなんだって気づくことができる。SNSが発展したことも良かったんじゃないかなと。

だから子どもは私たちよりもずっと差別しない大人に育つんじゃないかなという気がします。

保護者が、子どもが、ルッキズムの加害者にならないために

──子どもが将来、見た目のことでつらい思いをしないようにという親の心配自体が差別であると、認識をアップデートできました。一方で、子どもがまだ未就学児だと、どうしても悪意なく他人の見た目に関することを口にしてしまう機会がありますよね。

山崎:単純に、良い、悪い関係なく、見た目の話はしない方が良いときちんと伝えることと、あとは、いろんな容姿の人に「慣れる」ことも必要なように思います。

私が子どもの頃は、見た目問題の当事者の方がメディアに出ているところをお見かけすることはほとんどなかったように思います。私自身も15年前に作家としてデビューしたとき、私のような見た目の作家があまりいなかったのか、インターネット上で「ブス」という言葉などで誹謗中傷を受けました。

しかし、15年が経って、今はさまざまな容姿の方をメディアで見かけるようになりました。お笑いではなく、真面目に仕事の話ができるようになってきました。そうすると「〇〇のくせに」という悪口は減ってきたと感じます。

だから、いろんな方がいるということを子どもが知る機会を持てれば良いですよね。実際に会うのが難しければ、本(※)などからでも学べます。

iStock.com/:kohei_hara

矢吹:日本人の外見は画一的だと考えている人も多いかもしれませんが、実は随分前からすでに多様だったんですよ。

特に外国籍の方やハーフ・ダブルの方々に関しては、ずっと昔から私たちの隣で生活をしてきているはずなのに、なぜかいつまでも「日本人とはこういうもの」という思い込みを持っている人がいる。

たとえば、アルビノという病気を知らない人の中には、僕のことを外国人だと思う人がいて、出身地である岡山の街を歩いているとものすごく他人からジロジロ見られるんです。でも、東京に来るとそんなことはない。全然注目されません。

どれだけその地域に外国人がいるか、外見の多様性があるかで、僕に対して向けられる目が違うということがわかります。つまり、慣れれば誰も気に留めないんです。

   

矢吹:「この人の見た目は特別だから」なんてことが気にならなくなるぐらい、いろいろな人に触れることは良いことだと思います。

山崎:大切なのは、子どもの失敗や失言を覚悟することだと思います。

最初はみんな、わからないし間違う。子どもが間違ったときに、相手に謝罪したり、フォローしたり、いけない理由をきちんと伝えることですよね。親として、誰だって間違えることはあるんだって、ちゃんと思いながら向き合う覚悟が必要だと思います。

――後編では、ルッキズムが根強く残る社会で、保護者はどのような心持ちで子どもと向き合っていけばよいのか、考え方のヒントをお届けします。


(※)山崎ナオコーラさんおすすめの書籍

『世界の果ての愛らしい子どもたち』(エクスナレッジ):いろいろな国の子どもの顔を集めた写真集です。世界中にいろいろな顔の子どもがいて、誰とでも友だちになれるんだよ、と言いながら読んでいます。

岩井建樹『この顔と生きるということ』(朝日新聞出版):大人向けの本ですが、インタビューを受けている人の写真が大きく載っているので、見せながら、話をかいつまんで子どもに教えました。

外川浩子『人は見た目! と言うけれど――私の顔で,自分らしく』 (岩波ジュニア新書):見た目問題に取り組み、NPO法人を立ち上げた著者による子どものための本です。小学校中学年くらいから読めるんじゃないかな、と思います。

「見た目の努力しなくてもいい」ルッキズムの鎖を断ち切る方法【山崎ナオコーラ×矢吹康夫/後編】

<取材・執筆>KIDSNA編集部


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2021年06月10日


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