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【泉房穂×てぃ先生③】子どもが知らない人から飴をもらったら?地域社会なき時代の育児
「異次元の少子化対策」が本格的なスタートを切る2024年。「支援策が的外れ」といった不満も聞かれる中、これからの日本の子育てはどうなる?現役保育士・てぃ先生、兵庫県明石市の前市長・泉房穂さん、そしてKIDSNAアンバサダーに、日本社会で子どもを育てることについて語っていただいた。全3回中3回目のテーマは、レールも地域社会もない時代の子どもの幸せ。
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レールがない時代、親が子どもにできることは?
加藤:ここまで色々お話伺ってきましたが、結局「子どもの幸せ」とは一体どういうものを指すのでしょう。お二人の考えをお聞かせください。
てぃ先生:僕の価値観では、無条件に愛されることだと思います。大人も子どもも、今の社会はありのままを認めてもらう機会があまりにも少ない。
子どもの話で言うと、子どもが0歳児なら、「息をしてるだけで十分」というのが親御さんの気持ちだと思います。だけど少し成長してくると、「お片付けしたからいい子」「ご飯残さず食べたからいい子」と、徐々に愛情に条件が付いていく。これが子どもにとっての息苦しさになるのかなと思います。
てぃ先生:結果に対する評価じゃなくて、「どんな状態でもあなたはいいのよ」と親御さんが保証することで、子どもは幸せや自己肯定感を持てると思うんです。
加藤:条件付きの評価に慣れると、「〇〇できない私はダメ」と思ってしまいますしね。
てぃ先生:僕は今保育士15年目ですが、最近になって、子どもがウソをつく、言い訳をするという相談が増えてきたんです。
色々な原因があると思うのですが、一番大きいのはおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住まなくなったことだと思う。二世帯が同居してたら、子どもが両親に叱られた時、おじいちゃんやおばあちゃんのところに逃げる手があった。でも今の子たちは核家族だから、親に叱られた時の逃げ場がない。
てぃ先生:だから自分を守るためにウソもつくし、言い訳もする。ウソをつくのはよくないけど、そもそもどうしてウソをつこうとしたのか。どうして言い訳してるのか。それをくみ取ってほしい。そういう意味でもありのままを認めることが、お子さんの幸せだと思います。
加藤:泉さんはどうでしょう。
泉:私が子どもの頃と違って、今は社会のレールというものがない時代ですよね。僕は子どものころから変わり者だったのでレールを無視して、昔も今も怒られ続けてますけど(笑)。でも、今はレールがない分、色んなことがあっていい時代だと思う。親が子どもに「こうあってほしい」という期待を強く持ちすぎると、子どももしんどくなるのかなと思います。
泉:私はさかなクンとすごく仲良しなんです。明石市の大使もしてもらっていて、さかなクンのお母さんとも仲良し。お母さんが言うには、さかなクンは子ども時代からずっと絵ばっか描いてはったと。今でこそさかなクンだけど、最初はトラッククンやった。
それでさかなクンが小学校一年生の時、お母さんからこんなプレゼントをもらったそうです。何かと言うと、目を閉じたままどこかに連れられて、目を開けたらそこにはトラックがいっぱいあったと。そこでお母さんが「好きなだけトラックの絵を描きなさい」って。立派ですよね。さかなクンは途中から魚に目覚めて、そこからはもうずっと魚に夢中ですが、お母さんはずっと応援を続けたんですね。先生には勉強の問題をずいぶん注意されたけど、お母さんは違った。「さかなクンが一番描きたい絵を描けばいいじゃないか」と。
その子の存在そのもの、そしてその子のしたいことを本気で応援すると、子どもは安心して好きなものに熱中できますよね。
てぃ先生:そういう話を聞くと「さかなクンだからうまくいったんじゃない?」と思う方も多い気がするけど、やっぱり一つのものに没頭してる子って幸せそうに見えるんですよね。
