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【防犯/前編】いわゆる防犯は間違い。「場所」で見る新たな方法
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世界的に安全な国として位置づけられている日本の防犯対策とは?小学生をはじめとする子どもの誘拐や連れ去り、性犯罪被害のニュースは後を絶たない。この連載では、海外の防犯対策と日本の現状、親として認識すべき安全対策、子どもへの安全教育について紹介する。第二回は、社会学者・犯罪学者であり地域安全マップの考案者の小宮信夫氏に話を聞いた。
スーパーや公園のトイレ、家の付近の通学路……子どもがひとりになることを考え、日頃からこんな言葉をかけている親は多いだろう。
「人通りの少ない暗い道は危ないからね」
「怪しい人や変な人に気を付けてね」
これらは、私たちの親、そのまた親と、長年語り継がれ刷り込まれてきた犯罪シーンの代表的なイメージ像だ。街で見かける「不審者注意」のポスターには、帽子やサングラス、マスクをつけた不審者が描かれているケースが未だに多い。
こうした防犯知識は、現代社会において果たして正解なのか。
「今の親御さんたちの多くは、ベースの防犯知識が間違っています。これでは子どもにも間違った知識が伝わってしまい、子どもの安全を守ることができない。これまでの“犯罪者像”を捨て、認識を新たにしていただく必要があります」
こう話すのは、犯罪学を専門とする社会学者であり地域安全マップの考案者でもある小宮信夫さん(以下、小宮さん)。
どういった防犯知識が間違っているのか、まずは例を挙げて確認していこう。
間違い①犯罪者は怪しくて不審な存在
――私たち親の想像する犯罪者は、帽子やマスクを身につけて不審な行動をしている人です。
学校での安全教室や、親御さんも子どもに教えていますよね。「不審者に注意しなさい、変な人に気をつけなさい」と。地域のパトロールでは不審者がいないか探しています。
でも、実際には不審者探しには意味がありません。
不審者注意を呼びかけるポスターなどには電信柱の陰に隠れた人が描かれていますが、実際にはそうやって子どもを物色する犯罪者はいません。そんな大人を見つけたら、子どもにも怪しまれ、犯行が失敗に終わる可能性も高まるからです。
彼らはきわめてナチュラルに行動します。
堂々と歩き、堂々とベンチに座って子どもを狙っている。ですから、第三者が見てもその光景に違和感がない。普通の光景に溶け込んでいるんです。
――そう考えると「不審者に気をつけて」という教えは意味がないように思います。
不審者に注目した防犯対策はあまり意味がないうえに、地域力を低下させる原因にもなり得ます。
平均的な日本人と外見上の特徴が異なる人の中に不審者を求めがちになるため、外国人、ホームレス、知的障がい者を不審者と見なしてしまう。
さらに、地域社会の中で不審者を探そうとすると、人間関係が分断され、互いに助け合う関係も破壊される。
子どもたちもパトロール隊も、不審者を探し続けることで敵意が異常発生し、地域の中で対立が発生し、地域が一致団結することができなくなり、どんどん分断されてしまいます。
マスク=不審者という間違った防犯知識も、子どもたちと地域の大人たちとの交流を断たせてしまう原因です。マスクをしているすべての人が不審者になってしまう。コロナ禍では、必然的にマスクだけでは不審者かどうか区別できなくなったためある意味よかったと思うほどです。
間違った知識をもったままだと、不審者かそうではないかを区別する基準が「知っている人か、知らない人か」に絞られてしまい、子どもが大人に対して不信感を持ってしまいます。
「不審者」という言葉が使われれば使われるほど、犯罪が増えるおそれがあるというわけです。
犯罪は「人」では見抜けない。騙されるのが80%
――「こういう人が犯罪者だ」という明確な基準はない、ということは、私たち親は子どもにどんなところに気を付けるよう伝えるとよいのでしょうか。
まず、人に注目しないことです。
