【菊地幸夫】人権を知らずに支配される子どもたち

【菊地幸夫】人権を知らずに支配される子どもたち

子どもをとりまく環境が急激に変化し、時代が求める人材像が大きく変わろうとしている現代。この連載では、多様化していく未来に向けて、これまで学校教育では深く取り扱われなかったジャンルに焦点を当て多方面から深掘りしていく。今回は、弁護士の菊地幸夫さんに話を聞いた。

いじめや虐待、SNS上での誹謗中傷。特にSNS上の誹謗中傷は年々増加し、刑事告訴での示談成立や、厳罰化の検討についてのニュースもよく見聞きする。これらの問題は、法律で罪に問われるれっきとした犯罪だ。そして子どもたちは、被害者にも加害者にもなり得る。

「人に迷惑をかけてはいけません」「ルールを守りなさい」

このように日ごろから子どもに教えていても、「なぜ?」と聞かれたとき、説明に困ったことはないだろうか。子どもたちが、知らず知らずのうちに犯罪に巻き込まれないように、親は何をすべきだろうか?

「法律は、『君はこういう存在なんだよ』という人間のあり方からスタートし、定められています。全ての法律の主体である人間とはどのような存在であるか。この前提となるのが人権です」

こう話すのは弁護士の菊地幸夫氏(以下、菊地氏)。法律と人権の関係をどう捉え、子どもにも伝えていくとよいのだろうか。

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菊地幸夫/中央大学法学部卒業、番町法律事務所の弁護士。元司法研修所刑事弁護教官。民事・刑事・学校・教育問題などを手がける。日本テレビ系列「行列のできる法律相談所」「スッキリ」にレギュラー出演中。弁護士業務の傍らトライアスロンに取り組み、地元小学生のバレーボールチームの監督も務める

法教育の前に「自分がどんな存在か」を知るべき

人権を知らずに支配される子どもたち

「今の日本社会では『自分は尊重されるべき存在である』という認識が抜けてしまっている。これがつまり”人権”ですね。

本来は意識し続けなければいけないもので、非常にコアなことであるにも関わらず、学校の授業ではサッと勉強して終わってしまう。しかも一度通り過ぎると二度と出てきません。

さらに、大人ではなく子どもであるという特殊性がある。

周りの社会から見て、『自分って何なんだろう』『法的に見てどういう存在なのか』という自分の立ち位置を教えないで、算数や社会など身の回りのことばかり教えていると、いざというとき『子どもだから、まだ未熟だから』といって変な校則を押し付けたり、体罰がまかり通ったりということになってしまう。

親子
iStock.com/kohei_hara

だからまずは、『君たちは、ひとりの人格者であり人間であり、人権を持つ、法律的にベースは大人と変わらない。個人として尊重されるべき存在なんだよ』ということを伝える。

そこからスタートしないと、たとえば変な校則があってもどう文句を言ったらいいのか、どこまで言っていいのかわからない。大人は自分たちに都合よく当たり前のように押し付けたりするんですね。そこが曖昧なまま大人になってしまう」

――日本はその文化が根付いてしまっているのでしょうか?

「暴力は犯罪ですからね。なのに、いまだに横行している。子どもは叩かれても文句言えないじゃないですか、それが当たり前だと思って。でもその当たり前がおかしい。

そこで、『君たちはこういう存在なんだよ』ということをきちんと教えていれば、おかしいことはおかしいと子ども自身が声を上げられます」


リテラシーの低さが体罰をグレーゾーンに

――暴力がいまでも横行しているということですが、体罰と子どもの人権、法律についてはどうでしょうか。

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「2019年6月に、親による体罰禁止を盛り込んだ改正児童虐待防止法と改正児童福祉法が可決成立し、2020年4月に改正法が施行され、親は『児童のしつけに際して体罰を加えてはならない』とされました。

しかし、親が子に対して行使できる『懲戒権』があり、民法第822条、民法第820条に定められています。この民法には懲戒の具体的な範囲が定められておらず、しつけと体罰の境目についてはいまだに議論がなされています。

学校で教師から生徒への体罰についても、学校教育法第11条に規定され、昔から体罰は禁止されているんですけどね。

たとえば厳しいスポーツの現場では体罰を受ける側が受け入れていたり、親が『うちの子をもっと殴ってやってください!』といった愛情の一貫、または通過儀礼のように扱う文化があって違法性が顕在化しにくい」

――子どもは言ってわからなければ痛い思いをしなければいけない、というような。

「法律は人権を守らなければいけない、刑法で暴力はいけないと定められています。しかし、未だに『しつけのためには』……という名目で今までまかり通ってきてしまったんですね」

サッカー試合と戦略
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――法で定められているからには、罪に問うことも可能なのですか?

