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【天才の育て方】#11米山維斗 ~小6で起業。無限の探究心を持つ勉強嫌いな現役東大生社長
Profile
KIDSNA編集部の連載企画『天才の育て方』。#11は米山維斗にインタビュー。化学を題材としたカードゲームを作成し、12歳(小学6年)で会社を設立。面白いことを見つけては深掘り、連鎖的に興味の幅を広げながら多彩な趣味を楽しむ彼は、どのような価値観を持ち、どのように育ったのだろうか。その背景を紐解いていく。
「勉強は嫌い。最低限やらずにすむギリギリの範囲でやってきた」
「小学4年の全国統一テストで1位」
こう語るのは、小学3年でカードゲーム「ケミストリークエスト」を作成し、小学6年でケミストリー・クエスト株式会社を設立した米山維斗さん(以下、敬称略)。
小学4年の全国統一テストで1位を取り難関中学受験を決めた彼は、小学6年の受験勉強真っただ中に起業活動に勤しみながらも、筑波大学附属駒場中学校に合格。
現在は東京大学に通いながら、ケミストリー・クエスト株式会社の代表取締役を担う。
小学3年で作成した、原子を結合させ分子を作っていくカードゲーム「ケミストリークエスト」は株式会社幻冬舎から入門版と新装版が出版され、現在までにシリーズ累計発行部数12万部を突破している。
一見難しそうな題材に思えるが、彼が化学へと興味を深めたその根底には「面白い」という想いと強い探求心が常に存在している。
彼はどのような価値観をもち、どのような教育のもと己の想いを実現してきたのか。そして彼を突き動かし続ける探求心はどのように育ったのだろうか。その背景を紐解いていく。
「面白い」から誕生した12歳の起業家
今の時代、若き起業家は多く珍しいことではない。ただ、12歳、小学6年という若さでの起業は稀である。
友だちと遊ぶために考えたアイデアをベースに、中学受験を控えながら起業へと突き進んだ米山少年は、当時、どのような想いを抱いていたのか。起業に至るまでの経緯を聞いた。
友だちと遊べるゲームを作りたい
ーー化学と聞くと大人でも難しく感じがちですが、なぜそれを題材にカードゲームを作ろうと思ったのか、まずはそのきっかけを教えてください。
「小学3年のころ、学校で遊べるカードゲームを自分たちで作ろう、という動きが友だちの間で流行っていて、自分も友だちと遊べるものを作ったら喜んでもらえるかな、と思ったことがきっかけです」
ーー化学を題材にした理由は?
「最初から化学に絞っていたわけではなくて。バトルゲームが流行っていた時期ですが、将棋のように相手のカードを自分の仲間にできるルールにするとどうなるだろうと考えました。まず前提に相手のカードをもらい自分の得点につなげる、とするとどんなゲームが作れるか。
そう考えたときに、その頃には化学に熱中していたこともあり、自分のカードと組み合わせて分子にする、というルールを思いつきました」
ーーお友だちの間では「原子?分子?」とはならなかったのですか?
「ケミストリークエストは、ルールが非常に簡単で化学の知識がなくても誰でも遊ぶことができるんです。友だちも化学自体を知らないので難しいもなにもなく、普通にゲームとして遊んでいただけで。
そもそも化学の知識を植え付けようというものではなく、化学に興味を持ってもらうひとつの方法というか。遊んでいるうちに気づいたらゲームの中に出てきた分子や原子が、実際に生活に関わっていて勉強にも出てくることに気づくと、親近感を覚えやすいと思うんですよね」
周囲の反応は自ら動いて掴みにいく
ーーその後、商品化するために起業をされるわけですが、商品化を決めたきっかけは?
「小学5年の頃、東京国際科学フェスティバルに出展したらすごい反響があったんです。小さな子どもから大学教授の方まで、みんなが『面白いね』と言ってくれて。
自分が好きな科学本の著者の方にもお会いできて、『面白い』と言ってもらえたことは、何より印象に残っています。自分の知識は間違っていないという自信に繋がりました」
ーーそこでのみんなの反応が、引き金になったのですね。
「もっといろんな人に広められたら、世の中の役に立つんじゃないかと感じました。
でも、素人が作ったゲームなので売れるものなのかわからず、父の知り合いの教材開発会社を運営している方に相談してみたんです。そしたら、『起業して自分でやってみたら』という話をもらって、起業することに決めました」
不得手をビジネスを通し乗り越えた12歳
ーー商品化は出版社と進められたそうですが、周りは大人ばかりですよね。自分の意思やこだわりはしっかり伝えられましたか?
