【天才の育て方】太田三砂貴~日本歴代最高IQ188の大学生

【天才の育て方】太田三砂貴~日本歴代最高IQ188の大学生

KIDSNA編集部の連載企画『天才の育て方』。 #12は、アインシュタインに匹敵する頭脳を持ち、アートや音楽など多方面で活躍している太田三砂貴さんにインタビュー。現在は大学生で学問に専念する彼は、どのような価値観を持って人生を歩んできたのだろうか。幼少期まで遡り、そのルーツを探る。

<連載企画>天才の育て方
「物事の根源はどこにあるんだろうという探求心が常に働いていた」
「学校のシステムに沿ったら自分の中の何かを失うという葛藤があった」
「数日かかるといわれるメンサのテストも数時間で簡単に解けた」

こう語るのは、日本の歴史上最高数値であり、5億人に1人しかいないIQ188を持つ太田三砂貴さん(以下、太田さん)。

16歳のときに、全人口の上位2%のIQを持つ人が集まる国際グループ「メンサ」に当時の最年少・最高記録で合格し入会。

高校を卒業後、専門学校や就職、海外留学などを経て、現在は、大学で物理と数学を学びながら、絵や音楽などクリエイティブな才能を発揮して活動の幅を広げている。

人並外れたIQを持つがゆえに、学校や世間との違いを感じていた彼は、どのような価値観を持ち、どのような経験をして今に至っているのだろうか。その背景を紐解いていく。

物事の根源や本質を知りたかった

16歳のときに、メンサの入会試験で高得点を叩き出した太田さん。日本史上最高のIQ188を持つ高校生になるまで、どのような道筋を辿ったのか。学校生活について聞いた。

テストはできても”わからない”

――学校での勉強はどうでしたか?
 
「勉強はふつうにできていましたが、それだけでは物足りなくて。小学4年生くらいの時に、『自分のアンテナをとにかく広げたい』『感性を養いたい』と思った時期があり、まず手にしたのが『パンセ』というパスカルの書いた哲学書でした。

“人間は、考える葦である”で有名なこの本ですが、そこには、人間の一番根源にある仕組み、パーツのようなものは何かということが書いてあって。自分はその理論や仕組みが、どうやって作られてるのかという本質的な理解をしたかったんです。

小学校の図書館には、大事なポイントだけをかいつまんで説明したやさしい本や、みんなの興味を引かせるような本が多かったので、家の近くの県立図書館に何度も通って、むずかしい本が並んでいるゾーンから、ひとつひとつ読んでいきました。

授業でも、教科書に書いてあることを暗記するのはあまり好きじゃなくて、その裏側にある本質は何だろうっていう探求心みたいなのが常に働いていたんですよね。

教科書で習う内容は自分だけすぐに終わってしまうし、テストで点数も取れるのですが、問題の答えではなく、本質が知りたかったので先生にも質問ばかりしていました。

小学3、4年生で算数の授業で時間の計算を習ったとき、どうしても“時間”の概念が分からなかった。先生に質問しても、答えてもらえなくて。そんなとき、幼稚園生のころから母親に頻繁に連れて行ってもらっていたプラネタリウムで、アインシュタインの相対性理論を知ったんです。
 
そのとき初めて時間の概念を理解して、魂が揺さぶられました。学問の世界ってこんなにおもしろいんだ、と。学校で教科書に書いてあることを覚えるよりも、人はおもしろいと思ったことはこんなに吸収できるんだと初めて実感しました。そのときに、日常で感じる素朴な疑問を大事にしていこうと思ったんです」

感動的な物理や数学との出会いが、わずか8、9歳の太田さんを学問への道へ導いた。しかし一方で、立ちはだかる壁もたくさんあった。

メンサのIQテストをすぐに解き終わった

「しょっちゅうぶつかっていた壁といえば、学校のシステムです。中学で教育熱心な先生に出会い、褒めてもらえるかなと思ってちょっとがんばったらテストで学年1位をとったことがあったんです。

そのとき、周りから『他の人より吸収が早い』とか『普通ちょっとがんばっただけだと、塾とか行かずに学年1位を取れるものじゃないんだよ』と言われました。小さいころから、家族には『あなたは他の子と違う』と言われていたのですが、そのとき初めて、自分の他の人との違いは“知能”なのかもしれない、と思いました。

同時に、ちょっとがんばれば上がったり、下がったりするただの値になんの信憑性があるんだろうと思って、学校での勉強への執着がなくなりました。なんとなくの感覚ですが、完全に学校のシステムに沿ってしまったら、自分から何か失われるのではないかという葛藤がずっとあって。
 