日本では、犯罪が起きるとその人自身になにか問題があって犯罪が起きたというように捉えがちです。これを犯罪学では「犯罪原因論」と呼んでいます。
だから「犯罪原因論」を重んじている日本では、犯罪が語られるときはマスコミも犯人の家庭環境や趣味など、その人に注目して報道しています。
不審者という言葉も海外では使われません。日本だけなんです、不審者と言っているのは。見た目で区別できないものをいくら注目しても仕方がない。
人に注目すれば、どうすれば「この人」を改善させられるかという犯罪者の更生はできます。でも、予防は人に注目していてはできないのです。
「どんな見た目だったら犯罪者なのか」や「どんな動機で犯行をしようとしているのか」なんて目に見えて分かるものではないし、実際には、先ほど言ったように犯罪者は怪しい見た目で行動をするわけでもなく、極めてナチュラルに行動しています。むしろ優しい大人や立派な大人としてふるまう。
誘拐被害にあった子どもたちの8割は、騙されて連れ去られています。
無理やりではなく、「猫の赤ちゃんがいるよ」「先生が呼んでいるよ」といった、子どもが「イエス」と言うような声かけをしてきます。
未就学児の場合は自分が犯罪被害にあっていることすら気づかない。気が付けないんです。
実際過去に「虫歯を治してあげる」と言って口を開けさせて子どもの舌を舐める事件がありました。この犯人は、50人以上に同じ手口を使っていた。でも警察はまったく認知できていなかった。
実際は、子ども自身は「虫歯を治してもらえてよかったな」と思っていたのですね。だからこそ親に言うこともありません。
このように、親も警察も知らない事件が、実際たくさん起きているんです。
――優しい声かけに対し「No」と言うよう子どもに教えるのは、難しそうですね。
防犯ブザーを鳴らす、大声を出す、走って逃げる、これらはすべて襲われた後の話。犯罪を回避できていないんです。
幼いころから防犯知識を教えるなら、そもそも危険な状況に自分が陥らないためにどうしたらよいかを教えるべきです。それが危険回避であり、回避するためには予測が必要になる。予測するためには景色を見なければなりません。
だから私がお伝えしたいのは、「人」ではなく「場所」を見る防犯法。
犯罪が起こりやすい状況(犯罪の機会)をあらかじめ予測し、回避する「犯罪機会論」です。
「犯罪が起きる場所」を見抜く防犯法とは
――人ではなく場所を見抜いて防犯するという考え方なのですね。
海外で重視されているのは、犯罪が起きる場所に注目して分析する「犯罪機会論」。
犯罪の動機を抱えた人がいても、その人の前に犯罪の機会(チャンス)が訪れなければ犯罪は実行されないと考えます。
言い換えると、犯罪が成功しそうな雰囲気があれば犯罪をしたくなるかもしれないが、そういう雰囲気がなければ、犯罪を諦めるだろうという考え方。
犯罪が起こりやすい状況とは、場所や状況、環境によって犯罪が成功しそうな雰囲気のこと。人それぞれで複雑怪奇な「動機(原因)」をなくせなくても、「機会」をなくすことができれば犯罪は起こりません。
犯罪が起こりやすい状況(犯罪の機会)をあらかじめ予測し、回避することで防ごうということなのです。
――犯罪が起こりやすい状況とは、具体的にどういうものなのでしょうか。
犯罪が起こる場所には共通点があります。
実際に、多くの犯罪は、誰からも「見えにくく」、誰もが「入りやすい」場所で起きているということが分かっています。
「入りやすい場所」とは、簡単に、怪しまれずに標的に近づけて、誰にも邪魔されずに犯罪を始めることができそうな場所。入りやすいということは逃げやすいということでもあるので、犯罪者にとっては好都合です。
「見えにくい場所」というのは、標的を探すことも犯罪を始めるタイミングを計ることも誰にも気づかれずにでき、犯行が目撃されにくくつかまりそうな雰囲気もない。
私たちは、景色を見て、入りやすく見えにくければ警戒すればいいのです。
間違い②人通りの少ない、暗い場所は危険
――犯罪が起こるのは「入りやすく、見えにくい」場所ということは、「人通りの多い場所は安全」という考えは正しいですか?
