なぜ意知を殺した佐野政言は「神」になったのか…「べらぼう」は描かない殿中刺殺事件を裏で操った幕府の重鎮
オランダ商人の文書に残っていた「黒幕」の名前
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1784年3月、田沼意次の息子、意知は江戸城内で佐野政言に刺殺された。歴史評論家の香原斗志さんは「佐野が、ひとり公憤を募らせ、死罪になる覚悟で斬りつけたとは考えづらい。この事件のウラには遠大な謀略があった可能性がある」という――。
なぜ田沼意知は罵倒され加害者は讃えられたのか
衝撃的なラストシーンだった。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第27回「願わくば花の下にて春死なん」(7月13日放送)。政務が終わり、江戸城本丸御殿表の御用部屋から退出した田沼意知(宮沢氷魚)だったが、桔梗の間に通りかかると、新番士の佐野善左衛門政言(矢本悠馬)が立ち上がり、意知に「山城守様」と声をかけて突然斬りかかり、続きは次回となった。
2024年2月14日、東京で開催された「第78回毎日映画コンクール」の表彰式に出席した俳優の宮沢氷魚
第28回「佐野世直大明神」(7月27日放送)では、深手を負った意知は治療の甲斐なく死に、佐野は牢屋敷で切腹する。ところが、世間の人たちは、意知の葬列に「天罰だ」といって石を投げ、サブタイトルにあるように佐野を「世直大明神」として讃えた。
なぜ被害者が罵倒され、加害者が讃えられるようなことになったのか。そもそも、なぜ佐野は殿中で意知に斬りかかったのか。
それをひもときたいが、第27回では怪しい武士が描かれていたので、その男の言動を振り返っておきたい。その男はドラマを超えて、歴史の真相を示唆しているかもしれない、と思うからである。