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山中伸弥教授が同級生と語る「子どもの頃に育んだ力」
KIDSNA編集部が選ぶ、子育てや教育に関する話題の書籍。今回は、ノーベル賞科学者・山中伸弥教授が小児脳科学者・成田奈緒子医師と「子育て」について初めて語った『山中教授、同級生の小児脳科学者と子育てを語る』(講談社) を一部抜粋・再構成してお届けします。
怒られても芽をつまれなかった子ども時代
山中:今回は子育てがテーマということやけど、まずは自分がどんなふうに育ったかを話しましょうか。僕の母親はね、家業の工場の経理の仕事を手伝っていました。
今でいうワーキングマザーですね。忙しかったせいもあると思うけれど、あれこれ言われたことはなかったかな。
成田:怒られたことも?
山中:いや、それは当然あったよ。一番怒られたのは、コタツ台を火の海にしたときかな。
成田:火の海!?
山中:僕、昔から科学が大好きで。で、そういう雑誌、ほら子ども向けの科学雑誌みたいなのがあって、それに毎回付録がついてくるタイプの。その付録でいろいろ実験できた。
そのうちのひとつが、アルコールランプの実験でした。子ども向けの雑誌にあんなリスキーな付録がついてくるなんて、今じゃ絶対ありえないと思いますが。
成田:ああ、もう、先が見えてるやん。
山中:まあ、そう言わずに聞いてよ。
成田:はい、もちろん(笑)。
山中:とにかく、それをコタツの上でやってたら、入れ物が見事にコケまして。コタツ台にこぼれたアルコールにバーッと炎が広がった。本当にコタツの上が火の海になったんです。
成田:おっかないねえ。それ、ひとりでやってたんですか?
山中:いや、母親がその日はたまたま家にいて、ずいぶん怒られたことを覚えてます。
成田:良かったねえ、大火事にならずに済んで。で、山中君はやっぱ、小さいときから化学、大好きだったんだね。将来の姿がすでに見えてますね。
お母さんも、火の海にされたけど「科学の雑誌はもう買ってあげません」とはならなかった。息子の好きなことがちゃんと見えてらしたんだ。で、お母さん、そのときたまたま家にいたってことは、普段はいなかったの?
山中:両親は朝出かけたら夕方まで帰ってこないから、それまではほぼ僕ひとりでした。姉とは年齢が8歳離れていたから、家ではひとりで過ごすことが多かったかな。
成田:当時は専業主婦の家庭が多かったけど、今は共働きが多い。育った環境はいまどきの子どもだったんですね。
山中:そうやね。それに母はそんなに教育ママではなくて。勉強しなさいと言われたこともなかった。日ごろから「なんでも自分でしなさい」と言ってたから、子どもの自主性を育てようとしてたのかな。
「ほったらかし」とは信用である
成田:こうやってお話を聞くと、親御さんがとてもしっかり見守ってくれてるし、いいかたちで手を放してますね。
仕事の忙しさはもちろんあったかもしれないけれど、小さいときから親子の距離感が絶妙だと思う。ご両親の子育てあってこその山中君だね。
山中:ええ~、子育ての専門家にそういわれると嬉しい。
成田:いや本当にそう思います。たとえば、高度成長期からずっと、多くの日本人がわが子に「こうなってほしい」というレールを敷いてきたと私は考えてます。
そのレールから外れてしまうと心配で仕方がないから世話を焼く。平成、令和とさまざまなものが変化したのに、子育てだけが、昭和の時代から地続きなのかもしれません。
山中:そうなっちゃいますね。
成田:ところが、心配された子どもは「一番そばにいて自分をわかってくれているはずの親から、こんなに心配されている自分はダメな人間だ」って思っちゃう。
心配されるってことは、信用されてないってことだから、子どもの自己肯定感はどんどん下がる。
そう考えると、自分で選んだことを失敗しては立ち上がって続けて、自信をつけるほうが重要。「ほったらかし」は子育てに必要なんです。
山中:なるほどなあ。そうなると、干渉されてきた人が今親になっている確率は高いってことだね。
成田:そう。だから今、良い意味での「ほったらかし」をされてない若い子が多いと思います。
山中:僕は成田さんと違って、小さい子どもさんとか中高生とかと接する機会があまりないのですが、大学院生であったり、研究者のたまごである20代から30代前半くらいの若者が研究所にいっぱいいてて。
彼らにどんなふうに教育をしていったらいいのか。というか、接し方かなあ。僕だけじゃなく他の教授もみんな結構悩んでいます。
成田:そうでしょうね。
