「常識を疑え」アート思考と子育ての共通点【末永幸歩】

「常識を疑え」アート思考と子育ての共通点【末永幸歩】

「アート思考」という言葉を聞いたことはありますか?「自分なりのものの見方」や「自分だけの答え」を大切にするこの思考プロセスは、実は子育てにもつながる部分があるのです。『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)の著者であり子育て真っ最中の末永幸歩さんに話を聞きました。

新型コロナウイルスの流行によって子どもの生活や教育環境は一変。未来は誰も予測できない、正解はないのだということを実感した保護者も多いのではないでしょうか。

そんな時代を生きる子どもたちの主体性や創造力が重視されるなか、2020年度の学習指導要領の改訂によって教育も「生きる力」を育むことの重要性を増しています。

そこで注目したいのが、「アート思考」という考え方。

アート思考とは、アーティストや芸術家が作品を生み出す過程で行っている思考法のこと。自分が感じている違和感や関心から問いを立て、「自分なりのものの見方」で探究し、「自分だけの答え」をつくるこのプロセスは現代を生きる子どもたちに必要不可欠です。

また、子どもだけでなく、保護者にも身につけてほしいと話すのは、美術教師・アーティストで自身も1歳の子どもを育てる末永幸歩さん。幼児とその親にとってのアート思考とはどんなものか、話を聞きました。

末永幸歩(すえなが・ゆきほ)/美術教師、アーティスト。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科修了。浦和大学こども学部講師、東京学芸大学個人研究員。アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、都内の中学校や高等学校で展開。子どもの創造性を育むワークショップ、教育機関での講演、大人向けアート思考セミナーなど、アートに関する教育活動を年間100回以上行う。プライベートでは1歳児の子育て中。著書に『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)がある。
末永幸歩(すえなが・ゆきほ)/美術教師、アーティスト。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科修了。浦和大学こども学部講師、東京学芸大学個人研究員。アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、都内の中学校や高等学校で展開。子どもの創造性を育むワークショップ、教育機関での講演、大人向けアート思考セミナーなど、アートに関する教育活動を年間100回以上行う。プライベートでは1歳児の子育て中。著書に『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)がある。

子どもはもともと「自分だけの見方」で世界を見ている

――アート思考はどのように育めるものなのでしょうか。

現在私は1歳児の子育て真っ最中なのですが、子育てはアート思考を育む良い機会になると実感しています。

アート思考とは、今までとは違うものの見方をして自分なりの答えをつくること。つまり前提や常識を疑ってみることから始まるのですが、これは子どもの様子を観察することがそのきっかけになることがあります。

なぜかというと、子どもは大人が気付かないようなことに目を向けたり、違うふうに世界を見ていますよね。子どもの視点に立ち、その時々で子どもが出会っているものを想像してみることによって、「大人の当たり前」を問い直すことができるのではないかと思っています。

たとえば、最近こんなことがありました。少し目を離した間に、娘がリビングの床の端から端までクレヨンで絵を描いてしまったんです。

こんなとき、みなさんならどうしますか?

(提供:末永幸歩さん)
(提供:末永幸歩さん)

床に絵を描いたという結果だけをみると「いけないこと」だと叱ってしまいがちですが、子どもがなぜこんなことをしたのか?と過程の部分を少し立ち止まって観察してみましょう。

このときの私は「ああ、これは拭くの大変だな……」と思いながらも、幸い水で拭けば落ちるクレヨンだったので、どうせならと、私も娘といっしょになって床に描いてみました。

そうすると、画用紙とは違ってツルンと滑る床は、どんどん絵が描けることに気が付き、娘が短時間で大作を描きあげてしまった理由がわかりました。床は紙よりも大きなキャンバスなので、体や手を動かしたいままに動かすのがおもしろかったのかもしれないし、もしくは、床の上をクレヨンが走る感触を楽しんでいたのかもしれません。

こうして考えてみると、子どもが床やクレヨンを自分なりの仕方で捉えて、そこから面白さを引き出していたことがわかります。これこそが、子どもがアート思考を発揮している場面なのだと思います。

※写真はイメージ(iStock.com/CherriesJD)
※写真はイメージ(iStock.com/CherriesJD)

――ということは、つまり子どもはもともとアート思考を持っている、と。

アートを植物にたとえると、作品は「表現の花」にあたります。自分らしい花を咲かせるもとになるのは、自分自身の興味や好奇心、疑問といった「興味のタネ」。タネからは四方八方に伸びる無数の「探究の根」が生えていて、結果としてできあがった花よりも、それまでの過程である土の中の部分がアート思考です。