だけど世間の人たちはテストの点数を重んじるわけですから、そこでもかなりギャップを感じて。そういったことが積み重なって、高校生のときにメンサという団体のことを調べることになったんです」

MENSA(メンサ)は、人口上位2%のIQ(知能指数)を有することを唯一の入会資格とする、会員同士の交流を目的とした国際的な非営利団体。会員数は全世界100ヶ国以上で約134,000人、日本には約3,500人(2018年9月現在)の会員が在籍している。

その入会時のIQテストでは、一般の人なら数日~半年かかって解くような問題を、短時間ですべて解き終わってしまったと太田さんは言います。

「メンサの元会長さんが当時のテスト会場にいて、その事実を知っているんですけど、自分は逆に、みんなはなんでそんなにかかるんだろうって思っていました」

自分の理解を確かめるための音楽とアート

物事の根源や本質を知りたい。その欲求に答えてくれたのは学問だけではない。太田さんは、幼児期から誰にも習わずに、音楽や絵画などクリエイティブな才能を開花させてきた。ピアノやバイオリンを演奏するだけでなく、交響曲まで作曲してしまう。絵画は、レオナルド・ダヴィンチの再来とも称され、ギャラリーと契約をするほどの実力だ。
 
写真提供:太田三砂貴さん
――絵は、いつごろから描くようになったんですか?

「絵はずっと描いていました。幼稚園のころよりももっと前から。その頃から、自分は何かにのめり込みすぎるところがあったみたいです。

幼稚園とかでも休み時間はずっと一人の時間というのがあって、周りが見えなくなって気がついたら休み時間が終わったり、食べるのを忘れたりすることがあったみたいです。

たしか一番最初は、母親がドラゴンボールの漫画を貸してくれて、色を塗っていました。

小学生のころは棒人間を描いて、みんなの注意を引くことが好きでしたね。たとえば、自分が漫画調に描けば、みんな真似して漫画調に描いたりして。中学生のときはルネ・マグリットのタッチを真似ていました」

――音楽との出会いはいつ頃だったのですか?

「中学生のときに母親がモーツァルトの曲を教えてくれたんです。素晴らしくて、聴き入ってしまいました。ベートーヴェンとか、他の作曲家は、たとえば、ここからここまでの音楽の尺があったとして、切り取ったところを引き延ばすと、あまり心地よく聞こえないんですよね。でも、モーツァルトの曲は、どこを切り取っても素晴らしいんです。
 
自分は音楽の聴き方も変わってたのかもしれないですね。頭の中で、『よし、今日は一番高い音に集中しよう』とか『バス(一番低い音)に集中しよう』とか決めたりしていて。

『1分何秒のときに美しい、だけどこれなんで美しいんだろう?』って繰り返し聞いて、電子キーボードでひとつひとつの要素を分解していって、この和音はどういうふうに成り立っているんだろうとかを調べていました。

それで高校生のときに、この理論って一般化されてないのかなと調べたら、“音楽理論”という学問に出会いました。それで音楽大学用の受験勉強の本を見つけて、書いてあることをひとつひとつ試すうちにはまっていき、作曲ができるようになりました」

――絵を描くことと、音楽をやることの共通点はありますか?

「説明しにくいのですが、絵と音楽って、処理をするために頭の空間把握能力の部分を使っているような気がするんですよね。正しいのかどうか分からないけど、同じ部分の力を使っているなっていう雰囲気がして。

ただ、絵は、自分の中では実験ツールのひとつ。たとえば、iPhoneのこの曲面はどうなっているんだろうって思ったときに、絵に描いて探るんですよ。もし絵でしっかり描けなかったら、自分の理解が間違っているってことになるんだと思う。

実際に描けたら、認識があっていたっていう確証になる。自分の理解を確かめたいのかもしれないですね、音楽も絵も」

天才ができるまでのルーツ

幼少期や学生時代は協調することが苦手だった一方で、好きなことに対しては周りを忘れるほどの強い集中力と探求心を持っていたという太田さん。彼のご両親はどのように接し、育ててこられたのだろうか。

個性を尊重してくれた母と、厳しく叱ってくれた父

――小学生や中学生の時に感じていた自分の好奇心や、周囲との違いについて、ご両親には話していたんですか?
 