山中:僕もそうだったけど、結構他の教授たちも、ほとんどみんなほったらかされてたんですよ。
学部生のときは違うと思うけど、研究者になろうと思って大学院に入った後は手取り足取りとかそういう教育は一切なかった。「自分で何をやりたいかを考えろ」から始まって、次は「自分で見て(やり方を)盗め」などと言われてきました。
論文を読み込んで、学んで、見て、盗め。そんな環境で、自ら創意工夫をして、みんな何とかここまで来た。そういう感じなんです。
成田:うんうん。私も研究者だった時代はそうかな。というか、何か教えてほしいとか思ったこともないというか……。
山中:僕も振り返ると、そんなに手取り足取り教わった記憶がありません。ある意味、自分のやりたいように、させてもらってました。
そう考えると、先ほどの「自分で選んだことを、失敗しては立ち上がって続けて、自信をつけるほうが重要」というのがよくわかります。
できるだけ口を出さないというか、自分で考えてやるのが一番いいというふうに思って当然というか。
成田:なりますね。
山中:ところが、僕らのこのやり方は、どうやら大学院生や若い研究者たちにはあまり歓迎されていないのかもしれません。
研究所で「360度評価*」とか、いろんなことをやってるけれど、その結果を見ると「もっとちゃんと教えてほしい」という声は確かにある。全体的にも、そういう感じに変わっているのかなと感じています。
*360度評価(360度フィードバック)
自身の行動について、上司にとどまらず、同僚、部下からも多面的なフィードバックをもらい主体的な気づきを得るための自己評価手順。
成田:ああ、360度評価、広がっているんですね。
山中:プロスポーツの世界とかもそんなところがあるような気がしますね。たとえばプロ野球とかも、昔は自分で考えて自分の感覚でやってたのが、今はもう毎回きちんとビデオを撮って、系統だててアドバイスをもらうというか、指導法が変わっているように思える。
だからやっぱり研究者の養成も、自分たちが受けた教育からは変えていかないとだめかもしれません。そのなかで、僕らがどこまで手を差し伸べるべきかっていうところで、常に迷ってます。
「自由」に戸惑う日本の研究者
成田:オープンラボ*にすると、実際コミュニケーション頻度は高まると言われてますね。
*オープンラボ
一つひとつの研究室を閉じた空間にせず、壁や仕切りを取り払って、研究者同士で自由な議論をすることができる構造様式を指す。
山中:その通りです。京都大学iPS細胞研究所でも研究者同士の交流を促すためにオープンラボを取り入れています。僕が現在、自身の研究室を持っているアメリカのグラッドストーン研究所など海外のラボを参考にしました。
成田:私が留学したのはセントルイスのワシントン大学なんだけど、1フロアがオープンというか境目がないので、どの研究室にも自由に行き来して見学に行けました。
かろうじてドアはあったんだけど、ごく普通に行ったり来たりするような感じだった。「許可なく入るな」みたいな構造ではない。
山中:ああ、いいですね。
成田:ところが、せっかくオープンなスペースにいるのに、日本人の研究者は自分のデスクというか持ち場から離れないんです。(DNAを分離させる機器で)電気泳動するゲルと一日中、向かい合ってる。
アメリカの研究者たちは「ほんと、日本人はずっと同じところにいるね」とか「自分の研究しか興味ないよね」という評価をしてましたね。
山中:他者に対する興味ね。そこがないと、外に向けて能動的に動けへんもんな。
成田:そうなんだよ。国民性なのか人間性なのかよくわからないんだけど、「自由にいろんなものを見て自分に取り入れる」という意識というか文化に変えないと、ギャップを埋めるのは難しいかもしれない。
これは私だけの見方かもしれないけど、ほっとかれずに管理されて育ってるから、アメリカの研究室みたいな「自由な雰囲気」に戸惑うんだと思う。
そうなると、オープンラボは居心地が悪いから、自分の場所から動かず、コミュニケーションを閉じてしまう。
山中:クローズしちゃうんだ。オープンラボなのに。
成田:研究って、何か答えを見つけるためにやるんだけど、その途中は「あれ? なんでやろう?」「こうしたらどやろうか?」みたいな感じで、「問いを立てる力」が必要だよね。
あと、ありきたりだけど、自分で考える力も。そのためには、誰かに言われたとおりにするのではなく、自分から何でも見てやろう、という姿勢が必要です。
山中:そこの重要性を伝えていくしかないんかなあ。
