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torch clinic(トーチクリニック)治療計画を“見える化”する不妊治療の最前線<前編>
torch clinic(トーチクリニック)では、不妊治療に入る前に、人生設計の中で「何人子どもがほしいか」を必ず聞くと話す、院長の市山卓彦先生。「何歳までに何人産みたいか」家族計画を実現するための不妊治療法や、卵子凍結に対する考え方について聞きました。また、市山先生が全国でわずか1020名(2023年4月時点)しかいない生殖医療医のスペシャリストへの道を歩んだ思いとは?
不妊治療の3つの“ペイン”
「不妊治療が他の治療と異なるのは、正解を見つけ出すのは患者さん自身だということです」
こう話すのは、国内有数の不妊クリニックと大学病院で研鑽を積み、2022年5月にtorch clinicを開業した院長の市山卓彦先生です。
市山先生
「何歳までに何人産むか」治療計画を可視化する
「二人の歩く道のりを照らし命の火をともす、松明(たいまつ)のようなクリニックでありたい」という思いから誕生したtorch clinic。特徴と治療方針について教えてもらいました。
市山先生
「妊孕(にんよう)性教育」と「家族計画の立案」という二本柱で丁寧に取り組んでいます。
不妊治療クリニックに通う患者さんの中には、今自分が何の治療をして、何のための検査をしているのか理解しないまま診療が進んでいる方もいらっしゃいます。そのため、torch clinicでは不妊治療における基本的知識から最新の研究まで、患者さんの知識と理解に合わせて、スライドを利用しながらインプットをこころみています。対話を中心に、患者さんのニーズと身体的情報を照らし合わせ、家族計画を含めとにかく可視化にこだわっている。
その前提として、人生設計の中で「何歳までに何人産みたいか」、お二人の家族計画をまず初めにお聞きします。
例えばタイミング法で5%、人工授精で10%の妊娠率があること、患者さんごとの年齢に合わせた体外受精の妊娠率など、データを用いてしっかり説明します。特に体外受精に進む場合に譲れないのが「挙児(きょじ)希望の数(※)」に沿った治療計画を立てることだそう。
※子どもを得ること、その希望人数
市山先生
体外受精で行われる排卵誘発の刺激の強弱は、卵巣機能や年齢、AMH値(※)だけでなく、挙児希望の数によって決められるべきだと思っています。
「あなたの年齢で2人の赤ちゃんを産むためには胚盤胞がいくつ必要で、成熟した卵子がいくつ必要です。ですからこの誘発をしましょう」という提案をすることが大事です。
一つ一つ医学的エビデンスを絡めてご説明するため、治療計画の可視化については良いサービスを提供している自信があります。
※卵巣に発育中の卵子がどれだけあるかを示す値
今のあなたに卵子凍結は必要か?
torch clinicで卵子凍結を希望される方も多いのでしょうか。
市山先生
卵子凍結の件数は5件~10件程度と他院さんと変わらない印象(※)があります。しかし、torch clinicでは卵子凍結を積極的に勧めていないんですよね。卵子凍結を考える時に大事になるのが「理解と納得と選択」です。
たとえば、32歳のAMH値が高い人が卵子凍結を希望している。患者さんの人生設計にもよるのですが、このケースならば僕はNOだと思っています。
なぜなら「卵子凍結をすることがゴール」ではないから。まだ32歳なら45%、来年は43%の妊娠率があります。
採卵、凍結、そして使う時にも自費になる卵子凍結よりも、もともと2、3年以内の婚姻、および妊活の開始を予定しているならば、保険適用の体外受精をした方がコストは安く済むことをご説明します。
※卵子凍結数を公表しているクリニックが少ないため
その一方で、たとえば狭間の年齢である36歳でパートナーのいない女性が2人の子どもを希望している場合は卵子凍結にGOを出す、と話す市山先生。パートナーができた時に、凍結した卵子があれば妊娠までの選択肢が広がるからだそうです。
市山先生
近年、患者さんに対する理解を求めないまま、商業ベースの卵子凍結が行われていることに対して課題を感じています。
僕らは卵子凍結のメリットとデメリットを説明し、卵子を何個凍結すれば何人産めるかというデータまできちんと示します。