「両親が大学を出ていないので、学問に関する話をしても分からないだろうと一切閉ざしてしまっていました。当時の悩みは、自分のやっている勉強が周りではやっていないことでかけ離れてしまう孤独感みたいなものだったのですが、母は『何かあったの?』とよく聞いてくれていました。

だけど、心配しすぎないようにもしてくれていたみたいで。小さいころは特に、絵を描くことも勉強することも、『やりたいことをやりなさい』と放任してくれていました。今でも母は、自分が何かに熱中して周りが見えなくなり、話しかけられて返事ができなくても『みさは考え中か、後にしとこう』と言って放っておいてくれたり。

今になって両親が言うのは、自分が小さいころは『~しなさい』と言って何かを強制するようなことはしないようにしてくれていたそうです。自分のやっている勉強をいくら自分たちが理解できなくても、とりあえずやっているところを見守るスタンスでいたと言っていました。

だけど、父は次第に厳しくなっていきました。

小学3年から中学2年まで地元のサッカーチームに入っていたのですが、自分がこうしたいっていうことがあるのに何かに規制されるのがとにかく嫌いで、集団で空気を読んで協調するのがあんまり得意じゃなかったんです。

そんなとき、試合でうまく立ちまわれなかったりすると、父に怒られたり。学校では、いじめていたりいじめられたりはなかったのですが、いじめを見ている側の自分だったことがあって。そういった、道徳的に間違ったことに関しては注意されましたね。

勉強よりは、人間的に強くなってほしいという気持ちがあったみたいです。今の自分だから言えるんですけど、一番子煩悩だったのは母親より父親で、わざと厳しくしていたんだなと思います。それも完全にマイナスだったわけではなく、社会性がある両親なのでそういったところはしっかりと教えてもらったなと思っています」

就職、留学…回り道をして、今がある

――16歳で最年少でメンサに入会してからの道のりはどんなものでしたか。

「高校卒業後の進路については、父が『プログラミングが向いているんじゃないか』と提案して、専門学校に進みました。両親は『手に職をつけてほしい』という思いがあったようです。

専門学校では1年でプログラミングをマスターしてしまったんです。でも、すぐにマスターできてしまうことに価値を感じられなかった。『すぐできることを世間は認めないだろう』と思っていて、学費も高いし、自力で勉強できるじゃんという気持ちで1年で退学しました」

専門学校を卒業後、太田さんは就職活動を開始したが、学位がないこと、社会経験がないことを理由にさまざまな企業に落とされてしまった。そこで出会ったのが、コールセンターの仕事だった。
「とりあえずいったん働いて、就業中に求職しようと思ったんです。

そしたら思いのほか、コールセンターが長く続いたんです。優秀な成績を出して“顧客満足1位”になったり。いろんな人に褒めてもらえるので、まんざらでもなかったのですが、『ずっとここにいるのも違うな』という思いがあり、その後アメリカに留学し、ホームステイをしたんです」

まったく日本語の分からないホストファミリーと過ごす時間や、地域で無料で開催される英語教室に通う中で、太田さんは約3カ月で英語をマスター。金銭的な問題もあり、その後帰国し、習得した英語を使った事務作業の仕事をするようになります。

「だけど、どの職場でも『君はここにいちゃいけない』ってしょっちゅう言われていたんですよ。そうは言っても、自分はどこに行けばいいんだろう?と思っていました。そのときは、学問からどんどん離れていってしまっていて、自分の進むべき方向が分からなくなっていました。

日本で勤めて、またお金が貯まったので海外で仕事をして学校に入ろうと思って、また海外に行きましたが、とりあえず勤められるところで働いて……のくり返しでした。これではいけないと思い、日本に戻りました」

――その後、大学を受験されるのですよね。何かきっかけがあったんでしょうか?

「それまでずっと、自分の能力はきっと何かに生かせるはずなのに、なんでここにいるんだろう?って思っていたんです。人生を迷走しているようでした。

そんなときに、世界各国のさまざまな分野の知識人のスピーチ動画を配信しているTEDで、『超対称性理論』についての動画を見たんです。その瞬間、小さいころに母と見たプラネタリウムや、そこで出会った相対性理論のことを思い出して。

その分野に詳しい教授がいる大学に決め、受験しました。両親は最初は大学受験に反対していましたが、最終的に応援してくれました。父親が毎朝ごはんを作ってくれて。本気になった人には熱を持って応援してくれる人なんですよね」

――今は好きだった勉強ができるようになって楽しいですか?

「楽しいです。やっと自分の持っていたものをしっかりと解放できるときがきたみたいな。なくなりかけていた好奇心が一気にあふれたようでした

――今気になっていること、興味のあることは何ですか?

「今一番知りたいのは、数学と物理の対応関係です。対応関係をもっと厳密にしたいし、知りたい。それから、あのアインシュタインが最後まで研究をして結局その謎が解けなかったと言われている『統一場理論』についても知りたいです。

最近特にホットと言われている『超弦理論(超ひも理論、スーパーストリング)』という分野があるんですけど、最近、それが“数学の特殊関数のq-類似とどうやら対応しているようだ”ということが研究されているみたいで。

小学生のときに好奇心を持って自分でたくさん勉強していたときと同じです。この世界がどういうふうに創られているのか、その真理を確かめたいんですよね」

――将来の夢はありますか?

