家事、育児、仕事…、すべてが「完璧」な人を目指す必要はない【藤野智哉】
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精神科医
精神科医
精神科医。1991年7月8日生まれ。 秋田大学医学部卒業。 精神鑑定などの司法精神医学分野にも興味を持ち、現在は精神科病院勤務の傍ら医療刑務所の医師としても務める。
読者からお悩みを募集し、子育て、教育、健康など各分野の専門家にご回答いただく人生相談コーナー。今回は「自分を幸せにする「いい加減」の処方せん」が話題の精神科医・藤野智哉先生が、「完璧を目指してできない現実に落ち込む」というお悩みに答えます。
【お悩み】仕事も育児も自分のことも、完璧を目指してしまい、そうできない現実との乖離に落ち込みます
【藤野先生の回答】他人の一部分だけを見て「完璧」と思い、落ち込むのはやめましょう
まず、目標を持つことはすばらしいことだと思いますが、「完璧」というのは結局ご自分の尺度の範囲内でのことです。
自分がどこまでできていれば満足するかは人それぞれで、たとえば、ぱっと見は片付いていてきれいな部屋も、ミクロレベルで見れば細菌がいて汚いと感じる人もいるかもしれません。
その細かい満足の程度を決めるのはすべて個々の人です。
相談者さんの掲げる「完璧」とは、短期的には無理をすれば成し遂げられるかもしれませんが、長い目で見たときには何十年とは続かないわけです。
労働に関して産業医がよく言うのが、ちょっとしんどい状態で働き続けるより、一度しっかりと休んだほうが、その後コンディションもよくなり、パフォーマンスも上がるということです。
何事も無理をしていては長くは続かないということですね。だからこそ、ご自身の「いい加減」を見つけてやっていくしかありません。
自分のことをあまり知らないからこそ、「これくらいやれるんじゃないか」と無理な理想を掲げてしまうのです。
みなさん、他人を愛するときには、相手に興味を持ち、深く知ろうとし、気遣うことができますよね。他人に向けるのと同じように、自分に対しても興味を持ち、自分を深く知り、愛し、思ってあげる「セルフラブ」は、現代人にこそ必要な考え方といえるでしょう。
自分のことが嫌いな人や、自分に厳しく否定的な人は、「もっとやらなきゃ」「それではダメ」と24時間そばでダメだしをされ続けているようなもの。とてもしんどいし、自分を追い込んでしまいますね。
一方、自分を愛する事ができる人は、少し疲れたなと思ったら「休んだらどう?」「がんばったね」と自分で自分をケアできます。
「自分を甘やかしている」「手を抜いているという罪悪感がある」と感じる人もいるかもしれませんが、すべては捉え方次第です。
現代人が完璧を求め、がんばりすぎてしまう要因のひとつに、SNSがあります。
SNSには切り取られた一部分だけを投稿しているのに、それがすべてだと思い、「あの人はもっと頑張っている」「自分よりがんばっている人はたくさんいる」と、目指してしまう。
果たして、その人は本当にいつも完璧にがんばっているのでしょうか?
きれいな部屋を投稿している人も、たまたま掃除をした状態をアップしたのかもしれませんし、その一角以外は散らかっているかもしれません。掃除以外の家事は一切していないかもしれません。
同様に、仕事で成功している人は仕事以外は手を抜いていたり、アスリートはスポーツ以外の日常ではできないこともあるでしょう。
そもそも自分の思い描く「完璧」は本当に存在し、実現可能なのかを問いかけてみましょう。
仮にすべてを「完璧」にがんばっている人がいたとして、一時的にはできても、その後つぶれてしまうかもしれません。
会社などはもちろん、社員ががんばってくれたほうが都合がいいので「がんばれ」と言いますが、がんばることはあくまで手段。
重要なのはなんのためにがんばるのか、ということです。
自分は今後の人生で何をしていきたいのか、そのため今どんながんばりが必要かは当然人によって違います。
たとえば、高校や大学受験などはあなたより点数が高い人が多ければ落ちてしまうかもしれませんが、合格点のある資格試験などを必要以上にがんばる必要はないですよね。
育児も仕事も完璧に…といいますが、たとえば「夕飯は一品は必ず手作りする」というのがあなたの目指す完璧でしょうか。
どうしても一品作らなければいけない理由があるのではなく、なんとなくのよい母親像にしばられているだけだとしたら、完璧の基準を変えてもよいわけです。
自分のいい加減を知り、必要なことを必要なだけがんばってみてはどうでしょうか。
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2022.02.22
仕事もプライベートも完璧にやりたい気持ちがあり、できない現実にイライラしたり、落ち込みます。
子どものことを優先にやりつつも、自分のこともきっちりやりたい。でもできなくて葛藤の日々です。この気持ちはどのようにしたら良いでしょうか。