教育熱心はどこまで?
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不安定な社会情勢やSNSなどを通じて得る過剰な教育情報によって、子どもの教育に奔走し、過干渉な子育てをする親が増加しています。行き過ぎた「教育熱心」が及ぼす危険性とは?そして子どもを疲弊させないために、親がどうあるべきか、各専門家に取材しました。
〜長いようで短い子育て期〜
2019.06.25
「子どものこころが穏やかに育つ魔法の育児法」のタイトルで40000人以上、Facebook公式ページには20000人以上の読者を持つ、作家/子育てアドバイザーLICOさんの連載コラム第7回です。
娘の夜泣きに悪戦苦闘していたころ
「生後3ヶ月を過ぎると少しまとめて寝てくれるようになると思うよ」
というアドバイスを先輩ママからもらったことがあります。
その言葉を聞いて、「よし、この眠れない辛さも3ヶ月過ぎれば和らぐんだ。はやく3ヶ月になってほしい。今を飛ばして3ヶ月後にワープできたらいいのに」と、そんなことをわたしは願っていました。
生後3ヶ月を過ぎると、先輩のアドバイスのとおり少しまとめて寝てくれるようになった娘。
でも、わたしはその後2人の息子を出産し育てる中で、終わりがないように感じた辛い日々が過ぎてしまえばあっという間の出来事だったこと、そして、子どもたちが両手いっぱいでママを求めてくれる時期がいかに短い期間なのだろうということに気がつきました。
とくにわたしが「子育ての期間は短い」としみじみ感じるのは、パソコンや携帯の中にある子どもたちの写真を眺めている時です。
写真の中にいる、小さかった頃の子どもたちに触れるたびに、わたしは1日1日が確実に過ぎてしまっていること、「今」この瞬間が次々と「過去」になってしまうことを痛感します。
そして、もう二度と自分は、子どもたちが生後1ヶ月の首も座らない頃に戻って彼らを抱きあげることができないし、2歳の頃の子どもたちの、カ行がタ行になってしまうあのたまらなく可愛い言葉を聞くことはできないことを、思い知らされるのです。
そして、気付くのです。
今、わたしの目の前にいてくれる子どもたちは、いつかわたしが過去を振り返った時にはもう二度と触れることのできない、今しか見ることのできない、子どもたちの存在なのだということに。
写真に残された頃の子どもたちのことを、もう抱きしめることはできません。
だからわたしは、目一杯、今目の前にいる子どもたちを抱きしめたいのです。
子育てには、終わりがあります。
いつか必ず、私と子どもたちの間に別れの日がきます。
わたしはいつかこの手で子どもたちを抱きしめることができなくなるとわかっているからこそ。
いつかその名前を呼ぶことができなくなる日がくるとわかっているからこそ。
その名を呼べば振り返ってくれる距離で、子どもたちに触れることができる今が、子育てという期間が、愛おしくて尊くて仕方がないのです。
たいていのものはネットでなんでも手に入れることができる時代です。
注文したものがその日のうちに届くものもあるほど、便利で、速くて、ものが溢れています。
でも、どんなに会いたくなっても、どんなに声を聞きたくなっても、どんなに抱きしめたくても、もう、昨日の子どもたちには会えません。どこを探しても、お金をいくら積んでも、もう会えないのです。
長い長い道のりに感じるかもしれないこの子育てという山道は、人生の中では、瞬きをするような速さで過ぎてしまうものなのでしょう。
そして険しい道のように見えるこの道は、力を抜き、いらない荷物を降ろして空を仰げば、そこに今まで気づきもしなかった美しい青が広がっていることや、足元に咲く花を揺らすやさしい風が吹いていることに、気づくことができます。
子育てを終えてから「あぁ、あの時もっと抱きしめておけばよかった」と気づくよりも、子育ての最中に「今日の子どもには今日しか会えない」ことを多くの人に知ってもらえたらうれしく思います。
そうすれば、今日の子どもを、今日から抱きしめることができるから。
そして、その今日の連続が、子どもや家族の未来を作ると信じているからです。
抱きしめてあげてください。今日の子どもたちを。
そして「大好き」と「ありがとう」を、たくさん伝えてあげてください。
みなさんとお子さんとの長いようで短い子育ての道のりが、鼻歌交じりの楽しいものでありますように。
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2019.06.25
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