7年間不登校児ゼロの熱血教師が、夏休み明けに突然起き上がれなくなった…"天職"を捨てて始めたこと
一度教師を辞めて分かった「子どもの人生に併走したい」という本心
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元小学校教師の上村公亮氏は、7年間不登校児を一人も出さない熱血教師だった。しかし仕事に打ち込むあまり、ある日学校に行けなくなり、天職だと考えていた教職を辞めざるを得なくなる。その後始めた活動とは――。 ※本稿は、上村公亮著、鎌田和宏監修『不登校児ゼロ教師が伝える 親子の幸せな関係と居場所をつくる「子ども日記」』(かんき出版)の一部を再編集したものです。
子ども一人ひとりと向き合う熱血教師
私は横浜市で小学校の教師になってから、もし子どものころに担任の先生にしてもらえたら嬉しかっただろうと思えることを始めました。
そのうちの一つが学習ノートへのコメントです。
子どもが教科ごとに書いたノートを集めて、「ここの計算、頑張ったね」「難しい漢字をよく書けたね」のように、赤字でコメントを入れていったのです。
1クラス35人の子どもの一人ひとりがどんなことを考えているのかを知りたくても、45分の授業では不十分です。だから、学習ノートを通して一人ひとりと深くつながっていきたいと考えていました。
4教科分のノートを集めて1冊ずつコメントを書いていたので、夜10時か11時まで学校で残業するのはざらでした。
大変ではあったのですが、子どものコメントの量がどんどん増えていき、子どものコメント以上の分量で返したら、さらにそれを超えるコメントを書いてくれて、つながっているという実感に喜びをかみしめていました。それ以外にも、休み時間には子どもと本気で遊び、班を回って一緒に給食を食べるなど、できる限りのことはしました。
まさに、TVドラマに出てくるような熱血教師でした。
「子どもはみんなかまってもらいたいものではないか」という思いは、このころ確信に変わっていったのを覚えています。
学習ノートのコメントで気を付けていたこと
学習ノートのコメントでは、「○○さん」と子どもの名前を意識して書くようにしていました。
「○○さんは、そんな風に考えていたんだね」のように。それだけでも、子どもは「自分のことをちゃんと見てくれている」と感じると思ったのです。
もし、子どものとらえ方が教科書で定めている答えと違っていたとしても、それを間違っていると指摘せずに、「そういう考え方もいいね!」のように受け止めていました。
誤字脱字も直しません。たとえば、「正しい」が「正い」になっていたら、私の朱書きコメントの中で「正しい」という言葉をあえて使って、誤りに気づけるように配慮していました。
とにかく、学習ノートのコメントを書きたいと思ってもらえるのが重要なので、子どものやる気をそぐようなことはしないよう、心がけていました。