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【渡辺英則×大豆生田啓友/後編】「その子らしく」あるための大人のかかわり
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不安定な社会情勢やSNSなどを通じて得る過剰な教育情報によって、子どもの教育に奔走し、過干渉な子育てをする親が増加している。行き過ぎた「教育熱心」が及ぼす危険性とは。そして子どもを疲弊させないために、親はどう在るべきなのだろうか。今回はゆうゆうのもり幼保園園長の渡辺英則氏と、玉川大学教授の大豆生田啓友氏に話を聞いた。
行き過ぎた教育熱心が子どもに与える悪影響や、親はどのように接するべきなのかということに迫ってきた本連載。
「主体性を大切にする=自由に遊ばせておくのでなく、子どもが何かに興味を持つきっかけを作ったり、大人にしかできないサポートで意欲を伸ばしてあげることが、保護者や保育者に求められている役割」
前回でそう語ってくれたのは、横浜市にある学校法人渡辺学園理事長、ゆうゆうのもり幼保園・港北幼稚園園長の渡辺英則さんと、玉川大学教育学部 乳幼児発達学科教授の大豆生田啓友さん。
後編では、子どもの主体性を伸ばすことで、子どもや親にとってどんな効果があるのかについて話を聞いた。
自由な群れの中で非認知能力が育つ
取材中、園長の渡辺さんが「ぜひ見ていってほしい」と話したものがあった。
それは園庭の真ん中にある「火山」。
――存在感があって子どもたちの熱意を感じるクオリティですね。
渡辺:泥団子づくりから発展し「火山を作りたい」といい出した子どもたちが中心となって、一週間ほどかけて作成しているもので、まだ未完成。
本物の火山のように火をつけたいという機能性重視の子どももいれば、見た目の美しさにこだわってひび割れを直す子どももいて、喧々囂々としながらやっています(笑)。
筒状の陶芸のような状態になっているので、火をつけても燃えない。じゃあ燃えないのはなぜかというのを子どもが調べたら、「空気穴がないからじゃないか」という結論になって。
結局今はアート的な方向に進んでいるようです。サポートしている先生たちも完成を急いでいるわけではないので、日々見守りながら「園長先生、火山がまた大きくなってきました」と伝えてくれます。
大豆生田:私も最初に話だけ聞いたときは訳が分からなくて(笑)。すごくおもしろい取り組みなので、うちの学生にもぜひ見せたかったです。
渡辺:ああいうものが子どもたちの間でブームになって、取り組む楽しさにのめり込んでくると、いろいろな目的と役割をそれぞれが自然と持って、資料を調べたり意見を交わしたり、話し合ってコミュニケーションをとりながら方向性を決めたりする。
自由な挑戦の中で、本当にいろいろな能力が身につき、鍛えられているなと感じます。
大豆生田:こういったことに幼稚園や保育園、子ども園で取り組むことのメリットは、「群れ」であることなんです。
アウトドア派の子もいればインドア派の子もいる。自分の意見を主張できる子もいれば、あまりしない子もいる。
そういういろいろな個性を持った子どもの集まりの中で、別々のことに熱中している子たちが仲よくなると、お互いの好きなことに興味を持つようになるんです。
大豆生田:個人が自分らしさを発揮する中で、単に生き生きできるだけでなく、園の集団の中で主体的な学びが生まれていく。大人から見るとみんなで楽しく遊んでいるだけのように見えても、子どもと子どもの関りは成長のきっかけに溢れているんです。
遊びの中で、失敗してもあきらめないでやり遂げる力、乗り越えるために問題を解決しようとする力などの「非認知能力」が育ちます。またそれだけでなく、文化や科学、言葉やアート、スポーツまで、本当に豊かな能力を身につけるチャンスがそこら中にある。
親がそれらを身につけさせようと「習いごとをたくさんさせなきゃ」と考えるより、園といっしょに、遊びを通してこのような21世紀の社会を生きていく力を子どもが育てて行くんだと思えば、少し肩の力が抜けて家庭にもよい影響を与えるのではないかなと思います。
