自動車でもエンタメでもない…「最大35%のトランプ関税」で日本の大きな切り札になる"第3の強い産業"とは
かつて世界一だった造船技術を米国は欲しがっている
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世界4位に躍進した「造船業復活」の切り札
6月26日、今治造船は、ジャパンマリンユナイテッドの株式を取得し子会社化すると発表した。元々、愛媛県の船大工としてスタートした今治造船は、円高や中国・韓国企業との競争に生き残り次第に規模を拡大した。
そして、今回、IHIや日本鋼管、日立造船などの大手造船事業を統合したジャパンマリンユナイテッドを傘下に収め、名実ともにわが国を代表する造船会社となった。新今治造船の造船能力は年間469万総トンに増える。韓国ハンファオーシャン(370万総トン)を抜き、シェアは世界第4位に浮上する。
今治造船によるJMU子会社化は、わが国造船業の復活に向けた最後の手段ともいえるだろう。かつて、わが国の造船業界は世界トップに君臨した。ところが、1990年代以降、韓国に追いあげられトップの座を明け渡した。さらに2000年代、中国勢は、その韓国をあっという間に追い抜き世界最大の造船大国の地位を確立した。
日本はなぜ造船大国の座を失ったのか
今回、救世主としての使命を受けた今治造船は、多様な船舶の設計や製造工程の共通化にオール・ジャパンで取り組む姿勢を明確にしている。それによって、中・韓勢に需要が流れないよう努めている。わが国の造船業を取り巻く環境を考えると、先行きは楽観できる状況にはない。中国や韓国の企業との価格競争はかなり厳しいはずだ。
そうした条件を克服して、わが国造船業界が生き残れるか否かは、今治造船の経営能力にかかっているともいえる。強烈な円高の逆風や、中・韓企業との競争という苦境を乗り越えてきた、今治造船の腕の見せどころだ。期待を持ってみていたい。
1901年に創業した今治造船は、最初は木造船の製造からスタートした。1942年に、周辺地域に点在していた、いくつかの造船所を集約し今治造船としてスタートした。1950年代、木造船から“冨士丸”に代表される鋼船の建造にシフトした。