なのに、一つのことに没頭してるお子さんを見て多くの親御さんが心配するじゃないですか。「うちの子、車ばっかり見てる」って。で、その子が小学校や中学校に上がると、親御さんは決まって「うちの子には好きなものがない」とか「集中力がない」とか心配になるんです。
そうじゃなくてまず幼少期に子どもを信じて、やりたいことをやらせる機会を設けるのが大事だと思います。だって、没頭してる子の方が明らかに集中力が高いですもん。
泉:自分の好きなことを見つけるだけでもすごいことだからね。今てぃ先生の話を聞きながら思い出したのが、先日の同窓会のこと。私は小中高と地元のガラの悪い漁師町の公立に通ってたんですね。大学は東京大学で、その両方の同窓会に行ったんですけど、おもしろい現象があって。
小中の頃の悪ガキ連中は60歳になってもみんな楽しそうなんです。昔から野球ばっかやってた奴らは、今も変わらず野球ばっか。コーチや監督なんかやったりして、とにかく楽しそうなんですわ。
それに対して、東大の同窓生が集まると、けっこうグチが多くて。「こうでなきゃいけない」という人生を歩もうとも、そんなのは歩み切れない。だからどっかで負けた気になって言い訳する。東大の同窓生は官僚だったり、有名企業や銀行に就職したりしてる人が多いけど、出世しきれなかったことをけっこうグチってる。
「そんなん言うてもしゃあないやん。もっと楽しい話しようや!」って言うけど、そしたらみんな「お前は楽しそうやな」って。「世間からあんなに叩かれてようニコニコしてんな」って言われるけど、基本的に私は自分のしたいことしてるからストレスないですよ。
泉:そういうのを見ると、俗に「勝ち組」と言われている学歴社会で生きてきた人たちの方が縛られてしまっている面もあるから、どっちがいいかわからないですね。
てぃ先生:今の話で思い出したことがあって、今70~80代の方々に「人生で後悔していることはなんですか?」と聞くと、8割の人が同じことを答えるんですって。
加藤:何ですか?
てぃ先生:「チャレンジしなかったこと」だって。決まった道を歩んだ方が多い年代だと思いますが、自分がチャレンジしなかったことに人生最大の後悔を抱いているんですって。
加藤:お二人は常にチャレンジしてますね。
てぃ先生:しすぎてるかも。泉さんと話す機会もそうないから言いますけど、僕がこの活動を始めた当時って、一部の保育士たちからもうボロクソに叩かれてたんです。「保育士がメディアに出て調子に乗るな!」みたいな。でも、今や叩いてくる人はいなくなりました。何を言われても、抵抗してやり続けたからだと思います。
泉:うらやましいね。出る杭は打たれるけど、出すぎる杭は打たれないって言うし、たぶん出すぎたから評価されたんですよね。私は出すぎたのに未だに叩かれまくってる(笑)。
てぃ先生:泉さんはそのラインが高いんでしょうね。僕は高尾山くらいでいいけど、泉さんは富士山くらいまで行かないといけないのかも(笑)。
知らない人からもらった飴、子どもに食べさせる?
加藤:先ほども「核家族化で子どもの逃げ場がなくなった」という話がありましたが、子どもが社会とかかわるのは大切だなと思う一方で、現実では子どもに対する犯罪というものも存在します。
たとえば、近所でよく会う方に挨拶していくと、だんだんコミュニケーションの機会が増えていきますが、小児性犯罪の多くは知り合いによるものとも言われているので、かえって危なかったりもするのかなと思ったり。そのあたりはいかがでしょうか。
てぃ先生:むずかしいこと言うなぁ。
泉:むずかしいなぁ。
てぃ先生:でも、一つ思い出しました。もう卒園して今は小学校に通う子のパパが、ある日一人で園に来て「先生に相談がある」って言うんです。
聞いてみると、子どもが一人で登下校してると、帰りに横断歩道で交通誘導をしてるおじさんやおばさんから飴をもらうらしいと。周りの友だちたちはその飴を平気で食べてるみたいだけど、パパはその飴に何が入ってるかわからないから、食べさせたくない。だから子どもに「食べるな」って言ってるけど、「みんな食べてるのに、どうして私だけ食べちゃいけないの?」と返された時、その不安を言語化して答えることができなかった、という話でした。
「時代だな」と思いましたね。昔だったらたぶん食べてたと思うけど、今はすべてのものを疑わないといけない状況で、それも時代の苦しさの一つですよね。加藤さんだったらどうします?