「今通っている大学を卒業したら、奨学金をもらえる海外の大学院に行きたいと思っています。そこで、研究や絵を描くことをずっと続けたいなと。好奇心を追い求め続けられればどこでもいいと思っています」

天才に聞く天才

天才が思う天才とは

――どんな人を天才だと思いますか?
 
「たとえば、数学の特殊関数に『q-類似』という分野がありますが、これは、たとえば1+1=2という概念を根本から見直そうという話なんです。我々がふつうだと思っている足し算という規制やルールをゆるくして、1+1以外でも2が成り立つようにしたときに、ある美しい数学的な現象が起こるということが確認され始めて。

そうやって規制やルールをゆるくした世界で成り立つ数式を、またもう一度、我々の知っている一般的な世界に持っていこうとするときに、うまくいくときとうまくいかないときがあります。うまくいくときというのは、大抵この宇宙を理解するために大切な公式だったりするんですよね。

こんなふうに、学問は、すぐには結果が出なくても、すぐに分からなくても、夢があるとか、美しいとか、壮大だとか思えたらおいしいですよね。それが研究者のエンジンでもありますから。

自分の思う天才は、そういった夢があること、美しいこと、壮大なことをずっと大切にしてきた人たちな気がします」

――尊敬している人や目標にしている人はいますか?

「やっぱり理論物理学者のアルベルト・アインシュタインですね。彼は、ドイツの強制的でガチガチの教育システムの中から、自分を貫き通して、二浪して大学院にも行けずに、ほぼ独学でやってきたんです。

言語障害を抱えていたとも言われていて、言葉がすぐに出てこなくて周りにバカにされることも多かったみたいです。そんな中でも、どうすれば自分を大切にできるのだろうっていうのを考え続けたところがすごいなと思います。

ほかには、数学者のカール・ワイエルシュトラスも尊敬しています。この人は一度法学部に入学したあとで、本当にやりたいことは数学だと気づいて単位を1つもとらずに4年間ずっと大学に通い、その後は事務員として働いたんです。

彼が認められたのは確か40代になってからで、今では数学のある分野の大御所になっています。そういう紆余曲折した偉人の人生を見ていくと、『やっぱり励まされるな、ここでは終われないな』っていう気持ちになります

太田三砂貴はなぜ天才なのか

――なぜご自身が、天才と言われるのだと思いますか?

「ありもしない、ヒントもないところから、『どこから思い浮かんだの?』っていうような発想が生まれるってよく言われるんですよね。

ただ、自分では、自分の中に常に転がっているんです。小さいころから、自然を観察して感じたことや、絵を描いたり、音楽をしているときに浮かんだ疑問を蓄積しているからだと思います。

たとえば、2~3歳くらいのときから、図形が好きなんです。自分でもよく覚えているんですが、道にある葉っぱの形ひとつひとつを『これはあんまりきれいじゃないな』と思ったり、葉っぱの模様を『この角度から見たら美しいのに』と思ったりしていました。今でも歩きながら探すこともあります。

光も好きで、懐中電灯をこうやると放物線ができるとか、こうやると双曲線になるとか。波のなす模様とかも見て、自分なりの実験をしていたんです。

ほかにも、今は、ピアノの3度音程のハモりを聴くのも癒しです。一般的な曲は430ヘルツと決まっているんですが、最も美しいとされている宇宙の周波数は432ヘルツなんです。だから、音楽を聴くときはわざと2ヘルツずらしたりしてます。
 
そういう、身の回りのものから、この世界の美しさや壮大さを感じるための好奇心や感性が自分にはあるのかなと思います。頭の中でいつも考え事をしていて、おもしろいことを思いつくと嬉しくなって笑ったり。よく友達に、ふつう人は知れば知るほど分かるものだけど、お前は知れば知るほど分からなくなるって言われます(笑)」

編集後記

 
自分の目の前にある景色が、物が、どこから来ているのか。何でできているのか。物事の仕組みを知りたいと話す太田さんからは、乳幼児のころから培ってきた、この世界への飽くなき好奇心と探求心が感じられた。

天才であるが故に自分の進むべき道を紆余曲折しながらも、自分の心を貫いた彼の、夢にあふれる活躍ぶりは、今後も見逃せない。
 

<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部

<連載企画>天才の育て方 バックナンバー

2020年04月29日

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