「ゲーム本体に関して意見は曲げませんでしたが、出版社の方の経験から『こうした方がいい』と提案される部分を納得できれば、アドバイス通りにしていました。
製造ラインのことやカードゲームの原価はいくらか、値段はどうするかということは当時の私にはわからなかったので、お任せしていました。ルールやルールブック、デザインの精査は大変でしたが、自分のイメージと違えば変更してもらえるようにお願いしました。
とはいえ、自分の考えやイメージを言語化して他人に伝えることはとても難しかったですね。この部分に関しては今でも得意なほうではないので、当時の自分にとっては一番苦悩したことだったと思います」
「自分の好きなことを他人に紹介できるのは面白い」と語る彼にとって、ケミストリークエストはそれを実現するひとつの手段であった。友だちが化学に興味を持ってくれたら嬉しい、という純粋な想いが多くの人の関心を集め、不得手も乗り越える原動力になっていたのだろう。
興味対象を調べ続ける無限の探求心
ケミストリークエストのルールは簡単といえど、題材は化学である。小学6年の米山少年はどのようにその分野への知識を深めていったのだろうか。
すべての始まりは幼少期に抱いた興味
ーー何をきっかけに化学の分野に興味を持たれたのですか?
「もともとの始まりは天文学を知ったことにあります。幼少期はインターナショナルプリスクールに通っていたのですが、そこで地球にはいろいろな国があること、地球は太陽系の星のひとつであることを教わりました。自分が今いる地球以外にもいろいろな星があるということが非常に興味深かったんです。
住んでいる地域の近くにJAXAがあったことも、この話をより身近に感じるきっかけになりました」
天文学から化学へつなげる考察力
ーー天文学からどのように化学までたどり着いたのでしょう?
「まず最初に、太陽系の惑星は岩石でできていて組織が似ていること、ただし重力や環境などなどによりすべての惑星の性質が異なることを知りました。なぜそれぞれが異なるのかについては研究者たちが調べてきた歴史があって、今まで判明したこと、判明していないこと、今現在研究されていることの流れを見ていくと、とても深い。
惑星のひとつである地球の歴史もたどろうと調べ始めたところ古生物学の本と出会いました。挿絵に描かれている古生物を眺めながら、今存在する生物とは確実に異なる生物が同じ地球に存在していたことを考えると、それだけでとても面白くて。
古生物が存在していた古生代から中生代に変わり、支配的な生物群の大量絶滅を経て今、新世代として哺乳類と鳥が栄えている。その長い歴史の中で昆虫や植物もどんどん進化してきた。はるか昔から続いている一連の変化の流れが現在までつながっているって、非常に面白くないですか?
そうなってくると、次に気になるのは化石です。化石は骨本体ではなく、その場所に鉱物成分がしみ込んで型がとられた状態のものですが、ではなぜ鉱物というものができるのか疑問をもち、鉱物関連の本を読むようになりました。
鉱物にもさまざまな種類があって、それぞれで結晶の構造や組織、酸素環境が違うことで含まれる元素が違う。それにより性質が変わるわけですが、そこで原子や分子の話になり、素粒子なども調べるようになりました」
ひとつの対象に抱いた「面白い」という想いが、彼の世界観を大きく広げていった。天文学からスタートした彼の知識が化学へとたどり着いた背景には、彼の類まれなる無限の探求心があったからこそだろう。「知りたい」という欲求に純粋に向き合い調べつくす姿勢は、大人の私たちも見習いたいものだ。
勉強嫌いな天才の勉強方法
米山維斗は「勉強はずっと嫌い」と語る。とはいえ、難関中学と東京大学に合格してきた天才であることには変わりない。勉強嫌いの彼はどのように勉強と向き合ってきたのだろうか。
異文化で育まれた価値観
ーー幼少期に通われていたインターナショナルプリスクールではどのような学びがありましたか?