 
 

パブロ・ピカソの「子どもはだれでもアーティストである」という言葉はよく知られていますが、私も、子どもは「タネ」を持って生まれてくるものだと考えています。

――興味のタネから探究の根を伸ばす、とは具体的にどういうことでしょう。

たとえば、ある子が「なぜ植物は緑色なんだろう?」と素朴な疑問を持ったとします。一般的な探究方法として思い浮かぶのは、インターネットや図書館で、そのの理由を調べたりすることでしょうか。もちろん、それも大切な力ですね。

一方で、アートの探究方法は「今は存在しないもの」を空想していくこと。今回であれば、「こんな植物があったらおもしろいな」という空想を形にしてみるのもひとつの方法です。

私が行った授業で、この疑問を抱いた児童は、緑色ではないいろいろな色の紙をちぎって貼り、見たこともない植物をつくっていました。「この木に登って葉っぱを集めたい!そして、この葉っぱを食べた虫たちはどんな色になるんだろう?」と、自分の疑問を出発点に空想を膨らませていました。

――確かに、小さな子どもは大人が思いつかないような発想を持っていますよね。

この例のように、小学生くらいまでの子どもはすぐに疑問が見つかることが多いので、あとは興味のタネから、探究の根を伸ばしていくための環境を整えるだけです。タネが自然に発芽するための畑を用意するようなイメージです。

だからこそ、本来子どもにはアート思考的な教育をすることはできないし、する必要もありません。子どもたちのありのままを受け止める大人の方こそが、常識や正解にとらわれず、アート思考を持つべきだと感じています。

※写真はイメージ(iStock.com/Hakase_)
※写真はイメージ(iStock.com/Hakase_)

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大切なのは子どもの存在を「まるごと肯定する」接し方

――末永さんがそう思うようになったきっかけはあったのでしょうか。

大きなきっかけとなったのは、中学校の常勤の教員を辞めて大学院に入り直し、美術教育を学んでいたときに企画した初めてのワークショップ。「学校ではできないことをしよう」と意気込んで、大がかりなファッションショーを行うことにしたんです。

私は、ワークショップに参加するみんなが時間内に最後まで服を完成し、ショーでお披露目するために、子どもたちの間を忙しなく移動しつつ指導に奮闘していました。

しかし一方で、ワークショップのスタッフとして参加していた大学院の仲間が、私とはまったく違うスタイルでワークショップに関わっていたんです。

子どもたちが何十人もいるにも関わらず、貴重なスタッフである彼女は、ひとりの女の子の横にずっと座って、その子のことをただ見ていたのです。それなのに、女の子は悩みこんでしまって完成させることができませんでした。

※写真はイメージ(iStock.com/ArtistGNDphotography)
※写真はイメージ(iStock.com/ArtistGNDphotography)

その後も彼女の姿がずっと心に残っていたので、私自身のことを振り返り、問い直してみました。

そこでたどり着いたのは、彼女がアドバイスやサポートをせずに、ただ女の子の横にいて見守っていたことは、その子の表現や行動、存在すらも「これでいいんだよ」とまるごと認めていることになるのではないか?ということ。

私の教育者としてのあり方は、学校で行う一斉授業をそのままワークショップに移動させたようなもので、無自覚に学校教育の従来のスタイルを踏襲していたのだと気づきました。

それから徐々に、ワークショップのスタイルを変えていきました。場所だけを用意して、好きな時間に来て好きな時間に帰っていい、子どもたちの自由な活動を保障する場。大人は正解もゴールも示さず、ただ見守ることを大事にしています。

ワークショップ「こっぱひろば」の様子(提供:末永幸歩さん)
ワークショップ「こっぱひろば」の様子(提供:末永幸歩さん)

このワークショップで模索しながら考えたことを、非常勤で務めていた中学校の授業の中に活かすことで、私の授業のスタイルも変わっていきました。

学習指導要領には、できあがった作品だけでなく「関心・意欲・態度」も見るように評価の観点がはっきりと示されています。その部分をどのように評価するかは、先生次第ですが、私の場合は「過程」を評価するようにしています。

最終的にできた作品よりも、その過程で何を考えていたのか、どんな変化や気づきがあったのか。それを自分のためのメモとして一冊のスケッチブックに残していきます。後から生徒自身が自分の足跡を振り返り、学んだことをまとめます。作品の出来栄えよりも、こちらを見ると生徒に伝えています。

「上手に絵が描けないから苦手」「こんな美術の知識に意味があるの?」と苦手そうにしていた生徒たちも、知識や正解にとらわれなくてもいい、作品のクオリティよりも疑問を持って探究したプロセスが大事だと気づくと前のめりになって授業に参加してくれるようになりました。

