お酒やゲームもダメではない…ストレスとうまく付き合う「心の救急箱」の作り方
笹井恵里子の「根拠ある医療健康情報」
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ネガティブな人は「3つの良いこと」を書く
本連載では科学的に健康効果がある運動や食事法を、またコンプレックス解消に役立つ肥満や薄毛、EDの治療などを取り上げてきた。私自身、元気に取材したいという思いから、体の健康に気を配った生活を送っている。だが「心の健康」についてはどうだろう。忙しいとこぼすばかりで、あまり配慮していない。あなたは心の健康に良い習慣を何かしているだろうか。
千葉大学大学院医学研究院認知行動生理学の清水栄司教授はこう話す。
「食べすぎ、飲みすぎで肥満になって、加えて運動不足という悪循環で生活習慣病になることは容易に想像がつきますよね。心の健康でも、たとえば自分は何をしてもダメだと考える→楽しい趣味をする気にならない→閉じこもる→誰にも相談しないという悪循環でうつ病につながってしまいます」
悪循環を好循環に切り替える技法として「認知行動療法」がある。うつ病や不安症などの治療に使われる、医学的根拠の強い精神療法だ。
「落ち込みや悲しみの感情から抜け出せないときや、自分を責めてしまうとき、思考(認知)の偏りに客観的に気づくことが重要です。すると物事の見方が変化し、それに伴って感情や行動も変わり、沼から抜け出せるはず。心の病を患う人だけでなく健康な人たちも、認知、感情、行動の好循環を目指しましょう」(清水教授)
食事では「バランスよく食べましょう」といわれるが、これが思考においても大切という。体の姿勢に癖があるように、思考もパターン化しやすく、同じ方向に傾きやすいからだ。ポジティブ思考、ネガティブ思考というのもそのひとつ。
「コップの水のたとえ話」をご存じの人は多いだろう。半分だけ水の入ったコップを見て、「まだ半分も水が残っている」と捉える場合はポジティブで、「もう半分しか水がない」と感じる場合はネガティブとされる。ポジティブが良いというよりは「物事の見方はひとつではないということに気づくことが大事」と清水教授は言う。
「気持ちが上がっているときには『まだこんなに水がある』と、下がっているときには『もうこれだけしかない』という認知になりがちです。気持ちが上がっているときも下がっているときにもいったん両方の考え方をしてみましょう。片方の見方のみでは認知が硬くなりやすく、強風(ストレス)によってポキッと壊れてしまいます。風が吹いても折れないコツは、柔軟であることです」
いつも思考がネガティブに傾く人は、就寝前に「3つの良いことを書き出す」認知行動療法がお勧め。清水教授は3つの良いことをさらにテーマ(できたこと、楽しかったこと、感謝すること)に合わせて書き出す「ぽじれん(ポジティブな練習)」を考案した。
「ポジティブ心理学を提唱したアメリカのマーティン・セリグマン教授は3つの良いことを書き出すことで幸福度が高まる可能性を示し、私たちの研究でも睡眠に良い影響があることがわかっています。『良いことなんてありません』という人は、“良いことの基準”が高すぎるのです。会社に行って仕事ができた、ゆっくり朝食を食べられた、散歩ができたということも、健康と安全があってこそ。平穏な日常が失われるような悪いことを考えれば、その真ん中のバランスの良い考えができるようになります」(同)
認知の偏りを正すとともに、ストレスを解消する手段もバランス感覚をもちたい。悪ものにされやすい「飲酒」や「ネットゲーム」も、要は“やりすぎ”が良くないのだ。
「私自身もスマホゲームに夢中になった時期があります(笑)。飲酒、ゲーム、動画視聴なども、それなりに楽しむ分にはいいでしょう。ただし、その行為をするために本来しなければいけない行動ができなくなってしまうと問題。アルコール依存の人が朝からお酒を飲んで大切な約束に遅刻してしまうのは赤信号、会社には通えるものの、寝なきゃいけないのに夜更かししてネットゲームを続けるのは黄信号。刺激に依存しているといえます」(同)
最初は現実でのストレス解消のために「ちょっとした楽しみ」で始めたことも、その依存対象に快感という報酬が結びつくと、「またやりたい」と行動が強化され、その頻度が増え、依存が進行していく。
何かに依存しないためには、ストレスを解消するときの“癒やし”を複数もつことも大切。心療内科医の海原純子氏は「心の救急箱を作ろう」と話す。
「心の救急箱には、自分にとってほっとできる、いい気分になれるものを100個くらい入れて(挙げて)おきます。そしてストレスを感じたら、その中から3つを選んで実践する。特別に良いことでなくてもOK。たとえば軽く散歩をする、緑の中に出かけて木の匂いを嗅ぐ、花を飾る、猫を抱いて撫でる、カプチーノを飲むなど。嫌なことがひとつあったら、自然と3つの良いことに取り組めるような力が身に付くと、ストレスからの回復力が高まります」
生活のバランスは「4つの領域」で確認
心の健康を保つためには、疲れきらないうちに充電の手を打ちたい。無理を続けると、バッテリー容量を使い果たすように脳や心が機能しなくなることもあり得るという。
「体の疲れはわかりやすいですが、脳や心の疲労は見えにくい。いつもは楽しめることなのに気が進まない、面倒というのも、脳や心の疲れのサインです。また不快な出来事だけでなく、快感によっても心は疲れるということにも気をつけてください」(清水教授)
前述した依存の話とリンクするが、ほどほどなら心に良い影響がある楽しいことも、やりすぎはNG。脳が活性化し続け、やがて疲弊していく。
「かつて情報収集といえば新聞や雑誌くらいしかなかった時代が、脳にとってはちょうど良かった情報量なのかもしれません。現代は技術の進歩で豊かで便利になりましたが情報過多で刺激も多い。大半の人にとって脳と心が休まらない生活になっています」(同)
隙間時間、タイパなどの言葉に象徴されるように時間を惜しむ風潮で、何もしないでゆっくり休む、のんびりダラダラすることに罪悪感を覚えることもあるかもしれない。
今の生活でバランスがとれているか?を確認する術として、人生を4つの領域――
▽人間関係
▽自分の成長(仕事)
▽趣味
▽自分の健康
にわける方法を清水教授に教えてもらった。
「まずそれぞれの領域で、大切にしたいことを書き出します。次に、その価値観に沿って100点満点とすると、現在の満足度に丸印をつけましょう。健康の領域は、重い病気を患っていない場合、休養や睡眠がとれているかという視点がいいと思います」
たとえば人間関係の領域で、一人で過ごす時間に価値を置き、自分が現状に大満足なら満点。逆に本当は一人で過ごしたいのに、周囲に合わせているなら低い点数だろう。つまりこれは「現在の生き方が理想にどこまで近づいているか」という確認である。だが、そもそも自分の理想や価値観がわからないという人もいるかもしれない。そこで改めて胸に問いかけよう。
今、本当にやりたいこと、楽しいことは何だろうか。それは仕事や趣味を通して実現できているだろうか。人間関係に満足しているだろうか。そして休息は十分にとれているだろうか?
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2025年6月13日号)の一部を再編集したものです。
笹井 恵里子 Eriko Sasai ジャーナリスト。1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーに。著書に『老けない最強食』(文春新書)、『国民健康保険料が高すぎる! 保険料を下げる10のこと』(中公新書ラクレ)などがある。 |
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