余命3カ月の母親の横で添い寝した小3息子…母が最期にしたためたお弁当と惜別の手紙と自分への「2つの美容」
もうすぐいなくなることを、子どもにどう伝えたらいいか…
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関連記事:第3回 この世を去る人に栄養や水分の点滴をしてはいけない…意外と知られない人間がもっとも楽に逝ける看取り方 余命宣告された時、人は残された時間で何をすればいいのか。愛媛県松山市にある在宅医療を専門とする「たんぽぽクリニック」の医師・永井康徳さんは「人生最期の時間の過ごし方やどうしてもやりたいことは人それぞれ。その望みを叶えた患者さんの中には、医師である自分の目を疑うほどに回復するケースもある」という――。(2回目/全3回) ※本稿は、永井康徳『後悔しないお別れのために33の大切なこと』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。
寝たきりだった母が散歩できるようになった
もうすぐ80歳になる女性の患者さんは、病院で寝たきりとなり、意識はなく、胃ろうで生きながらえている状態でした。娘さんは「病院でこのまま死を待つだけなら自宅に連れて帰りたい」と思い、主治医に相談したのです。
ところが、主治医からは「こんな状態なのに自宅で介護ができますか? そんな話は聞いたことがない」とあきれられたそうです。それでも懇願して退院の方向で調整していたのですが、退院後の訪問診療を受け入れてもらえる医療機関が見つかりませんでした。
当時、たんぽぽクリニックを立ち上げたばかりだった私のところにも問い合わせがあり、「重度の患者さんを在宅医療でみたい」と意気込んでいた私は「みさせていただきます」と即答しました。
私が病院で患者さんと対面したときには、正直「自宅に戻られても数日で亡くなるだろう。せめて自宅での看取りが穏やかなものになれば……」と思うくらい、悪い状態でした。それでも、娘さんが少しでも安心して介護できるよう、スタッフと協力して療養環境や介護サービスを整えたうえで、患者さんの退院を迎えたのです。
一日3回の胃ろうからの栄養剤注入、2時間ごとのたんの吸引、おむつ交換や体位変換など、娘さんは献身的に介護に取り組みます。また、いい刺激になればと、意識のない患者さんに聞こえるようテレビをつけたり、好きだった本を読み聞かせたりしていました。娘さんは「歩けるくらいに回復してほしい」と話しますが、私は内心では「さすがに無理だろう」と思っていました。
それから1週間、2週間と過ぎ、私の見立てに反して患者さんの容体は安定していきます。それどころか、呼びかけや体位交換の際に、かすかではありますが反応するようになりました。1年後にはしゃべれないけれど目で合図が送れるまでに回復し、訪問リハビリを始めると身体機能も取り戻していきます。たんの吸引が不要になったので気管切開をやめ、話す訓練も始めました。
その後、訪問診療で伺ったある日、私は自分の目を疑うことになります。そこには、介護ベッドに座り、新聞を読んでいる患者さんがいたのです。あまりに驚いて声を出せないでいると、「あら、先生、どうしたの?」と患者さんから声をかけられます。娘さんはそばで泣きながら喜んでいました。
最終的には口から食べられるようになり、自分で歩いてトイレに行けるようになりました。娘さんが希望していたとおり、散歩に出かけられるまでになったのです。
この驚異的な回復は、今にして思えば脳梗塞による水頭症が改善したためと考えられますが、それにしても奇跡的です。あのまま病院にいたら、この回復はなかったでしょう。こうした患者さんの奇跡的な回復を目にするたび、在宅医療の可能性を強く感じるのです。