大豆生田:子どもが自分らしさを発揮できるのびのびとした幼児教育は、むしろ小学校に入ってから「学びに向かう力」として生かされると言われています。
子どもがのびのび育っていると「小学校でおとなしく授業を受けることができないんじゃないか」と心配する保護者もいますが、重要なのはそれよりも自分で考えたり、試行錯誤したり、あきらめないで問題解決しようとするかどうか。これが、子どもたちが生きてく上で必要な21世紀型スキルです。
子どもの主体性を尊重する環境で得たものは、子どもの未来で必ず役立つと思います。
受動的な「知育」より能動的な「可塑性」
――火山の例のように、本当は子どもがしたいことをして遊ぶだけでも学びになるのに、たとえば玩具ひとつ選ぶときでも「知育玩具がいい」など、親がそこに成果やスキルを求める傾向があるように感じます。
渡辺:子どもが遊びたいと思うものって、たぶん「こんな機能がついてる」「こんなことが身につけられる」ということより、「自分の自由な発想をどれだけ叶えられるか」ですよね。
葉っぱ一枚でもそこからさまざまなものを作ったり、戦いごっこの武器をガムテープのつぎはぎで作ったりして、そういったものを気に入って園から家に持って帰り、また翌日、大事そうに園に持ってくる。
渡辺:何かを自分で作り上げていくとか、自分でやりたいことを追求していく遊び方の魅力というのは、玩具を与えられて「この遊び方しかできない」というものとは本質的にまったく違うんです。
知育玩具を与えなくても、子どもは自分でさまざまな工夫をして「遊び込む力」を持っている。保護者にはそこを信頼してほしいです。
大豆生田:保護者からすれば、悩ましいところではありますよね。
「小さい頃にこういうことをしておけば成長してから困らないんじゃないか、少しでもよい成果があるんじゃないか」ということは誰でも思うし、悩んだときに参考にするのはやはり自分がこれまで生きてきた道、過去によしとされていた教育や遊びがモデルになってしまう。
知育玩具も専門家のお墨つきがあることで、「こういうことをやらせておいた方がきっと子どものためになることがあるんだ」と思うのは自然なことです。
しかし、子ども自身が考えたり感じたり試行錯誤するプロセスが生まれないと、知育にはなりません。
だからよい玩具の条件をあげるとすれば、「知育」とついているかどうかよりも、いろんなものに組み立てたり変化する可能性がある「可塑性」があって、子どもの知的探求を促すことができるかどうかという点が大事なんです。
渡辺:子どもが実際に自然のものや手作りのもので遊び込むのをサポートするというのは、親にとっては大変なこともあるんですよね。
なんだかよくわからないものをまた持って帰ってきたとか、家の中で作ったものが散らかるとか。
だけどそんな中でも親が子どもにつき合っていくことで、僕ら大人にはないような発想を子どもたちが持っていて、こうやって具体化しているんだということに気づける。
そうすると「こういう方法で学ぶ力を持っているんだ」「子どもが持っている力を引き出すサポートをしてあげよう」という風に思えるようになっていきます。
――お膳立てされた受け身の遊びではなく、子ども自身が自発的に楽しめる遊びこそが、創造力や問題解決能力などを育むということでしょうか。
渡辺:そうですね。子ども自身がワクワクしながら行う学びでは「まだ小さいのにそんなことまで考えてるの?」と大人が驚かされるようなことも起こる。これは「させられてする学び」では身につかないことです。
じゃあ「子どもを自由に遊ばせておけばいいのか」「遊んでいれば勝手に学んでいけるのか」といわれると、それもまた違う。もちろん遊びだけでない学びも大事です。
渡辺:ゆうゆうのもり幼保園では博物館に行ったあと、恐竜や昔の時代に生きていた生き物に興味を持つ子が増えて、園の中でブームになることがあります。
そうすると自然に「恐竜っていつの時代から生きていたんだろう」「どんな体をしていたんだろう」ということを調べて、知的探求心が育つ。
そのきっかけを作ったり大人にしかできないサポートで意欲を伸ばしてあげるというのは、保護者や園にしかできないことだと思います。
子どもが「子どもらしく」いることの大切さとは
――幼児教育や親子関係において、一番大切なことはどのようなことだと思いますか?
