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理想の世界に生きる現代の子どもは「恋愛」をするのか【助宗佑美】
子どもをとりまく環境が急激に変化し、時代が求める人材像が大きく変わろうとしている現代。この連載では、多様化していく未来に向けて、これまで学校教育では深く取り扱われなかったジャンルに焦点を当て多方面から深掘りしていく。今回は、少女漫画の編集者として数々の人気作品を担当し、現在はマンガアプリ「Palcy」の編集長を務める助宗佑美さんに話を伺った。
SNSを開けばリアルタイムで常に人とつながることができ、さまざまなデジタルデバイスやサービスの台頭によって、情報があふれたこの時代。
生身の人間と向き合い、誠実な関係を築き、恋愛し、結婚をするという親にとっては当たり前だった人生を、今の子どもたちはどう辿っていくのだろうか。
講談社で少女漫画雑誌『Kiss』『ハツキス』の編集者として『東京タラレバ娘』『海月姫』など数々のヒット作を担当。現在、9歳の息子の母でもある助宗佑美さんは、「どんな時代も、どんなジャンルであっても、恋愛は“自分と相手は他人だ”ということを描いています。親ができることはそれをいっしょに見て、子どもの視野を広げてあげること」と話す。
さまざまな恋愛のあり方や価値観を漫画によって発信しつづけてきた編集者として、学校では習うことのない今の時代の恋愛のあり方、そしていつの時代も変わらない恋愛の大切さとは何かを聞いた。
助宗佑美(すけむね・ゆみ)/1983年生まれ。明治学院大学芸術学科卒。2006年入社。少女マンガの編集者として、『東京タラレバ娘』『海月姫』(東村アキコ作)をはじめとする数々の人気作品を担当。「Kiss」編集部を経て、2019年より、「Palcy (パルシィ) - 講談社とピクシブ発の女子向けマンガアプリ」編集長に就任。
理想の世界に囲まれた現代の人々。恋愛漫画も「安定志向」
晩婚化や未婚化がニュースになり、「若者の恋愛離れ」という言葉も昨今ではよく聞くようになってきている。平成25年の「厚生労働白書」によると、交際相手を持たない20代・30歳の男女が「恋人をほしいと思わない理由」からは、消極的なようすもうかがえる。
――今の恋愛漫画には、どんな傾向がありますか。
主人公であるヒロインのかたちが多様になってきているように感じます。
私たち親世代が読んでいた恋愛漫画のヒロインは、女の子の理想や憧れが詰まったような外見や性格でしたが、今では外見や体型、学校でのキャラや立場などに関わらず登場するようになってきています。
それは私たちが意識的にやっているというよりは、社会が多様性を推進し、話題になるようになっているから、作家や編集者といった作り手側が、「こういう子がこういう恋をするのもありだよね」という感覚に自然となってきているからだと思います。すごく希望のあることですよね。
ヒット作は、たとえば「男性がリードするもの」「女性は男性に幸せにしてもらうもの」といった恋愛のステレオタイプを覆すようなものが多いですね。私もそれを意識的にやりたいと思っていて、いま担当している作品も、「男の人はそういうプレッシャーに苛まれているよね」とよく作家さんと話します。
恋愛漫画も、その時々の社会の動きや、世間の雰囲気を如実に映し出しています。
現在は、新型コロナウイルスの流行をはじめ、いろいろなことが不安定ですよね。そんな空気を感じ取っているのか、読者の人々には「幸福を見たい」という欲求が高まっているように思います。
昔の漫画って、単行本を7~8巻かけて男女が付き合うに至ることが多かったのですが、今のトレンドは、1巻ですでに付き合ってしまうんです。そして、付き合ってからの紆余曲折降りかかるトラブルや大きな選択をどういっしょに乗り越えていくか、ということをメインに描く。
同じように「溺愛もの」もブームで、「誰かが自分のことをめちゃくちゃ好きでいてくれる、相手は絶対自分のことを裏切らない」という溺愛のかたちに、安定や安心を感じたいのですよね。
――今の世代が恋愛をしなくなってきているとよく聞きますが、どう思いますか。
特に今は、SNSをはじめ、綺麗に加工された世界や理想の形に編集されたものばかりを見る時代。評価がいいところ、SNSで流行っているものを基準に選ぶことが増えると、「失敗をしたくない」という気持ちを持ってしまうかもしれませんよね。
お店や洋服だったらそれでもいいのかもしれないけれど、恋愛は他者が介在します。
常に理想の世界に触れ、明確な正解を求めている世代は、目の前にいる相手やその人とのコミュニケーションがうまくいかなかったときに受けるショックも大きいですし、他の人がうまく行ってるように見えてしまうこともあるような気がします。
こういうこともあり、私は必ず「失敗を描く」ようにしています。
恋愛には「憧れ」だけでなく「失敗」もある
――恋愛漫画で描く「失敗」とはどういうものなのでしょう。