成田:学校や家庭の教育から変えないといけないよね。たとえば家庭では、どうしても親御さんが思った方向に子どもを育てようとしてしまう。
そこについてこれた子どもさんが知識としての学力を身につけ、難関校に合格するとしましょう、これが繰り返されると、クリエイティビティが無いとまでは言わないけど、それを身につける学生がかなり少なめになってきます。
山中:知識を吸収する力も大事だけど、その知識を使って何をするか、何を想像するかが求められていると思います。
成田:文部科学省のいろんな改革があって、いまは自分で考えさせるとか、ICT教育*とかいろんな先進的な教育ツールを入れてはいます。
ただし、実際に授業を見に行くと、結局のところシナリオに沿った授業っていうのが先生には求められていて、結論やその授業のまとめにたどり着かなくてはいけない。そうすると、そこにたどり着くために有効な意見だけを先生はピックアップしていくわけ。
*ICT教育
Information and Communication Technology 。 I T技術を使ってコミュニケーションをとる教育活動で、紙の教科書の代わりにパソコンやタブレットを使ったり、情報をクラス全員の端末に共有して発表などを行う。
山中:既定路線というか、教師側の想定内、みたいな。
成田:そうなんです。それって、実験とか研究の世界とは、最も対岸にありません? だから、私はもっと下の幼児教育からきちんと変えていくか、もしくは家庭教育から変えていかないと難しいと思う。
子どもの頃に育んだ、崖っぷちでも粘れる図太さ
山中:ほっとかれても不安にならず、自分の頭で考えてクリエイティビティを発揮できる人間に育てるってことですか。
成田:そうよ。それって、山中君そのものでは? 粘り強く研究し、自分の「好き」とか興味を貫いてきたんでしょ?
山中:浮き沈みはあったけどな。うつ状態にもなった。本当のうつ病ではないけど。でも、何とか周りの方々のおかげで立ち直れました。
成田:何でうつ状態になったの?
山中:アメリカ留学から帰ってきたばかりで研究の環境が整ったというのもあるんだけど、一番は当時やってたマウスのES細胞*の研究が周囲に理解されなかったことが大きかった。
周囲から「それも面白いけど、もうちょっと医学に役立つことをやったほうがいいのでは?」と、よく言われました。
成田:なるほど。アドバイスした人は良かれと思って世話を焼いたんやろうけど。
それで山中君が、ハイそうですかと研究を断念してたら、iPS細胞*は生まれなかったかもしれない。そういう意味でも、研究は自由じゃなきゃダメよ。未知の世界に、誰も責任持てへんでしょ。
ところで、どうやってうつ状態を脱したの?
*ES細胞とiPS細胞
ES細胞は、血液、神経、肝臓、膵臓といった全身の細胞を作り出すことができる細胞のこと。卵子が受精して分裂を始めたばかりの初期の胚から取り出した細胞を培養して得られる。一方のiPS細胞は受精卵から採取されるものではなく、血液や皮膚という誰もがすでに持っている細胞から作ることができる。ともに再生医療に応用できると注目されている。
山中:ヒトES細胞の作製成功のニュースが飛びこんで来たんです。ウィスコンシン大学のジェイムズ・トムソン教授が成功させたと。
その翌年、奈良先端(奈良先端科学技術大学院大学)になんとか助教授(現在の准教授)として就職できた。それでなんとか復活できました。
しかも、ノックアウトマウス*っていうのをほんまは自分だけでつくったことはなかったのに、面談で「つくれます」って言っちゃった。はったりです(笑)。
*ノックアウトマウス
特別な技法でつくる、遺伝子研究における重要なモデル生物。マウスの特定の遺伝子を不活性化させ、正常のマウスとの行動や状態を比較することで、その遺伝子の機能を推定することができる。
成田:図太いなあ。そこで、はったりかませるんやから。
山中:あそこは僕の人生でも大きなターニングポイントやったと思う。研究の道はもうあきらめて整形外科医に戻ろうと思ってたんやから。
成田:その崖っぷちで粘れたんは、山中君の好きを貫く強さというか、自己肯定感の高さが支えたんやと思う。山中君(の人生)にレールを敷かずに好きなようにさせてくれた親御さんのおかげやね。
山中:まあ、自分自身というか、やってきたことを信じようと思ったかな。
あと、最初のほうで「自分のことは自分でやる」って話したように、ほったらかされるほうが、圧倒的に人は自立するよね。
▼▼「助けて」を言えることの大切さについての対談はここから▼▼
▼▼子育てが「うまくいく」習慣についての対談はここから▼▼
2022.01.27