「やろうと思えばできるんですよ。暴行罪、下手したら傷害罪です。でも、先ほどの例でいうと、警察も『スポーツの世界でしょ?』と言って取り合ってくれない場合も現実にはあります。パワハラはどんな職場にもありますが、特に、警察、消防、自衛隊などの実力の世界では多いんです。そういった背景から、警察側の意識もまだまだ変わっていない。

だから余計に、人権についての教育は重要で、人権が何たるかを分かっている人間は人に暴力はふるえないですよ。それは教育の現場、スポーツの現場でも。

日本は特に、国語、算数、理科、社会といった身の回りのことはよく教える国だと思いますが、人間個人に関する教育はどうも後進国。特にコミュニケーションが苦手ですね。『あの子、優秀だね』という場合はすべて紙を相手にする読み書きなんですよね。それも大切ですが、“人間相手”の部分を後回しにしてはいけないと思います」

――人間相手の教育が、子どもたちの人権意識を上げていくと。

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「人をどう動かしたらいいか、人とどうコミュニケーションを取ったらいいかという問題を認識できないから、その前に手っ取り早く手が出る、足が出る。その方が手っ取り早く相手を従わせることができるから。

そうではなく、暴力を使わないために、人と人の間には深い洞察力や話す技術が必要。なのにこれまで暴力で解決してきたから、なかなか発展してこなかったのだと思います。

僕が法律家になるために司法試験を受けた当時、合格した後は最高裁判所にある司法研修所で2年間研修を行ったんですが、そこでは外部講師に著名な大学の教授や裁判官を呼んで話を聞くんですよ。

そこで、今年亡くなった野球監督の野村克也さんが来られました。現役を引退されて専任監督に就任される前の頃だったと記憶していますが、どんな人でも動かせると思うほど話がうまかったのを覚えています。

演台を歩き回ったりせず、ずっとマイクの前でぼそぼそ話すわけです。それでも、伝えるとはどういうことか、人の気持ちをこちらに向けさせるには、理解させるためにどんな言葉を使えばいいかというのがどういうことか分かっているんだなと。

日本の文化は、そういった“人間相手”のスキルは、暗黙知として誰かの頭にはあるんですよ。明確知としてメソッドが伝えられていない、我々の下手なところはここですね。

相手を一人の人間として認めて、同じ目線に立って、分かりやすく伝える。これが人権リテラシーを持つためにまず必要な教育だと思います」

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仏(法律)つくって魂(憲法)入れず

――子どもたちには、法律のある背景から教えなければ、知識だけを与えてもいけませんね。

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「そうですね、全ての法律は人間と人間の間のルールであり、人間に適用されるものですから。そこを教えないで表面だけを教えても、知識は増えるかもしれない。たとえば労働法や成人年齢の引き下げなど。

しかしそのコアの部分は何なのか?なぜ、働くときのルールが決まっているのか、成人年齢を下げるのか、コアの部分を分かっていないと知識は中途半端なもので終わってしまう」

――そのコアの部分というのが、まさに憲法ですね。

「今まで話してきた法律の前提である人権は、法の成り立ちでいうヒエラルキーの頂点に立つ憲法です。

学校では教えてくれない_法の階層関係

憲法は国の主権者である国民が制定し、それに沿った条約は国家間または国際機関との間での合意のためのもの。その下にくる法律は国民が守るルールとして、国会が制定し、内閣が執行します。その下に、法律に基づいて国の機関が規則や命令があり、憲法に反しているかどうかを裁判所が判断します。

これがいわゆる三権分立ですね。国家権力を3つに分け、『立法権』は国会、『行政権』は内閣、『司法権』は最高裁判所および下級裁判所の機関に権力を保持させ、一か所に権力が集まらないようバランスを取っています。このことを定めているのも日本国憲法です。

このヒエラルキーには強制力、効力がありまして、憲法は頂点に立つだけあって大前提であり、絶対的な存在。そこから下、弱い法律は強い法律に否定される。だから弱い法律は自分より上位の法律に矛盾することができません。

だから、ヒエラルキーの下にある法律、つまりぶら下がっているテクニックだけを教えても、意味がないのです。自分の位置づけが曖昧なまま『人は平等なんだよ』とか『日本は民主主義の国だよ』と教えても、自分との関わりがしっくりこない。大前提である憲法を教えないと。仏つくって魂入れずというかね」

子どもの権利に親はどうかかわるか

――法律を学ぶ大前提として、子どもが「自分はどういう存在なのか」という人権を教えることが大切とうかがってきましたが、親のかかわりかたとしては何かコツがありますか。

「学校でも家庭でも、大人はどうしても子どもをコントロールしやすい存在にしておきたいと思ってしまいがちです。だから子どもの権利について曖昧なままにして、歯向かわないようにしておく。

話し合う親子
iStock.com/SDI Productions

子どもにしっかりと人権教育をすると、権利を主張して反論してくるかもしれないですからね。言葉は悪いけどなんとなく大人の付属物、所有物というようなイメージがありますよね。しかし本来はそうじゃない。一人ひとり権利があって、ひとりの人間として尊重されなければいけない。そこは大人と変わりません。

だから恐れずに、正面切って教えましょう。国連憲章や人権規約にヒントがあると思うので、それを題材に、『まず君たちのスタートラインはここだ』と教える。そうすると子どもが自分と周囲のことを教えるときに、自分の当てはまり方が変わってくる。

ただひとつ気を付けたいのは、子どもはまだ発展途上だから自分で自分のことを決めるには経験や知識が足りない。そこは、大人がサポーターとして補ってあげなければいけません。

だから場合によっては子どもが不愉快に思うこともあるかもしれないけれど周囲の大人が手助けをすることが必要なこともある、ということです。そのサポートが外れるのが『成人する』ということなんだよ、と。

そして、自分が権利を主張したことに対して責任が伴い、責任を果たすために義務が生じるということも大切なこと。社会の中で、自分だけの人権をみんなが主張したら大変なことになります。社会の中で人と調和していくことも教えなければいけませんね。それが法教育の第一歩。

子どもに教えていくと同時に、親も子どもを守る責任と義務があるということを忘れてはいけません」

後編では、子どもに身近な法律について、どのようなマインドで考えるとよいかを具体的に聞いていく。


<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部

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