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デジタルを使った「創造」が、現代の子どもたちに必要な理由
機械に代替されることのない力が求められるなか、絵を描いたり、工作したりして創造力を育むことを大切にしている保護者は多いでしょう。しかし、テクノロジーを使うことで子どもの創造力はもっと広く、遠いところに辿り着くかもしれません。デジタル時代の子どもの創造力について、CANVAS代表の石戸奈々子さんに聞きました。
AIの開発が進み、既存の仕事が人工知能に置き換わることが予測される一方で、私たちの生活にもはや欠かせないものとなったテクノロジー。
機械に代替されないような子どもの創造力を育みながら、テクノロジーを上手に活用して創造力を広げるために、私たち保護者はどのような考え方をすればよいのでしょうか。
デジタル時代の子どもの創造力について、CANVAS代表の石戸奈々子さんに聞きました。
現代にテクノロジーを使った“創造”が必要な理由
――石戸さんは、頭の中にあるアイディアを実際に“創造”しながら学ぶ「イマジン&リアライズ(想像力と創造力)」の大切さを広められています。「作りながら学ぶこと」が現代に必要とされる背景は何ですか?
2002年に協働しながら創造する学びの場としてCANVASを設立し、現在まで活動を続けています。
なぜこの活動を始めたかというと、これからを生きる子どもたちにどんな力が必要かと考えたときに、「世界中の多様な価値観の人々と協働して新しい価値観を創り出していくこと」だと思ったからです。
これまでは、知識を記憶・暗記することに評価の力点が置かれ過ぎていました。しかし、今は、検索すればすぐに情報が手に入る時代。知識を記憶することの価値は相対的に下がっていくわけです。
では、どのような力が必要かというと、コンピューターには代替できない力。つまり「創造力」と「コミュニケーション」が大事になる。そこで、私たちは「協働しながら創造する学びの場」を作ってきたのです。
新型コロナウイルスによって、いわゆる「ニューノーマル」と呼ばれるように社会はより大きく変化しています。
しかし、新しいライフスタイルやこれからの社会を作っていくのは次の世代。ひとりひとりが主体となって新しい社会を作っていくことが大事です。
その際には、テクノロジーの利用は不可欠です。
自宅で過ごすことを余儀なくされるコロナ禍の日々の中でも、遠隔でセッションするオーケストラや、オンラインのみで制作したドラマや演劇、オンラインで鑑賞できる美術館など、どんな状況においても生活を豊かにしようという人間の創造力に改めて驚かされました。
不要不急という言葉で、休業自粛を求められても、経済へのダメージを極限に抑えるべく創意工夫をするともに、これを契機に社会構造変革をする前向きな流れも生まれました。
子どもたちも同様です。自らバーチャル卒業式やバーチャル文化祭を開催したり。
子どもたちにはテクノロジーも使いこなし新しい社会を構築する力を身に付けてほしいと思います。
デジタルのメリットは「ハードルが低く」「つながれる」
――テクノロジーを使うことによって、より創造の幅が広がるということでしょうか?
創造することにはさまざまなレイヤーがあり、ノーベル賞をとるような世紀の大発明、工業製品を作ること、それから日々の生活の中で料理を作ることまで含んで「創造」です。
私は創造したり表現したりすることの喜びは、これまでもこれからもずっと変わらないと思っています。
粘土をこねたり、クレヨンで絵を描いたりといったアナログな創作活動もデジタルというツールが加わることで、新しい表現手法が生まれます。
創造・表現手段としてのデジタルのよさのひとつに、創造の敷居を下げてくれることがあります。
たとえば音楽。楽器を奏でるにはたくさんの練習が必要ですし、作曲はいつからか特殊な知識を持った専門家だけのものになってしまいました。
ところが、デジタルを使えばちょっとした演奏作曲体験が簡単にできます。
試行錯誤が簡単で、創造表現のハードルが下がる。そのことにより、すべての人がコンテンツの作り手になれることが、ひとつめの大きな価値であると考えます。
さらに、デジタル上では発信の敷居も下がります。自分のアイディアや作品を世界中の人に発信し共有することができる点も、デジタルのすばらしいところではないでしょうか。
もうひとつは、協働しやすさ。
これまでは、同じ地域に住んでいる子や、同じ学校に通う子ども同士の協働作業しかできませんでした。しかしデジタルを使えば、住んでいる地域や組織の枠組みを越えて、遠く離れた県外や海外の子どもたちと、同じ目的のために協力しあうことができるのです。
誰もが日常でデジタルをフル活用する時代に、教育は?
