【子どものミライ】Mr.都市伝説・関暁夫 ~人はなぜ生まれてきたのか!!②
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子どもたちのミライを考える、KIDSNA編集部の連載企画『子どものミライ』。今回はスピンオフ企画特別連載として、Mr.都市伝説・関暁夫氏にインタビュー。第一弾「人はなぜ生まれてきたのか!!」エピソード1では、デバイスの存在意義やAIによる判別時代について話してきた。エピソード2では、家庭で示す愛情のあるべき姿、伝えるべき教育について語る。
第一弾「人はなぜ生まれてきたのか!!」エピソード1では、デバイスの存在意義やAIによる判別時代について話してきた。エピソード2では、家庭で示す愛情のあるべき姿、伝えるべき教育について語る。
進化する時代に適応できるよう、今はとりあえず目前の対処として、プログラミングや英語に子どもを順応させようと息巻いている親御さんも多いだろう。だが、エピソード1の関暁夫氏の話を聞いていると、勉学にどんなに力を入れても、家庭という根底が固まっていないと意味をなさないようだ。
子どものミライのために、親が今すぐに見直すべき意識について聞いた。
子どもに示す愛情のカタチ
家庭にストレスを持ち込まない生活を見いだせ
現代の家庭で子育て環境上問題とされること、まず挙げるとすればどのようなことなのだろうか。
「一番最初の教育現場となる場合の多い母親が、ストレスを家庭に持ち込みだしたこと。そのストレスの影響によって、子どもはどうなるか。
教育の本質をたどっていくと、必ず手前のラインで題材に挙がるのが『怒る』と『叱る』の違い。これが混在しちゃってるんですよね。この違いについて、ちゃんと考えたことありますか?
家庭のなかで子どもを教育しているつもりで、実は怒る行為をしている。
『怒る』というのは、ストレスからくる感情に支配された行為。
『叱る』というのは、相手を想ったうえでの教育。
この違いを、今一度お考えください。無意識に子どもに対して、『怒る』行為をやっていませんか?」
なぜストレスを家庭に持ち込むようになったのか。現代社会の特徴と「大人じゃない大人の存在」だと関暁夫氏は語る。
「夫婦共働きが当たり前の時代だから、母親も社会に出るようになった。社会に出て受けたストレスをそのまま家庭に持ち帰る。ではそのストレスの根源は何なのか。
大人のようで大人じゃない人たちの集合体が今の社会を作っている、ということを今一度意識してください。社会には、大人の皮を被っているだけで、中身は人格すら形成されていない人たちがたくさんいるんです。
でもこのメディアを読んでいる方々は、少なくとも子どものミライや自分に対するミライに対して思考が働いているから、そういう大人とは一線を画してると思うんだよね。
そういう人たちが大人じゃない人と向き合って接する。ミライに意識を働かせていない人と話しても、何も得ることはない。なのに気を遣う。それが辛い。
これが現代社会のストレスの根源。このストレスをいかに家庭に持ち込まずに生活するか、ということが大事なわけです。感情コントロールね。大人ができていないから、子どもたちも感情コントロールができない大人に育つ。
その結果、コミュニケーション障害に繋がり、自立できないまま大人になり、親は年を取ってから子どもに無視されるわけです」
親だからできる”厳しさの教え”から逃げるな
無視されるだけならまだしも、大人になった子どもが年老いた親に危害を加える事件も増えている。この負の連鎖を断ち切るにはどうしたらよいのか。
「親が子どもにできることは、厳しさを教える。これだけ!