その当時はアート思考という言葉すら知りませんでしたが、このように、私自身が教育者として、いちアーティストとして美術に関わる中で、美術や教育の「当たり前」に対して疑問を持ったことがきっかけとなり、アート思考にたどり着いたのです。

高校生の授業で「作品の完成とはどういう状態か?」という疑問を持った生徒がさまざまな方法で実験しながら制作したもの。こうした常識や前提を疑ってみることで自分なりの答えをつくってみる。(提供:末永幸歩さん)
高校生の授業で「作品の完成とはどういう状態か?」という疑問を持った生徒がさまざまな方法で実験しながら制作したもの。こうした常識や前提を疑ってみることで自分なりの答えをつくってみる。(提供:末永幸歩さん)

大人の常識やルールで子どもの行動をジャッジしない

――末永さんが「当たり前」を疑い、正解や常識にとらわれない授業やワークショップを行うなかで、子どもを持つ親が同じようにアート思考を伸ばすためにはどんな工夫が必要でしょうか。

子育ては大変な毎日の連続ですが、子どものひとつひとつのできごとに立ち止まって向き合えるか、そしてそれらに対して先入観や常識にあてはめてジャッジするのではなく、「なにを感じているのかな?」と保護者が自分なりに観察して考えられるかが大切だと思います。

これも私の実体験ですが、1歳の娘が、最近、せっかく作った食事をペーッと出したり、口から出して投げたりするんです。その行為だけを見ると「なぜ食べてくれないのだろう……」と、思うかもしれません。

でも娘をよく観察すると、舌触りなどの触覚を意識して、ひとつひとつの食べものを味わっているのではないか、と思ったのです。

※写真はイメージ(iStock.com/Orbon Alija)
※写真はイメージ(iStock.com/Orbon Alija)

大人は、食感はもとより味さえもよく感じずに食事をすることがある一方で、子どもは自分の五感を使って本当の意味で味わっている。

食べ物を出してしまうという行為だけを見ると嫌な気持ちになるかもしれませんが、「触覚を駆使して食べ物を感じ取っているのだ」と見方を変えれば、「絶対に良くないこと」とも言い切れないと思いました。

他にも、つい先日公園に行ったときに、娘が小石で排水溝の鉄部分をカンカンと鳴らしていたんです。子どもは、何がよくて何が危険なのかがわからないから、すぐにこちらの表情を確認します。

まずは見守ろうと思って笑って見ていると、またカンカンやり始める。そうすると徐々に活動が展開してきて、他の場所を叩くと違う音がすることや、石の大きさによって音の高さに変化があることに気付いていくんです。娘をよく観察していると、音を楽しんでいたんですよね。

(提供:末永幸歩さん)
(提供:末永幸歩さん)

このとき、私がやったことは声をかけることもせずに、子どもをただ観察したこと。「やめなさい」とも「何してるの?」とも言わない代わりに、ただ子どもの側にいて見守っているだけで、子どもは安心して探究することができるはずです。

結果だけを見て大人の常識に当てはめて「ダメだよ」と止めてしまうことは、極端な言い方をすれば五感を駆使して感じとる機会を奪っていることになるのかもしれません。

末永さんのご自宅。末永さんが絵を描いていた部屋を娘さんといっしょに使っている。こうした子どもの活動が保障された自由な場を用意することも大切(提供:末永幸歩さん)
末永さんのご自宅。末永さんが絵を描いていた部屋を娘さんといっしょに使っている。こうした子どもの活動が保障された自由な場を用意することも大切(提供:末永幸歩さん)

――最後に、先の見えない世の中で、ご自身のお子さんにはどのように育ってほしいと思いますか?

自分の子どもに限らず、いろいろなワークショップや授業で出会ってきた子どもたちも含め、子どもはもともとタネを持っていて、そのタネで咲く花しか咲かないと思っています。それこそが、唯一無二の自分らしい花です。

私がいくら「こんな花を咲かせてほしい」と思っても、無理に花の姿を変えることはできないし、私自身そんなことはしたくありません。

では、大人ができることは何なのかというと、もともと子どもが持っているタネから自分自身で発芽できるような場所や環境を用意してあげること。

安心して発芽させることができる環境さえ用意したら、あとは子どもたち自身に任せましょう。子どもがタネから自分なりの根っこを伸ばし、探究し続けることで、花は自ずと咲くものだと思います。


<取材・執筆>KIDSNA編集部

 
 

「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考(ダイヤモンド社)

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2021年12月10日


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