「体験重視のアクティビティが多かったように記憶しています。いろいろな世の中のことに触れたり工作をしたり。天文学についてもその中で学びました。
一番記憶に残っているのが、『show and tell』ですね。みんなの前に出て、自分が調べたことや紹介したいことを一枚の画用紙に張り付けて発表するアクティビティです」
ーーそのアクティビティが「知りたい」を追求する原点になっているかもしれませんね。英語に対してはどうですか?
「英語に対しては、ゼロではなかったとは思います。でも、学問として英語が得意だったというわけでもありません。
先生が英語ですべてを進めるので、自然に会話が成立していました。その分、学校の英語の授業は苦痛で。文法にはまったく興味を持てなかった」
ーー幼少期に自然に親しんでいた分、形式的な学びに違和感があったのかもしれませんね。
「そうですね。親しんでいたといっても幼稚園レベルの英語なので、実践的には使えない。だけど言われていることはすべてわかる。リスニングの練習など必要なかった。その意識から英語の勉強をしていなくても危機感をまったく持てませんでした。
ただ、天文学について調べるとき、洋書だと子ども向けでも図が豊富で詳しく書いてある書籍が充実していたので、その部分においては英語に慣れていてよかったと思います」
想像力を鍛える塾で見出した面白さ
ーー小学校の頃は習い事など通われていましたか?
「小学2年から、enaのグリムスクールの国語力を高めるクラスに通っていました。自分で物語を作ったり物語を読み取ったりしながら学力の土台になる力を身に着けるクラスです。
もうひとつ、考える力を養うどんぐり倶楽部という塾にも週1で通っていました。算数の文章問題を自分でイラスト化して解いていく解き方を教わりました」
ーー塾で学んだことはその後の勉強や受験に役立ちましたか?
「問題をイラスト化しているとどこで見落としたのかが絵で残っているので、認識がズレていた部分を振り返りしやすかったですね。
数学に対して難しさを感じることがなかったのもよかったと思います。お絵かきしているだけなので。学校の授業よりも圧倒的に発展的な学び方なので、楽しかったです」
「面白そう」な目標が努力の源
ーー勉強嫌いでありつつも、どのように学力を身に着けてこられたのでしょう?
「勉強は今でも嫌いですが、嫌々ながらも最低限やらずに済む範囲でやってきました。やりたくないことでもやるべき時は頑張れていたのだなと、今なら思います」
ーー勉強が嫌いだと難関校受験を考えるに至らないように思いますが、どこに目的意識を向けていたのでしょうか?
「中学受験に向けては、筑波大学附属駒場中学校には面白い人たちがたくさんいると聞いていて、実際学校にも見学に行き、一体感があり個性を尊重している校風が面白そうだとずっと思っていたので、そこに通うことに目的意識を持っていました。
その分、中学に進むと目的意識を見失いました。頭のいい同級生がたくさんいるので、一緒に遊ぶといろんな知識が出てきて楽しくて、友だちと遊ぶことに熱中していました。
東大への進学を決めた理由のひとつは、同級生が一番多い大学だから。そこから離れたくないというのはありますね」
彼の根底には常に「面白そうだから」という動機が存在している。「面白いこと」を見つける感度の高さは、幼少期に養った世の中に目を向ける視野の広さからくるのかもしれない。そしてもうひとつ、形式的な勉強方法を好まない彼の特性を熟知したご両親の理解もあったのだろう。
天才ができるまでのルーツ
勉強嫌いの彼は、小学校時代から高校を卒業するまで、徹底的に宿題はしてこなかったという。親としては悩みの種となりそうだが、彼のご両親はどのように彼と接し、育ててこられたのだろうか。
好きにさせてくれる両親の寛大さ
ーー中学受験シーズンに起業活動を始めたり宿題をしなかったり、親としては口うるさくなってしまいそうですが、ご両親との間でルールなどはありましたか?