この『親の厳しさ』から、親が逃げている。
もともとは親が子どもの時代から、親から厳しく育てられることを逃げている。結果、厳しさを家庭で教えられない。その連続。自分たちは一生懸命子育てやっているのでしょうけど、よその家からは笑われる家庭になっちゃってますよ。
楽しいパパとか優しいママとか、大事なのはそこじゃないんですよ。自覚を持ったうえで、子どもに厳しさを教えないと。厳しさを教えることで、子どもは外に出て大人になることができる。子どもは社会に出て初めて大人になるんです。
社会不適合者にならないように、人格の本質をしっかり家庭で教えから外に出さないと。それができないと、日本にミライはないよ。
自分たちの子どもが生きる日本のミライのために活動しなさい。決断しなさい。それができなくなった民族は、終わりです」
教育を見直し、精神性を取り入れろ
確かに現代では、褒めて育てる教育方針が推奨されるケースも多い。どこまで厳しくすればよいのかも悩むところだ。ただ、そこを決断しないことが、若者の自殺へと繋がると関暁夫氏は語る。
「社会や家庭の現状を考えると、いろんな辛さがあるのもわかる。だけど、なぜ家庭の中までストレスを持ち込んでしまうのか、それはちゃんとした道徳がないから。感情コントロールができないから。
なぜそうなったか。精神教育がないから。
ひと昔前から、社会は精神教育を否定してきた。その結果が今の現状です。でも考えてみてください。自覚を持った時点で精神性が備わっていない子どもたちが、デバイスを持ち学校に通ったらどうなるか。
精神性がない教師と子どもたちが存在する場で、デバイスを通したイジメが入ってくる。そこには救いがないわけでしょ。救いがないから、子どもたちの決断は『もう死のう』となるんでしょ。
若い子の自殺数、日本は先進国の中でNo.1だよ。異常だよね。
子どものSOSをどれだけくみ取れるかももちろん大事。だけどまず、根本的な教育を見直さなければいけない。精神教育から始めるの。
今一度、精神性というものを見つめなおしたうえで、人とのコミュニケーションを考えてほしい。そこから信頼、信用へと繋がり、”個”としての実績になり、究極の”個”の時代を生き抜く基盤になるんです」
親が子どもに示せる愛情のカタチは、「その子のことを想い、決断し行動する」に尽きる。当たり前に必要とされる「優しさ」には、厳しさや委ねる勇気、自らの足で立つ強さを持てるよう見守ることも含まれる。人が辛い経験を通して他人に優しくなれるように、厳しさを知った子どもはきっと、周囲のお友達に優しい心を持つことができるようになるのだろう。
本質は”幸せな家庭像”の中にある
テクノロジーの進化とともに変化する時代を生き抜くためには、何よりもまず先に、親子ともに本質的な人格の構築が必要不可欠。そのうえで子どもに伝えるべきこととは何なのだろうか。
伝えるべき根本の本質は「死ぬな、殺すな」
「各家庭で、子どもに確実に伝えなきゃいけない本質の教育は何か。
どこかみんな、他人事になっているよね、教育に対して。子どもに何を伝えたらいいのかわからない。でもこういう風に育ってほしい、こういう大人になってほしい、という希望はある。ただそれは、着せ替え人形遊びの延長線上にあるもの。根本ではない。
根本的なもの、本当に子どもに伝えていかなければいけないことは、『死ぬな、殺すな』。わかる?こんな世の中だから、これが子どもが生きていくうえで核となるもの。この根本があったうえで、教育を考えなさい。
これから猛スピードでテクノロジーは進化していくよ。近いミライ、AIがシンギュラリティに到達する現状において、まずは『死ぬな、殺すな』の教育を、各家庭でしていかないと」
人が作った感情に乗せられるな
生きていれば常識として備わっていると考えがちな「死ぬな、殺すな」の意識。なぜそれが失われてしまったのか。
「それほどまでに、世の中は病んでいる」と関暁夫は語る。
「昔と今は違うのよ。昔は19時、20時になれば家族で食卓囲んでテレビ観てたでしょ。今の19時、20時、若い子はみんなデバイスでコンテンツ見てますよ。それぞれが違う情報を見てる。
だからこそ、どれが真実なのか自分で判断しなきゃいけない。左右という言い方をすると、右の情報も左の情報も両極端を見たうえで、その真ん中で自分の意見を持たないと。そこで初めて、自分のバランスが取れる。
時代が切り替わる過渡期において、感覚的に気づいているものに対してしっかり勉強して知識にしないといけない。それができないと、恐怖に負けて動かないで終わってしまう。
恐怖とは未知なこと。未知とは無知なこと。ちゃんと知識をつければ、未知ではなくなり恐怖も消える。ちゃんと自分で解決できるんですよ。
そういう意識を持った人格をしっかり作らないと、情報社会の中でどんどん周りの感情で支配された言葉に流されてしまう。感情というのは、自分から作り出して自分の決断上にあるもの。人が作った感情に乗せられる人間にだけはならないよう、子どもを育てなさい」