特に少女向けの恋愛漫画は、モテやときめき、青春といったイメージが強いですよね。
「こんなかっこいい男の子とこんな恋愛ができるんだ」と憧れを促進するような内容が多く、それ自体は読者にとって活力やエネルギーになるので必要な要素ではあるのですが、実際に現実で置き換えるとそううまくはいかないですし、つまづくこともあると思います。
だから個人的には、「ちゃんと失敗を描く」ということを意識しています。憧れも提示するけど、失敗を経て救われる、そこまで提示できる漫画をつくりたい。
主人公と好きな人というメインのふたりがうまくいく話であっても、必ず三角関係になったり、片方が振られたり、もしくは友だちと揉めたりするわけです。だからこのメインのふたりの「成功」の話も見てほしいんだけど、その「彼氏になれなかった男の子の話」とか、「振られた側の友だちの話」とか、サブにあるストーリーも実は読んでほしい。
その子たちが敗れてしまった恋、手に入らなかったものというある種の「失敗」に対して、どういう風に自分の感情に落とし前をつけて前を向いて進んでいくかということや、逆に、自分は今成功しているけど、そうじゃない友だちにどういう振る舞いをするのが誠実か、というところまできちんと描こうということは作家さんとも話しています。
そうすることで、登場人物たちは人間として成長し大人になっていきますし、読んでいる人も、自分の恋愛のことをすべて友だちに話せるわけではないから、そんなときに、漫画を読みながら「私だけが失敗しているわけじゃないんだな」「私のあの体験ってこういうことだったのかもしれない」と共感してくれたらいいなと思っています。
恋愛漫画は「自分と相手は他人だ」と教えてくれる
――いわゆる恋愛の「惚れた腫れた」だけではなく、人間関係まるごと描くということなのですね。
恋愛漫画って、どんなジャンルでも、どんなストーリーでも、結局は「自分と相手は他人である」ということを描いていると思うんです。
「私のことどう思ってるんだろう?」「さっき言われたことはどういう意味だったんだろう?」「キスされたけどあの人は本気なんだろうか?」というように、常に自分じゃない人のことは分からないからドキドキするし、悩んじゃいますよね。逆に、向こうが自分のこと好きになってくれたら嬉しいって思う。
常に、自分は自分でしかなくて、それ以外は全員他人であるってことを大きな意味でいうと描いているので、起こるドラマも、ドキドキする感情も、全部ひとりではできないことだと教えてくれます。
だから相手が100%自分を理解してくれることはないし、その逆もあり得ない、ということを、絶望じゃなくリアルとして捉えられるコンテンツになったらいいなと。
たとえば、最初は「知りたい」「気になる」という気持ちからスタートしても、一方で、人はすぐ相手に何かしてほしい、あなたも私を好きになってほしいって気持ちになってしまう。
その瞬間に、不安という大きな感情の波が押し寄せてきて、「どうボール投げるか!?」「相手にキャッチされてるのか!?」「それとももう一回投げた方がいい!?」ということに集中してしまうので、最初の純粋な気持ちがすぐ消失してしまうんですよ。
そうすると、あとあと揉めたときに嫌な思い出だけが強く残って、別れたあとに「あいつ最低だったよね」と相手を嫌いになってしまうものです。
でも、最初の「こういうところあるんだ、好きだな」という気持ちを純粋に大事にすることができていれば、「この人のこういうところがいいなと思った」という思いは消えないので、「たまたま自分とは合わなかっただけなんだ」と思えるんですよ。結果的にその人とうまくいかなくても、幸福な恋愛をしたって思えます。
昔の少女漫画のテッパンで「ヤンキーが雨の中、捨てられた猫を拾う」というシーンは有名ですが、主人公が物陰からその光景を見て、その人のことを好きになるのは、誰に見せるためでも、誰に好かれるためでもない、その人の本質だから。
それが人を好きになることだよって、伝えてくれていたのかもしれないですよね。
「キュンキュンする!」だけでなく、その先に、そうした体験をしてもらえたら、作り手としてやりがいがあります。
コンテンツを子どもと見て話すことで視野が広がる
――小さいころって「かっこいい男の子」の定義が画一的だったから、現実でも、漫画に出ているようなクールな男の子がいたらそれだけで好きになっていた気がします。本当に“好き”なのか、これが恋愛感情なのかどうかも分からずに。
子どもって、小さくて人生経験が浅いじゃないですか。
大人に比べて見える視野と情報量も少ないので、恋愛コンテンツをぱっと見ただけで「あっ、付き合うってこういう感じなんだ」「男と女ってこうなるんだ」「付き合うとキスするんだ」という感じで、表面的な刺激を情報として受け取り、影響されていくと思うのです。
だからまずは、大人の自分の視野の広さで、子どもが同じように捉えられてるとは思わないこと。