人が多いから安全というのはまず間違い。人が多い場所ほど、危険になる。人が多いということは、犯罪者からすると獲物がたくさんいて非常に効率のいい場所になるんです。
子どもの誘拐が多い時間帯は、午後3時~午後5時の間。事件が起こる場所の多くは、学校周辺や団地。下校途中の子どもたちたくさんいる時間、場所で誘拐事件は起きているんです。
人通りのある場所にこそ、犯罪者は現れる。
ではどのように誘拐するのか。人通りのある場所から尾行を続け、周りから見えにくい場所に入ったタイミングで声をかけるケースもあれば、周りに人がたくさんいるにも関わらずその場で連れ去りを実行するケースも意外に多く発生しています。
人が多い場所ではそこにいる人の注意や関心が分散され、犯罪者の行動が見落とされやすくなる。事件に気づきにくいだけでなく、援助も他人任せになってしまうため、異変に気付いても「人がたくさんいるのだから誰かが通報するだろう」「誰も助けていないのだから問題ないはずだ」と思う人が多いのです。
これも心理的には「見えにくい場所」です。
2003年に起きた長崎男児誘拐殺人事件では、大型家電量販店に親子で買い物に来ていた男の子が、ひとりでゲームコーナーで遊んでいたときに中学1年の少年に声をかけられ誘拐されました。人が多い場所だったにも関わらず、誰も気づかなかった。小学生の男の子と中学生の男の子が一緒に歩く景色は、自然な景色に見えていたんです。
2006年に起きた西宮女児誘拐事件も、西宮駅前広場から連れ去られました。駅前で多くの人がいましたが、誰も誘拐事件が起きている場面の記憶はない。
もうひとつ、管理が行き届いておらず、秩序感が薄い場所も心理的な「見えにくい場所」となります。
これは「割れ窓理論」としてよく知られていますが、公共施設の割れた窓ガラスや、落書き、散乱ごみ、放置自転車などの乱れやほころびが地域住民の無関心や無責任を想像させる。
小さな悪が放置されることで、犯罪が成功しそうな雰囲気が醸し出されて大きな悪=犯罪が生まれてしまいます。
他にも、もちろん物理的に「見えにくい場所」も犯罪者が好みます。
ひとつは壁や太い柱に囲まれて他の人の視線が届きにくい死角になる場所。もうひとつは、見晴らしはよいが、誰からも見てもらえそうにない場所です。
具体的には、周囲に家のない田んぼ、建物の屋上、マンションの高層階の廊下、歩道橋などの死角はないけれど視線もない場所です。
海外では犯罪が起きにくいように街がつくられている
――人ではなく場所に着目した「犯罪機会論」が主流の海外では、入りやすく見えにくい場所はどんなふうになっているのですか。
見た目で危険と安全が区別できるのは「人」ではなく「景色」だけ。
海外では、犯罪機会論にもとづいた街づくりをしています。道路や建造物、公園、駐車場などは入りにくく、見えやすい構造でつくられています。
たとえば海外には、フェンスに囲まれ、ベンチを遊具とは反対方向に配置した公園が多くあります。
ベンチが遊具の方を向いていれば、犯罪者はそこに座り、子どもに自然な感じで話しかけたり、盗撮することができます。でも、反対の方を向いていれば、後ろ向きに話さなければならないから、子どもも変だと気がつきます。普通の大人がそうしたベンチに座れば、遠くから子どもを物色している犯罪者を見つけることもできます。
さらには、日本以外のほとんどの国では、小学校高学年になるまで子どもをひとりにしないことが大原則。
あくまでも、街をきちんと作って、その街に出るまでは、子どもを絶対にひとりにしない。その間に、学校や親からの正しい教育によってどういう街が安全か危険かということを知識として学んで、実際にひとりで行動するのは小学校高学年や中学生になってからなのです。
日本では被害にあいそうになったら防犯ブザーを鳴らす、走って逃げる、大声出すと言われていますが、そういったシチュエーションを想定するのは、子どもを真剣に守る気がないから、というのが海外の常識です。
とはいえ、子どもを一人にせずに生活を送ることは、日本では現実的に不可能に近い。どのように子どもの安全を守ればよいのか、親子で日頃からできる「犯罪が起こりやすい景色の解読方法」を教えます。