加藤:むずかしいですね。自分もその人と目を見て話したことがあったりしたら、大丈夫かなって思うかもしれない。自分の中で一種の安心感を得たいのかもしれないです。
てぃ先生:親が「食べちゃダメ」って言い続けても、どっかのタイミングで食べると思うんですよ。だけどダメって言われてるから「食べてない」ってウソをつくしかないと思うんですよ。
加藤:子どもは食べたいはずですからね。
てぃ先生:これは一つの例ですが、社会とのかかわりが精査されている風潮がありますよね。悪い言い方をすれば、縛りがきつくなっている。
加藤:だからと言って、自分にかかわる人全員を疑うような子どもになってほしくもないんですよね。
てぃ先生:ドライな子になってほしいわけじゃないですしね。自分にとってメリットのある人としか付き合わない、みたいな。
子どもにとって、親御さん以外の信じられる存在がおうちの外に何人かいるってことが社会のかかわりにおいては大事だと思います。それがもしかしたら保育士かもしれないし。
加藤:アンバサダーのお二人はどう思いますか?
まなか:社会とのかかわりというお話との関連で、今日本の子育てがキツイのは、地域と切り離されて、子育てが家庭の中だけになっていることがすごく大きいと思います。ひと昔前、子どもが沢山いた時代は、お母さんが下の子だけ背負って、あとの兄弟は地域の子どもたちと、おじいちゃんおばあちゃんに見てもらいながら遊んでたと聞きます。
まなか:今もそういうふうに、地域で子どもを見てくれるような環境があればいいなと思う反面、先ほどのお話のように、危ない目に遭うのでは、という不安もある。私は地域で子どもを見守る習慣が戻ってきたらいいなと思いますが、その点に関してはどうですか?
てぃ先生:うーん、僕は戻れないと思いますね。地域で子どもを見ることをよしとしない価値観に変わってしまったので。みんな「自分のことだけで精一杯で余裕がないのに、なんで他人の子の面倒をみないといけないの?」って感覚が大きくなっていると思います。
まなか:私の周りだと、自分が早く帰ってきた時は、今小学一年の上の子の友だちがしばらく家にいて、その子のお母さんが帰ってきた頃に送ってあげたりしています。それを交代でやってるようなところはあるので、そういう助け合いは少しはできるのかなって。
てぃ先生:めっちゃいいと思います。でもそれがいいとされる状況って、バランスがいい時だけなんですよね。でも次第に「うちが10回見てるのに、あっちは一回も見てくれない」みたいな不満が生まれるケースを本当によく耳にします。
泉:昔の牧歌的な時代をどうこう言ったところで戻るわけではないけど、だからこそ行政の責任が大きいと思います。途中でうまくいかなくなったとしても、いっときを仲間同士で支えられるのはいいですよね。ずっとやらなあかんと思うからしんどくなるんで、ダメならダメでいいタイミングかもしれないですし。
てぃ先生:だから今はそれが保育園なり、誰でも通園制度ですよね。
泉:昔で言うところの公園的な機能を、保育所がある種兼ねていくというのは、可能性がありますよね。新しい出会いもあるし、育児の相談もできますよ、ってかたちのね。ちゃんと人の面の体制も整ってこそですね。
それにしても、てぃ先生はおもしろいね。現場を知り尽くしているから、少子化担当大臣やるのがいいですよ! 内閣改造に次推薦しますわ。いや、経団連の会長の方がいいかな。
てぃ先生:やりませんよ!
加藤:まずは、国の政策を作る方々に今日のお話をぜひ読んでほしいですね。