そして、子どもが小さいうちは、いっしょにテレビを観たり、本を読んだりすることもあると思います。そこでいっしょに感想を言い合うことで、子どもの視野を広げてあげることができると思います。
たとえばいっしょにドラマを観ていたとして、それが恋愛を扱っている作品でもいいし、たまたま恋愛のシーンがあったときでもいいんです。
「でもさっきのさぁ、振られた側もつらいのにこういう言葉をかけていて優しいよね」という感じで、声をかけてあげる。
そうすると、通常だったら子どもは恋愛が成就した側の「くっついたらキスするんだ」という狭い部分しか見えてないところが、親が声をかけたことで「そっか、このふたりがくっついたってことは、この人は振られたってことなんだ」と情報が入ってくる。
そうして、「なるほど、あの場面に傷ついていた人がいたんだ」ってことを知ると思うんですよ。
子どもは親が与えなくても、毎日生活しているだけで恋愛をテーマにしたコンテンツに触れているし、恋愛を意識する状況にぶち当たります。自然と誰かのことを好きになると思うし。
だからそのときに、「恋愛の仕方にも、好きって気持ちにもバリエーションがあるんだよ」「相手は他人なんだから、うまくいくこともあるし、うまくいかないこともあるんだよ」というふうに話せるといいですよね。
子どもというものはたまたま出会った恋愛コンテンツにすぐに影響されてしまうものだから、「これだけがすべてじゃないんだけどな~」ってことをうまく伝えられればいいんじゃないかなと思います。
ステレオタイプや親の価値観を押し付けない
――助宗さん自身が、9歳のお子さんに対して心がけていることはありますか?
私は、息子が小学3年生ですが、「もし将来、彼女ができたら」とは絶対言わないようにしています。彼はゲイかもしれないし、バイセクシャルかもしれない。だから、「もし将来、好きな人ができたら」と言うようにしています。
ママからずっと「もし彼女できたらさ~」と言われ続けた子どもって、それだけで「俺、本当は男の子が好きだから彼女できない、どうしよう」と思ってしまうし、誰にも言えないことだと思ってしまうから、親子の間に距離ができますよね。
恋愛や結婚が話題に上がったときに、自分が無意識にステレオタイプを押し付けるような言い方をしていないかどうかは、気を付けたいです。「好きな人できたらさ」「パートナーができたらさ」「結婚してもしなくてもどっちでもいんだけどさ」と伝えてあげるととてもいいと思います。
恋愛の感情や関係に「正しさ」はないと思いますが、親としてこういったことに気をつけていれば、子どもが大きくなっていろんなことが起きたときに、「あっ、だから親はああいうふうに言ってたんだ」という気づきになるかもしれない。親が価値観や正解を押し付けていなかった成果として、子どもの中で生きるのではないかと。
恋愛の先にある「性」。親は信じて待つ
――親が子どもと恋愛の話をできる関係でいなければいけないというわけでもないのですね。
小学校高学年とか、中学生くらいになってくると「お父さんとお母さんがセックスして自分が生まれたんだ」と、親の恋愛とその先にある性の結果として自分がいるということを自覚すると思うんですよね。
まだまだ思春期で「セックスってどういうことなんだろう」「他人同士でそんなことをするなんて」という気持ちがあるうちは、そう思うことで精神的な距離が生まれてしまうのは仕方ないと思うのです。
だから、親子で永遠に、友だちみたいに仲良く恋愛やセックスの話を平等にするって本当に難しいと思うので、「子どもと距離ができても落ち込むな」と言いたいですね(笑)。
さらに、この時期は肉体的な接触も少なくなってきます。
9歳、10歳くらいまでは親ともハグしたりいっしょに寝たりするかもしれませんが、それ以降から、恋人ができる年齢まで数年間は他人との接触がすごく薄くなる。人と全然触れなくなるんですね。
だからこそこの時期の子どもたちは恋愛コンテンツに憧れるし、高校生くらいで、数年間のブランクを経て初めて彼氏にハグされたら、衝撃が大きくて相手のことで心がいっぱいになってしまいますよね。親が心配になるのも分かります。
だけどそのときにもし、小さいころから親と話して視野が広くなっていたとしたら、肉体の接触の興奮や衝撃を超えて、相手と対等に向き合うことができる。「これって相手の自分勝手な行動なのでは?」って気づけるかもしれないですよね。
――子どもが小さいころから、さまざまなコンテンツをいっしょに見て、気づきを与えるような会話をしていれば、そのあとは信じて待つというか。
そう、それで帰ってこないかもしれない。それはその子次第ですし、わからないですよね。
親に話せないことは、友だちだったりエンタメコンテンツで学んだり救われたりもできるから、バランスが大切なんじゃないかなと思います。
だから私も、親として自分の子どもに手を伸ばしたいし、編集者として漫画を届けることを通して、たくさんの人々を、誰かのお子さんをエンパワメントし続けていきたいですね。
<撮影>小林久井(近藤スタジオ)
<取材・執筆>KIDSNA編集部