この世を去る人に栄養や水分の点滴をしてはいけない…意外と知られない人間がもっとも楽に逝ける看取り方
聴覚や触覚は最期まである…手を握って感謝の気持ちを伝えよう
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関連記事:第2回 余命3カ月の母親の横で添い寝した小3息子…母が最期にしたためたお弁当と惜別の手紙と自分への「2つの美容」 7割近くの人が病院で亡くなる現代。そのため、どのようなプロセスを経て最期を迎えるか知らない人が多い。愛媛県松山市にある在宅医療を専門とする「たんぽぽクリニック」の医師・永井康徳さんは「食べる意欲が湧かない場合は、最期の時が近づいている。植物が枯れるように、死期が近づいてきた人の体は、楽に逝けるように準備を始める」という――。 ※本稿は、永井康徳『後悔しないお別れのために33の大切なこと』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。
最期が近づいてきた“死の迎え方”
人はいつか必ず死ぬ、それがわかっていても、実際に身近な人の死を体験することはそれほど多くありません。しかも、現在の日本では病院での看取りが7割近くを占めています。病院での看取りの場合、面会時間が限られていますし、日常のケアは病院のスタッフが行うので、どのような過程をたどり、死に近づいていくのか、ほとんどの人は知る機会がないでしょう。
そこで、看取りに近づくとどうなるのかということを、できるだけわかりやすくお話ししたいと思います。
知らない、経験したことがないから怖い
人は体験したことがないものや知らないもの、未知のものへのおそれを強く感じるものです。日本で“死”を忌避きひする傾向が強いのは、人が死に向かってどのような経過をたどるのかを知らない人が多いことも関係しているのではないでしょうか。
たんぽぽクリニックでは自宅での看取りを積極的に行っていますが、患者さんも家族もほとんどが自宅での看取りははじめてです。
そもそも自身の死を体験したことがある人はいませんから、自分が死ぬことを経験するのは1回だけです。体験したことがないからわかりません。だからこそ、いつか迎えるそのときまで、避けるのではなく、「自分ならどうしたいのか」「どう迎えたいのか」を考えておくことが大切だと私は考えます。
死を考えるからこそ生が充実する、「どう死ぬか」は「どう生きるか」につながると、これまでの経験から強くそう感じるのです。
また、身近な人の死を間近では経験したことがないという家族も増えています。いざというときにあわてないために、家族もどのような経過をたどり、どうすればいいのかを知っておくことが大切です。
たんぽぽクリニックでは、看取りが近くなってきたと感じたとき、訪問診療の際に口頭でも説明しますが、それだけでは不十分なので、『家で看取ると云うこと』というパンフレットをお渡ししています。30ページほどの小冊子なのですが、看取りが近づいてきたときのことを、心の準備も含め、やさしいイラストとともに紹介しています。手元に置いておいて、不安になったときなど、繰り返し何度も読んでいただくようにしているのですが、これを読むことで看取りを迎える心の準備になったというお礼を、たくさんの方からいただいています。
死を迎えるということは、本人はもちろん、家族や身近な人にとって、とてもショックが大きい出来事です。怖いと感じるのが当然のことでしょう。しかし、生まれたときからいつか死ぬことは決まっています。これは人に限ったことではなく、動物も植物も、生きとし生けるものすべてに当てはまります。人が死ぬことは、赤ちゃんが生まれることと同じ、生も死も当たり前の人の営みの一つだと考えれば、死に対するおそれが少し軽くなるのではないでしょうか。
これから生を歩み始める誕生のときは希望や喜びに満ちていますが、近しい人とのお別れとなる死は悲しみや喪失感を伴います。それらを少しでも軽くするためにも、後悔のない看取りであってほしい、在宅主治医としていつもそう願っています。
★心の準備のため、どのような経過をたどるかを知っておきましょう |
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