「一切ありませんでした。基本的に、好きにさせてくれるんです。宿題やりなさいとは言われましたが『こうしなさい、ああしなさい』ということは言われたことも、何かをやろうとして反対されたこともありません。
幼少期にインターナショナルプリスクールに通ったりバイオリンを始めたことは親の勧めでしたが、それらは今の楽しみにつながっているし、化学だ起業だと言っていたのに突然鉄道に興味を移しても、何も言われない。
大学受験を控えた高校3年の夏に、言語学オリンピックに出て銅メダルを取ったのですが、私が不安で出場するか迷っていたときも『やりたいならやれば』と言ってくれました。
好き勝手にやらせてくれるということは、非常に大きいですね」
受け皿としてそこに存在する安心感
ーーご両親の米山さんの好きなようにさせよう、という方針は、信用があってこそですね。
「信用はしてくれていますね。ただ、私は物事の組立をしっかりできる方ではないので、親が言って当然なことは言ってくれてありがたいと思っています。例えば、宿題しなさいとか。結局その習慣は身に付きませんでしたが(笑)」
ーーご両親が見守っていてくれているという安心感を常に感じていましたか?
「感じていました。自分が何かに失敗して例え落ちてしまったとしても、必ず受け止めてくれるという確信があるから、なんでもできるのだと思います。見放したりは絶対にしないでしょうし。
逆に、親からこうしろと言われていたら、そこから外れないように考えますよね。期待から逸れないように必死になったり。私の場合、それを考える必要がないですからね」
話を聞いてくれる大人たちの存在
ーー科学について知識を高めてこられたひとつに探求心の強さがあると思いますが、探求を続けられた要因は何だと思いますか?
「親や周りの大人たちが、私の話を楽しそうに聞いてくれたことにあると思います。聞いてくれるともっと話したくなりますよね。話しているうちに『あれ、ここ知らないな』となると、もっと知りたくなる。その繰り返しだったのだと思います」
ーー自分が興味のあることを周囲が共感してくれると、嬉しいですよね。
「これまで興味はなかったけど、少し知ったことで興味を持てた、ということって、実は多いと思うんです。そのきっかけを作りたい。
ケミストリークエストを広げたい動機もそこにあります。遊んでみたらみんな面白いと言ってくれるし、勉強にもなる。それが化学への興味へ繋がるなら素晴らしいと考えています」
子どもを親の価値観に沿わせることなく好きなように過ごさせる。一方で、興味を深めるための書籍購入などに関しては、彼の方がタイミングを見計らい気を遣いながら交渉していたという。
寛大であるだけでなく、締めるところはしっかりと締め、聞くべき話に耳を傾ける、そのメリハリが親子の間に絶対的な信頼関係を築けてきた理由なのだろう。
「やりたいこと」は貪欲に、すべてやる
東京大学に入学しまだ間もないが、既に目指す学部を決めているという。会社の代表取締役としても事業の発展を試案中。さらには、多彩な趣味をこれからさらに深めていくという。忙しくなりそうな学生生活に馳せる想いを聞いた。
ケミストリークエストは国際展開を計画中
ーーケミストリークエストは、今後どのような展開を考えていますか?
「国際展開をしたいですね。まずは英語で作りたい。世界中の子どもたちに遊んでもらえて、みんなが化学に興味を持ってくれたら嬉しいです。
国際展開のほかにも、新しいカードゲームを作りたいと思っています。ルール先行で考えるのでまだ構想はないのですが、ルールやシステムはあらゆるところにヒントとして存在しているので、ヒントを探しながら思いつきを探っていけば面白いゲームができると思っています」
「今、学びたいこと」が最優先
ーー東京大学でも科学について探求していきますか?
「大学では交通インフラなどの設計や計画を学ぶ学部に進学したいと考えています。これから通信はますます発達し、自動運転も市場に出てきます。それに適応した新たな交通体系を築かなければいけない時代にいるので、この分野は重要になってくると思っています」
ーーその学部を選ばれる趣旨は?
「小学生のころからずっと鉄道が好きで、それについて調べているうちに鉄道という運輸システムそのものが非常に面白いと感じるようになりました。交通は答えを出すことが難しく、答えが出たからといって実現することも難しい分野です。
小学校の頃の総合科目の時間に学校の裏の境川について調べ、自分たちで何かできないか考えることが楽しかったのですが、どう考え解決するかを導き出しシステムへと落とし込んでいく流れに面白さを感じるのは小学校の頃から変わっていなくて、今一番学びたいことなんだと思います」
ーー化学とはこれからどのように付き合っていくのでしょう?