――小学校でもプログラミング教育が必修化され、子どもたちも学校でデジタルデバイスを使うようになりましたね。
学校にテクノロジーを導入することが目的ではなく、テクノロジーによって学びを記憶暗記型から思考創造型に変えていくことが大事です。
プログラミング教育必修化や、一人一台情報端末を持って学ぶ環境の整備、デジタル教科書導入をずっと訴えてきましたが、コロナ禍が後押しとなり、実現されました。
しかし、それは世界的にみればキャッチアップの段階に過ぎません。
これまで、日本は学校ICT後進国でした。コロナ禍でわかったことは学校はSociety5.0に向かうどころかSociety4.0にもたどり着いていなかったという事実です。
19世紀ギャラリー方式の授業がはじまりました。産業革命がすすみ、年齢が同じ子どもがひとつの教室に集まり、教師が一斉に教える。その頃からまるで進歩していないのではないか?と気付かされたわけです。
私たちは仕事でも生活でもデジタルをフル活用しています。
それなのに、いまだに、学校は紙とえんぴつ、黒板とチョークで学んでいた。学校教育だけが、社会からも、世界からも遅れをとっています。
しかしこれからを生きる子どもたちは、国際社会の中で生きていく。だから今の国際格差を是正して、最先端の学びを子どもたちに届けたいと思うのです。
――そのためには、プログラミングというツールをどう捉えるとよいのでしょう。
「プログラミング」という教科が導入されるのではなく、各教科の中にプログラミングが入っていくことによって、手を動かしながらつくりながら学ぶことができる。学び方に変化をもたらすことができます。
知識というのは覚えるだけでは定着せず、それを自分の中で咀嚼して利活用できるようになってはじめて知識として蓄積されていきます。得られた情報を俯瞰し、再構築し、そして自分の文脈の中で表現をする。
そうして表現されたものこそが役に立つ知識だと思うのです。そこにつくりながら学ぶことの意味があります。
プログラミングを通じてものづくりをする過程では、算数の計算や図形の性質の理解、国語の文章読解や作文、図工や音楽の創造性、リアルなアニメーションを実現するための理科の知識など、さまざまな知識や力が必要となります。
断片的に学んできた知識を統合し、活用する、応用力、総合力を身につけることができるようになるのです。
しっかりと各教科を学ぶことで、プログラミングでつくる力が伸びます。そして、プログラミングでつくりながら学ぶことで、各教科科目の理解を深めることができます。すべての教科は有機的につながっているのです。
なによりも「つくる」ということは大事なことです。頭で考えるだけではなく必ず形にする。アイデアとそれを実現することには大きな隔たりがあります。
社会に出て求められることは、アイデアを出すことではなく、それを実行することなのです。
たとえば、「テニスゲームを作りたい!」と思った小学生の子が、三角関数を学んだ例もありました。作りたいものがあるから学ぶモチベーションが生まれるのです。
学んでからアウトプットするか、表現したいものがあるから学ぶのか。「?」と「!」を繰り返すことが探究したい気持ちとなって、子どもの学びを深めていくのではないでしょうか。
生まれながらに社会につながる術を持つ「ソーシャルネイティブ世代」
――今の子どもたちは、生まれたときからデジタルが身近な存在です。私たち保護者と子どもたちの感覚はどのように異なるのでしょうか。
私が「子どもたちの感覚と、大人の感覚は違うのではないか?」と思い始めたのは2010年頃。その頃を境に、スマートフォンやタブレット端末が広く普及し、多くの人にとって身近で扱いやすいデバイスになりました。
それは子どもたちにとっても大きな影響を与え、紙の絵本をピンチアウトしたり、テレビ画面をスワイプしたりする子も出てくるように。
コンピューターと人間との距離感が縮まってから生まれた子どもたちは、小さな頃から手のひらに大量の情報を持っている。今の大人たちが子どもの頃に学校や本から得られた情報量とは雲泥の差です。
その環境下で育ったZ世代の若者たちは、ふたつの意味で「ソーシャルネイティブ」だと感じます。
ひとつは、ソーシャルメディアを使いこなすという意味。生まれながらにして社会や世界と常につながっているため、ICTリテラシーは極めて高く、世界との距離も近い。
もうひとつは、社会課題に関心があるという意味においてソーシャル世代だと思うのです。
Z世代は、バブル崩壊後の「失われた30年」の中で育った世代。要するに、社会課題の中でしか生きていない世代です。