愛が欠損した社会は家庭から始まっている
子どもにデバイスを与えつつ、他人の感情や言葉から子どもを守る。だが、親の見守りにも限界はある。ではどうすればよいのか。
「幼少の頃から、子どもにデバイスを渡すでしょ?その頃から意識をつけさせなきゃ。『三つ子の魂百まで』という言葉が昔からあるけど、3歳までの教育が大事ですよ!ってことだからね。ここの本質を忘れちゃダメ。
子どもは3歳になれば、自我を持ち自分で判断して行動します。だから3歳までの教育が大事なんです。3歳からが大事だと言って、それまでずっと甘やかすでしょ?それじゃダメなんですよ。
親としてもね、子どもが3歳になったら、目を開けている間は”親”を演じ切る。子どもが眠っている時に、男と女に戻りなさい。子どもが目を開けている時から、男女に戻って欲の主張していませんか?それを子どもはずっと見てる。
子どもは、社会の大人を信用できない以前に、まず家庭を信用できていないのよ。愛の欠損なんですよ。子どもが泣いたら、すぐにデバイスで子どもが好きなアニメを見せるでしょ。それ、育児放棄ですからね。その現状に対してもっと自覚を持ちなさい。
今、どれだけ愛が欠損した社会になっているか。その社会を作り出しているのは、各家庭。家庭で教育されていない子どもたちが大人の皮を被り社会に出て、愛とは何かをずっと叫び続けている。親が見せてくれない、周りの大人が教えてくれないとみんな彷徨っている。
本来であれば、愛は自分がもらうものではなく、愛は人に与えていくものです。愛を与えることは、生命体として当たり前の道徳。これをしなくなった日本というこの国を、みんな真剣に考えなければ、子どものミライをいくら考えても意味はないんです」
子どもとは常にオンで向き合え
愛が欠損した社会。便利な世の中へと進化した反面、昔と比べると子どもに向ける労力は減ったのかもしれない。それは「向き合わなくなった」ということに比例するのだろうか。
「向き合わなくなったんじゃない。親は常に真剣。ただ、根本的に生じている道徳とされるもの、心理とされるものの教育が一切ないだけ。精神的な働きかけに繋がる教育がない。だから、子どもは根本がわからなくて、上辺だけでいろんな人たちと巡り合い、中身がないことに気が付いて虚しくなるわけ。
そのことに気づいてくれる大人は周りにいない。その状況において、子どもは死の選択を取らざるを得ない。
命を守るための、核となる愛が大事。それに対する家庭の中での教育がないでしょ。愛と引き換えに、子どもが幼少期の時から、目を開けている子どもの前で平気で夫婦喧嘩をしてませんか?
子どものミライを考えて夫婦で意見の言い合いをしてるなら、そこに愛があるなら、子どもはその愛情をちゃんと受け止めて理解するよ。だけど男女の小競り合いには愛がない。私欲を満たすためだけの行動だからね。
男は、母親のため子どものために。女は、父親のために子どものために。子どもは、両親のために。その意識を持って回していかなきゃ。
子どもは起きてる間、常にオンでしょ。そのオンに対して、ちゃんとオンで向き合うから、抱きしめ合っていけるわけ。そこに絆が生まれるの。そこから社会が始まっていく。愛の根本でしょ」
話すべき本質的な会話を子どもと交わせ
「子どもとコミュニケーションとらなきゃと焦って、みんなで食卓を囲むでしょ。そこで何が起こるかといったら、デバイスを通したコミュニケーション。いわば人間自身がデバイスの筐体だよね。それって、すごくやばくないですか?
昭和の時代は『食事の時はテレビ消しなさい!』という家庭方針のおかげで一家団欒があったよね。平成では、テレビという共通点があったうえでのコミュニケーションがあった。テレビがなければ一家団欒が生まれなかった時代。
今の時代、そしてこれから生まれてくる子どもの世代には、食事の時にテレビを消す感覚は、まずない。テレビはBGM。食卓についたら携帯を出して『今日お母さんはコレを作りました』と写メをSNSにあげる。子どもはゲームをやりながら食べる。
ただカタチ的に、そこに居る状況になっているだけ。一緒に過ごしている目的意識はそれぞれ違って、上辺だけで存在している。そんな家庭の状況を、俯瞰で見えていますか?
デバイスを取り上げろと言ってるわけじゃないよ。コンテンツを使いながらも、子どもと話す、本質的な会話をする、ということ。その働きかけが、日本の社会、世界のミライ、子どものミライまで考えることに繋がるから」
子どもの前で夫婦喧嘩をしない、家族で囲む会話の弾む食卓。それは、結婚するとき、子どもを授かったとき、誰もが思い描いた幸せな家庭の姿だろう。ただ、日々のタスクに忙殺され、気が付くと守られていない。
だが、それは果たして難しいことだろうか?今日からすべてを改善することは難しくても、守りたい約束の一つをまずは自分から働きかけることで、明日からの家族の在り方が少しずつ変わっていくのかもしれない。
エピソード3はこちら ↓