「そこをどう考えるかは自分的にも難しいところです。今まで出来ずにいた楽しいこともいろいろやっていきたいし、それぞれ好きではあるのですが、今は交通を一番に学びたいんだ、という説明に尽きますね(笑)」
多彩な趣味をすべて楽しむ
ーー今まで出来ずにいた楽しいこと、具体的にいうと?
「オペラ、化石掘り、登山、街歩きですね。
オペラと化石掘りは東大のサークルに入部しました。バイオリンもオペラも経験があり、中高の音楽祭では6年間ずっと合唱をやっていたので普通に唄うこともできます。
山登りは高校で山岳部に入っていたこともあり今でも続けています。山には文化と自然があって、体力や事前準備も必要。複合要素を組み合わせて挑戦してみると面白いんですよね。
街歩きでは何十キロと歩きますが、本来の目的は距離を歩くことではなく、歩く途中にある変化を探すこと。中高の友だちと半年に一度、東京中を移動して問題を解くゲームを開催していますが、いろいろな場所に行くので常に新たな発見がある。交通という分野に対しヒントを得て、いろいろな街でいろいろな部分について考えを巡らせています」
彼自身について掘り下げて聞いてみると、驚くほど多彩な趣味を持っていた。天文学から化学、起業に受験と忙しく過ごしてきたにも関わらず、人生を彩る趣味も持っている。学びと趣味のすべてを大学生活で謳歌しようと心躍らせる彼の姿は、探求心を持って過ごす少年のようだ。
天才にきく天才
「面白いこと」を見つけたら、そこから連鎖的に次々と興味の幅を広げていく。「面白そう」がすべての原動力であり、嫌いなことも不得手なこともすべて克服する力となってきた。探求心と好奇心はこれからも、留まることがなさそうだ。
若き探求者は今、自分自身をどのように捉えているのだろうか。
天才が思う天才の人とは
ーー米山さんが尊敬している人、目標にしている人はいますか?
「特定の人を挙げるのは難しいですね。というのも、いろいろな人が、いろいろな部分ですごいじゃないですか。ただ、その人のようになりたいかと言ったら、それは違う。その人はその人であり、私は私なので。
憧れという意味でいうならば、理学系の科学者は尊敬しています。ひとつのことをコツコツと続けて何かを成し遂げている人は非常にすごいと思う。私には出来たことがないし、どこまでも突き詰めていく人のおかげで、私たちも深めていくことができているわけですから。
私の場合、ひとつのことをある程度深いところまで掘り下げている自信はありますが、本当に詳しい人に比べたら広く浅い。それが悪いとは思わないし、だからこそできることもたくさんあるはずで、そこを活かすことが自分にできることだと思っています。
自分が目指すべき目標とする人は、ひとつの範疇にとどまらず多種多様な活動をしている人ですね。彼らは尊敬する人への想いとは少し異なり、非常に面白い。
すごい、というところと面白い、という視点で考えると、権威ある科学者から同級生まで、該当する人は本当に多いです」
米山維斗はなぜ天才なのか
ーー最後に、米山さんはご自身がなぜ天才なのだと思いますか?
「非常に難しい質問ですね(笑)。そのように思うのは非常におこがましいし、思ったことがないです。
強いていうのであれば、物事をゼロから考えることが好きで、それをずっと続けてきて今に結びつけられているからかな、と思います。
何事も当然だとは基本的には思わない。すべてのことに対し『本当に?』という疑問を持って考える。この考え方をするのは自分だけではないでしょうし、そういう人は実は貴重なんじゃないかな、と思っています。そういったところですかね。
考えることは本当に好きです。すべてが気になりますね」
編集後記
米山維斗は、深い知識と高い学力を持ちながらも、決しておごり高ぶることはない。彼にとっては面白いと感じたことを探求することも、面白そうなことに全力を注ぐことも、当たり前のことなのだろう。
自分のことを話すのは苦手、と語っていた彼だが、化学の話になると饒舌になり私たちを圧倒してくれた。中高の文化祭の思い出や友だちと作るゲーム活動の話題では笑顔が絶えず、学びも遊びもすべて本気で楽しんでいるのだと感じることができた。
あらゆる角度に視点を持ち、連鎖的に興味の幅を広げていく彼は、これからもさまざまな物事を探求し、それを世の中のために役立ててくれることだろう。
KIDSNA編集部