なぜ知名度ゼロの「ハイセンス」が国内シェア3位に食い込んだか…躍進を支えた意外な家電量販店の名前

なぜ知名度ゼロの「ハイセンス」が国内シェア3位に食い込んだか…躍進を支えた意外な家電量販店の名前

知名度ゼロの中で最初の一台をどう販売したか

おかげさまでハイセンスのテレビは現在、日本でシェア3位まで成長しました。2010年に日本法人が立ち上がり、私が来日したときの知名度はほぼゼロ。そこから14年で、よく今のポジションを獲得できたと思います。

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李 文麗(り・ぶんれい) ハイセンスジャパン代表取締役社長。1972年生まれ、中国・青島出身。95年、青島大学電子工学科卒業後、Hisense国際有限公司入社。アメリカ、オーストラリア、ベルギーでの勤務を経て、2011年より現職。

私がハイセンスに入社したのは1995年。海外で仕事をしてきた私に、「日本市場に参入する。社長をやらないか」と打診があったときは、迷うことなく引き受けました。

簡単ではないことはわかっていました。当時、日本のテレビ市場は日本の電機メーカーが圧倒的な強さを誇り、海外ブランドは軒並み苦戦をしていました。日本の家電は性能、品質、サービス、どこを切り取ってもお客様の要求が高い。海外ブランドは、その壁にことごとくはね返されていました。

しかし、壁の高さが逆にハイセンスにとって挑戦の理由になりました。グループ会長(当時)の周厚健は日本を100回以上訪れたことがあり、日本市場の要求の高さはよく理解しています。だからこそ「世界一厳しい市場で商品を売ることで、ハイセンスの品質を高められる」と進出を決めたのです。

当初、本社は売り上げの目標を設定しませんでした。当時の家電量販店は海外ブランドへの拒否感が強く、売り場を確保することすら困難だったからです。ただ、チャンスはあると踏んでいました。日本のテレビは高品質ですが、価格が高くて買えるお客様が限られていました。家電量販店としても、お客様がお求めやすいローエンド商品を置きたいはずです。

実際、そこが突破口になりました。最初は、家電量販店のジョーシン様やノジマ様との商談をスタートし、そのとき求められたのがローエンド商品でした。50インチのテレビは20万円以上が相場でしたが、「10万円以下のモデルを出せないか」と打診を受けました。

その声に応えて12年に9万9800円のテレビを提供しました。ハイセンスはグローバルで製造して生産コストを抑えているので、赤字にはなりません。とはいえ、ギリギリの価格設定です。これが業界で話題になり、ケーズデンキ様やエディオン様など他の家電量販店でも売り場をいただけた。海外ブランドにとって最初の関門である売り場確保に成功したのです。

とりあえず足場を築くことができたものの、課題は山積みでした。日本に進出した目的は商品力を高めること。ローエンド商品を提供するだけではその目的に近づけません。品質向上のためには、お客様の声を聞いて商品開発に活かすことが欠かせませんでした。

中国本社の開発チームはジャパンからの要望に応えようと努力してくれていました。しかし、日本市場の要求は努力が追いつかないくらいに高かった。

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https://kidsna.com/magazine/article/entertainment-report-241016-98867608

2024.12.04

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