卵子凍結をする際には、患者さんの家族計画の選択肢を広げるためにも、1回の採卵で多くの卵子を採り、複数個の卵子を凍結するといいます。この方法は、市山先生が以前勤めていた国内有数の不妊クリニックであるセントマザー産婦人科医院で学んだ排卵誘発メソッドだといいます。
潜在不妊症患者数240万……知らずに不妊が進む日本
全国でも高い妊娠率を誇るというtorch clinic。市山先生が生殖医療のスペシャリストになるまでの歩みを教えてもらいました。
市山先生
そもそも僕が産婦人科医を目指した理由は、子宮頸がんのワクチンの啓蒙活動をしたいと思ったから。
ワクチンを打たなかったことで、小さな赤ちゃんを残し人生を絶たれたというケースに直面した時に、「知らないことで理不尽に命が奪われるなんて、あってはならないことだ」と思ったのです。
産婦人科に進んだ後、市山先生は静岡県を中心に周産期救急に携わります。
ドクターヘリを運行する三次救急病院で、大量出血で命の危機に瀕する母子の救命に没頭しながらも、救急搬送される患者さんの中に、長い不妊治療を経て高齢出産に至った患者さんが多いこと、また子宮を摘出しなければ救命が難しいことを説明した際に、患者さんの残している受精卵に対する思い、「子宮を残したい」という思いに触れることになります。
市山先生
救命の現場で、多くの不妊治療患者さんの思いに触れ、不妊治療を知らなければ患者さんに本当の意味で寄り添った救急医療が行えない。そう思い、北九州のセントマザー産婦人科医院で学ぶことにしたのです。
ART(生殖補助医療)は年間45万件行われていますが、そこでは当時7000周期、一日400件の外来治療を行っていたので、相当数の臨床経験を積ませてもらいました。
やはり、周産期の救急で感じていた生産年齢の女性の救命という課題よりも手前に、かなり重い課題があるのではないかと。つまり、子どもが欲しいのにできないという致命的な課題こそ、私が生涯をかけて解決するものであると思うようになりました。
日本で不妊治療を受けている人は約47万人。その一方、潜在的な不妊症患者は240万人にも上ると言われています。
子宮頸がんのワクチンと同じように、「知らないことで不妊が進んでしまう世界を何とかしたい」――その思いが市山先生の原動力になっているそうです。
不妊治療による離職率0%のクリニックを目指す
そんな中、患者さんの一人が不妊治療で授かった赤ちゃんを腕に、市山先生の元にお礼を伝えに訪れました。
市山先生
「赤ちゃんを産むために、仕事を辞め貯金もなくなりました。ライフスタイルも異なるため友人もなくしました。それでも、赤ちゃんを授かってすごく幸せです」と。
赤ちゃんという喜びを手にしてよかったと思う半面、これはまずいと思いました。
挙児を得るという人間の本源的な幸せのために、他の全てのものを犠牲にしなければできない診療をしていた自分は何だったのだろうと……そこで気づいたのです。
市山先生の母校である順天堂大学の公衆衛生チームによると「不妊治療を受けている人の離職率は17%」。妊活のために、プライベートも、仕事というやりがいも奪いかねない不妊治療を何とかしなければと、治療と仕事の両立ができるクリニックとして、torch clinicを開業しました。
市山先生
不妊治療を進めるなかで、ずっと体と向かい続けるのはしんどいものです。特に仕事にやりがいを感じている方にとって、それはアイデンティティのひとつだと思いますし、女性の機会損失はこの領域に関して大きな課題であると思っています。
だからこそ僕は離職率0%のクリニックを目指したい。不妊治療で仕事を辞めないでほしいのです。
不妊治療の社会的ペインである就労との両立を解消するために「土日と夜に開いているクリニック」であることは絶対条件だったと市山先生は話します。
後編では、患者さんの心のケアや、不妊治療と仕事を両立するためにtorch clinicが取り入れている工夫について、詳しくお話いただきます。
他の診療領域とは患者さんが抱えるペインが異なります。一つ目は「妊娠しない」という生殖医療やメンタルの心身的ペイン。そして就労と治療の両立という社会的ペイン。三つ目は、経済的ペインです。
このうち、経済的ペインに関しては2022年4月より、多くの治療法が保険適用化したことで追い風が吹いてきました。
そこで私たちtorch clinicは、不妊治療の心身的ペインと社会的ペインの解消を目指し、開業しました。