大豆生田:子どもも親も自分らしくいること。それが一番幸せですよね。
フィンランドの研究では、子どもがよりよく育つ条件の中に「親が機嫌が良いこと」というものがありました。機嫌よくいられると、目の前の相手にもやさしくなれますよね。
親にやさしく受けとめられている子どもはすごく機嫌がいいから、他の人に対してもよりよく関わろうとしていく。自分らしくいられることを大事にしていると、子どもも親も機嫌よく幸せでいられるんです。
大豆生田:でもこれって意外と難しいですよね。イライラしたり感情的になってしまうことがあるのは仕方がないし、機嫌よくいたいと思っていてもそれがなかなか実現できない焦りで、自分を責めて落ち込んでしまうこともある。
だから、何かがあっても「まあいっか」と思えるくらいの大らかさが、すごく大事。そのためには、イライラした時の発散方法が不可欠で、ママのリフレッシュの時間も大事です。
子育てって長期戦だから、目先の成果を求めても、実は長い目で見ると成果になっていないこともある。
そう考えると、「今が充実している」「幸せだ」と思えることの方が結果的に、子どもと親の将来においてよい影響を与えられるのではないかと思います。
渡辺:自分の子どもだからといって、子どもは親の思うように育ちません。
むしろ、小さいときから、ひとりの人間として自分の思いや考えが尊重され、それを実現しようとしても思うようにならない経験もしながら、自分の気持ちを受け止めてもらうことが大事だと思っています。
もちろん、時にわがままに見える行動ばかりが目立ち、その対応に困ることもあると思います。しかしその行動の裏には、本当に伝えたい子どもの気持ちが隠れていることも多くあるので、その思いを分かろうとすることがとても大切だと思います。
自己肯定感はいつでも育て直せる
――9月のユニセフの発表では、日本の子どもの精神的幸福度が先進国の中でもかなり低い水準になっていて、自尊心や自己肯定感が低いともいわれています。ここを変えていくために、親として大人として何をすべきだと思いますか?
大豆生田:自尊心や自己肯定感については、よく小さい頃からの親の関りが大切だといわれますが、誤解しないでほしいのは、全てが乳幼児期に決定するわけではないということ。
人は生涯育つので、手遅れということはありません。
いまどきの大学生たちも、「他の子と比べて優れているかどうか」「点数がとれているかどうか」という価値観だけにさらされ、周囲の目ばかり気にしてなかなか自分の意見を言わない。これまでのそのような教育を受けてきたんだと思います。
たとえば泥団子をつくる授業があったとしたら、最初は自分が作ったものに対して「ここを失敗した」「ここがきれいじゃない」と否定的なことばかり口にします。
でも僕からの声かけによって「ヒビをなくすためにそこをがんばったんだね」「デコボコ感がむしろ素敵だね」と伝えていたら、次第に自分の泥団子に愛着を持って「じゃがいもみたいだけどかわいいでしょ」と自分の泥団子に名前をつけはじめる。
大豆生田:子どもといっしょで、「あなたがやってることは素敵だよ」といい続けていると、明らかに自己肯定感が高まって、どんどん自分の気持ちをいえるようになってくるんです。
だから乳幼児期の子どもを持つ保護者にも、「うちの子のいいところ」を探して挙げてみては欲しい。
親ってどうしても子どものできてないところや他の子と比べてダメなところが気になるし、「あれが足りない、これも足りない」という発想になってついイライラしてしまいがちですが、あえて視点を変えて我が子のよいところに目を向けることで、気づけることがある。
大豆生田:「うちの子はこんな素敵なところがある」という風に子どもを見る癖をつけると、「ここを大事にすればこの子のよさが伸びるんだ」「うちの子よくやってるな」と肯定的にとらえられて、子どもがもっと愛おしく思えてくるはずです。
そういった肯定的な態度で親に接してもらっていると、子どもも自然と自分を肯定できるようになります。その土台があってこそ、子どもが子どもらしく主体性を育むことができるのだと思います。
渡辺:大人は、子どもの気になるところやできないことにはすぐに気づきます。子どもが育っていることや、育とうとしていることより、育っていないと思えることがあることに不安を感じるのです。
ところが、どの子にも、その子なりの良さがあります。ただ、難しいのは、普段の生活の中ではその子の良さが見えないことも多々あること。だからこそ、園での生活やさまざまな環境との出会いが大切になってくるのです。
子ども自身も分かっていないかもしれない自分の良さを、親や保育者、子ども同士の関係の中などで見つけ、その力を伸ばしていってあげることが、子どもの自己肯定感を育てていくのだと思います。
学校法人渡辺学園 認定こども園 ゆうゆうのもり幼保園 http://youyounomori.ed.jp/
<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部