こうして日本は対米戦争へ突き進んだ…名参謀・瀬島龍三が語った「旧日本陸軍エリート集団」の不協和音

こうして日本は対米戦争へ突き進んだ…名参謀・瀬島龍三が語った「旧日本陸軍エリート集団」の不協和音

専門家は「戦争を始めたのは中堅幕僚」と指摘

なぜ日本は大国アメリカとの戦争に踏み切ったのか。事実上、対米戦の作戦主任となった旧陸軍参謀本部作戦課の参謀、瀬島龍三氏を取材した共同通信社社会部編『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』(朝日文庫)より、一部を紹介する――。(第1回/全4回)

マレー半島への奇襲上陸作戦

「大変な作業でしたよ。僕の人生であれだけ膨大な机上の作業はほかになかった」

伊藤忠商事特別顧問の瀬島龍三が口を開いた。1995年7月12日、東京・青山の伊藤忠商事東京本社21階の応接室。3月の取材申し込み以来、やっと実現したインタビューだ。

瀬島の言う大変な作業とは41年12月8日午前零時を期して始まる陸軍のマレー半島上陸作戦の準備のことだ。

「例えば、どこの師団を敵前上陸させるか。地域の特性をつかみ決めなくてはならない。

暗夜、3、4キロ沖合に輸送船で入り、縄ばしごで波に揺れる上陸艇に乗り移って一斉に上陸する。これは内陸の部隊には無理。小さい時から海に慣れてる善通寺(香川県)や広島の部隊でないとね」

「季節風に乗れば3分の1の時間で着く」

上陸部隊が決まれば、次は部隊をいつどこで輸送船団に乗せるかだ。12月8日から逆算して11月30日、中国・海南島の三亜港が選ばれた。期日に間に合うよう各地の部隊をそこへひそかに集結させなければならない。武器弾薬、食料の補給も必要だ。

「瀬島はわら半紙数枚つないだのを御経本のように折り畳み胸ポケットに入れていた。それには『南方作戦準備一覧表』が書いてあって作戦会議の時に印刷して皆に配った」と元参謀の首藤忠男は言った。

一覧表をびっしり埋めた作戦スケジュール。会議で瀬島は、開戦日が12月8日に決まった理由を説明した。

「瀬島はこう言ったんだ。このころ太平洋からマレー半島へ毎秒8~13メートルの季節風が吹く。この風に乗れば輸送船団は通常の3分の1の時間で着く。途中で岸や空から攻撃を受けても船が速いので被害も少なくなるとね。彼の説明にはだれも反対できない絶対的裏付けがあった」

圧倒的に大きな国力の米国との戦争へ突き進んでいく旧陸軍参謀本部作戦課。瀬島によると、その最大のきっかけは、7月末の南部仏印への進駐と、これに関連して起きた米、英、オランダによる日本の在外資産の全面凍結だった。

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2025.07.09

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