そのため彼らが社会課題に関心を抱くことは、ごく自然なことなのです。
私たちが開催する「全国小中学生プログラミング大会」でも、「社会課題を解決してください」というお題を出してるわけでもないのに、社会に目を向けた作品が多く提出されています。
安全で渋滞が起こりにくい交差点を作るためのシュミレーターを小学2年生の子が作ったり、レゴで組み立てたロボットハンドとPCの画面を組み合わせて難病の方の会話を助けるツールを小学3年生の子が作ったり、「環境に優しいスマートシティを実現したい」という想いで、機械学習を使ってゴミを自動分別する未来のゴミ箱を作った子もいました。
若い世代は社会課題を敏感に感じ、能動的に社会に関わろうとしている。
自分のアイディアや情報発信が社会を動かす力があるということを感覚的に理解しているのです。
テクノロジーによって社会課題を解決できる。ソーシャルメディアを通じて仲間を集めることができる。クラウドファンディングで資金を調達することもできる。
単に情報を得るだけではなく、リアルに参画する術も持っているから、世界や社会につながる感覚が大人とはまったく違う。世界につながる感覚が、グローバル視点を育み、多様性や包摂性に対する感度も高いのでしょう。
このように、テクノロジーを駆使して社会に働きかけをし、社会の中で作りながら学ぶことを繰り返してきた子どもたちが大人になったときに、ずいぶんと社会が変わるのではないかと思っています。
テクノロジーによって、人生をより豊かな方向に導くことができることを知っている子どもたちは、予測できない未来を切り拓き、新しい価値を創造する力を持っていると思うのです。
子どもにデジタルを使わせることへの抵抗は「不安」
――テクノロジーの利便性をわかっていながらも、子どもがデジタルデバイスを使うことに抵抗のある保護者は、どう意識を変えるとよいでしょうか。
私はこれまで、「創造力」と「コミュニケーション力」が、これからの世の中に求められるとお話してきましたが、最近、もうひとつ付け加えていることがあります。
それは「変化に適応をする力」。
デジタルに限らず、どんな技術も世の中に広まるときには拒否反応が起きていました。
たとえば、本。「本は人を孤独にさせる。本を読まずに年配者の話を聞きなさい」と言われました。テレビという新しいメディアが出てくると、今度は「テレビは、一億総白痴化する」と言われたように。
そのテレビも、今は視聴覚教育に使われています。心を動かす映像は、学びの動機づけになります。
ゲームに関しても、最近ではゲームの要素を取り入れて学ぶ、ゲーミフィケーションが教育分野にも導入されています。
ケータイも当初は「子どもに持たせることは百害あって一利なし」なんて言われていましたが、今では学校でひとり一台持って学ぶようになりましたよね。
大人たちが新しい分野に対して抵抗を感じる理由は、変化に対する不安です。今までの自分の生き方や価値観が変わっていくことに対する恐怖心が抵抗につながっている。
しかし、社会は否応なしに変わっていきます。そのときに、変化を楽しむ心を持ち、どんな状況でも楽しみを見出すことは、その人の強い力になり得ます。
それと同時に、たとえどのように社会が変化しても、学び続けることができる人は変化に適応できます。
プログラミング言語を例に挙げると、ひとつの言語をマスターしても5年後、10年後にその言語が使われているかどうかはわかりません。そのため、言語をマスターすることよりも、新しい言語が出てきたときに、学ぶ楽しさや学び方を知っていることの方が大事なことだと思うのです。
保護者の方もぜひ、まずは子どもといっしょに挑戦してみてはいかがでしょうか。最も身近な大人である保護者が学び続ける姿は、子どもにとって最大の学びになるのではないかと思います。
また、どんなツールにもメリットとデメリットがあります。
包丁は料理に使えばメリットですが、間違った使い方をすれば大変なことになります。自動車だって、交通ルールに基づいていれば便利な乗り物ですが、操作を誤れば交通事故につながる。
デジタルデバイスも同じです。デメリットを恐れて禁止し続け、ある日突然、スマホやパソコンを渡す方が、子どもを荒波の中に放り投げるようで、とても無責任なことだと思います。
使用時間の制限やフィルタリングなどの技術も重要ですが、万全ではありません。だからこそ大事なことは適切な使い方をできるリテラシーなのです。
子どもが小さく保護者と一緒に学べる間に、どのような使い方がよくて、どのような使い方が危険であるか、いっしょに学んでいくプロセスを踏むこと。それが、大人の責任だと思っています。
<取材・執筆>KIDSNA編集部