とことん落ちて失うものはない…「本社を麹町の一等地から川崎へ」泉屋・先代社長にはできなかった決断を娘が
Profile
父の急逝により突如、「泉屋東京店」の4代目社長に就いた泉由紀子さんは、2027年に創業100周年を迎えようとしている。厳しい経営状態を引き継いだ当時を「ドン底までとことん落ちたのだから、もうこれ以上落ちることはないだろう。そう思ったら、失敗しようが何しようがやってみるしかない、そう開き直れた」という――。
顧客の年齢層をより下げていこう
クッキーの老舗である泉屋東京店の社長・泉由紀子さんは、20代の頃から役員に任命されて取締役を務めている。代々泉家の人物が率いる会社にとって、それは当然のなりゆきだった。
由紀子さんは約3年の社長秘書業務を経て、開発部に異動する。1999年の頃だ。
「開発部時代は、いろんなお菓子をつくりたいという野心がありました。でも、自分が手を動かしてお菓子をつくるわけではなく、あくまでも企画立案です。だからでしょうか、パッケージや詰め合わせのアイデアなどたくさん提案しても、ほとんどが却下されました。顧客の年齢層をより下げていこう、販路を今より広げようと毎日そればかり考えていましたが、結果的には社長の父がGoサインを出すものだけになりました」
「お前が社長なら3カ月でつぶれるぞ」
それでも直談判する由紀子さんに、3代目泉邦夫社長は遠慮なく言い放った。
「お前に何がわかる」「そんなんじゃ将来、社長なんてやれない」「お前が社長になったら、泉屋は3カ月でつぶれるぞ」
もう、ただの親子の言い合いですよね。そんなふうにカラリと笑って振り返る由紀子さん。さすがは“ワンマン社長”の娘で、こちらも負けていない。
「今思うと、私は父と性格が似ています。父からそんなふうに言われると、口答えしたり、無視したり、話してもらちがあかないと思ったらパッとその場を立ち去ったり。恥ずかしながら、そんな態度でした。でも本心では、『なんでもっと時代の先を見て行動しないんだろう……』と冷静に感じることもありました」
その後、開発部で課長、部長と昇進し、ほどなく泉屋の常務になる由紀子さん。しかしこの時点でも、邦夫社長が経営実態をオープンにしていなかったことから、会社の売上や借入の実額を知るには至らなかった。