【小島慶子】ADHDと診断されて分かった障がいの本質
子どもをとりまく環境が急激に変化し、時代が求める人材像が大きく変わろうとしている現代。この連載では、多様化していく未来に向けて、これまで学校教育では深く取り扱われなかったジャンルに焦点を当て多方面から深掘りしていく。今回は、タレント、エッセイストとして活躍する小島慶子さんに話を聞いた。
「幼少期は、家でも学校でも、かなりの問題児だったんです。常に身体をもじもじさせてじっとしていられないし、授業中も、空気が読めないから、先生が説明しているシーンとした場面で話の腰を折ることもしょっちゅう。次は気をつけようとは思うんだけれど、何回も繰り返してしまう」
「人間関係も、友達との距離の取り方や会話がうまくいかず、良かれと思って、おもしろがらせようと思って言ったことが間が悪かったり、言い方がきつかったりしてよく怒らせていました。そういったことが積み重なっていくうちに、周囲からは、無神経、わがままと言われ、仲間外れやいじめも経験しました」
こう話すのは、タレント、エッセイストの小島慶子氏。2018年、自身が41歳で軽度のADHDと診断を受けたことを公表している。
保育園や学校からわが子が“マイペース過ぎる”と言われたり、普段からも、落ち着きがなく気が散りやすい、口数が多い、何かに集中すると中断できない、こだわりが強い……といった特徴がみられ、心配している保護者も多いだろう。
発達障がいは、脳内の情報処理やコントロールに偏りが生じる障がいのこと。あることには優れた能力を発揮するが、あることは極端に苦手なため、日常生活に支障が出ることが特徴といわれる。
自分の特徴を理解してもらいやすくなった
41歳で自分を知る
――41歳で軽度のADHDと診断を受けられたとのことですが、当時はどういう心境でしたか?
「正直、もっと早く知りたかった!という気持ちでした。
幼少期から、嫌なことに対する耐性が非常に低かったので、受け流すことができずに周囲を困らせることが多く、とにかく悪目立ちして浮いていたし、注意されたり怒られてばかり。
周囲からはひねくれ者、育てにくい、癇が強い、わがまま、姉からは小島家の失敗作とまで言われ、自分をダメ人間だと責めていました。
しかし診断によって、定型発達の人と違う特徴があるということが分かった。
もっと早くわかっていれば早く対策できたのに……という気持ちと、ほっとした気持ちの両方がありました。何より自分自身を受け入れることができたのは大きかったですね。
30代で不安障がいという精神疾患になったのですが、その一因には、幼い頃から発達障がいであることが周囲に理解されなかったがゆえの生きづらさがあったのかもしれないとも思います。不安障がいの発症には複数の要因があるので、単純に“発達障がいの二次障がいだ”と言い切ることはできませんが、何らかの影響はあったかもしれません」
――小島さんの幼少期、発達障がいという言葉は知られていましたか?
「概念自体があまり知られてなかったので、家族も学校の先生も私をなんとか“普通”にしようとし、結果として生きづらさにつながったのかもしれません。
障がいは人の体にあるのではなく、それを『障がいたらしめる環境にある』とよく言われますが、私の場合もまさにそれ。発達障がいに対して周囲の理解がない環境では、すべて本人の性格や心がけのせいにされるので、どうして上手にできないのだろう、と自罰感情が強まりやすいですね」
得意と苦手を理解して対応する
――今困っていることや、苦手なことはありますか?
「請求書の処理や、メールのチェックと返信などの事務作業がとにかく苦手。メールは一日に大量にくるし、フラグをつけても、すぐ埋もれてしまい……メールの画面は、どんどん見えなくなるから、1日に何件も来ると、記憶が上書きされて忘れてしまうんです。そうすると、返信が遅れてしまうことも。検索しても目当てのメールがなぜか見つからないこともしょっちゅう。
しかもその大量のメールに、いろんな締め切りなんかも書いてあって、それをいちいちスケジュールに入力して……ケアレスミスも多いし、非常にストレスがかかる。こうした、多くの人にとってはなんでもない作業にとても集中力とエネルギーを必要とするのです。
ですから、すぐに返事がほしいときはメールではなくLINEにしてもらうとか、遠慮なく催促してとお願いしています。
それから、時間の感覚の掴み方も苦手。ADHDの特徴のひとつに、気が散りやすく、逆に過集中にもなりやすいというのがあります。退屈なことや興味のないことからすぐに違うことに気が逸れてしまう反面、興味のあることにはすごく集中する。私は原稿などをやりはじめてしまうと、30分くらいのつもりが、飲まず食わずで7時間くらい経ってたっていうことが平気であるんですよ。
段取りを決めて準備を進め、約束の時間の前に到着するという、多くの人にとってはなんでもないことが、すごく難しいのです。アラームかければ?とか早めに始めれば?とか、なんで間に合わないの?と、周りはどうしても理解できないでしょう。
本人にとってみると“魔法”なんですよね。ちょっとの間にこんな時間になっちゃってどうしたんだろう?ってことがよく起こります。あと、いつの間にか予定の時間が頭の中で書き変わってしまっているとか、待ち合わせの場所を間違ったりとかも多いですね。
私は間に合わないことやスケジュールの勘違いが多いので……と言っても、真面目にやれ!と言われるだけなので、こういう診断をされていて、こんな特徴があってと言うとみなさんなるほどと理解してくれます」
小島氏は、自分の特性を知り、苦手なことへの対策や工夫をしている。一方で、自分のその特性が、仕事につながっている部分もあると語る。
「自分のADHDの特徴が仕事に生きるというより、むしろ仕事が自分の障がいの見方を変えてくれています。私の場合は、ある種の過剰さがあるのですが、台本なしでもいくらでもしゃべるとか、書き始めるとすごく集中してしまう面が、今の仕事に生きている。過剰さがあるからこそ仕事に価値が生まれているのかもしれません。
今でもときどき、こんな脳みそしんどいな、つらいなって思うことはもちろんあるけれど、周囲の理解もあって、自分のこの特徴をポジティブに捉えられるようにもなっています」
診断が“人生の終わり”ではない
“障がい”は体ではなく環境にある
――診断を受けて、よかった、と思う人と、逆にショックを受ける人もいるように思うのですが、どう思われますか?
「発達障がいだけでなく、あらゆる障がいでいわれることですが、障がいは人の内側ではなく外側にあるという考え方があるんですね。その人の持っている特徴と環境が調和しないと生活に支障が生じます。環境がその人の特徴を障がいたらしめている、という考え方です。
たとえば、階段だらけの街では車椅子の人にとって歩けないことは大きな障がいになりますが、どこにでもスロープがあり車椅子用に設計されている街なら、歩けないことは移動の障がいにはなりません。
私がアナウンサー時代に勤めていたテレビ局は、運良く私のようなデコボコ人間でも生きていけるような環境でした。もちろん会社員としての一面はあるので、新人研修の座学や、意味のない会議などでは苦痛を感じることがありましたが、ほとんどの業務はむしろ私のような人が珍しくない現場で、いろいろな刺激を受ける変化に富んだ内容でしたので、性に合っていました。これが規則正しく堅い職場だったらたぶん1年と持たなかったなと。
だから、自分の持っている特徴が妨げにならない環境や、いろいろな特徴に寛容な環境はどこかなと探してみると、少しは生きづらさが緩和されるかもしれません。
――その辛さは、目に見える障がいではないゆえに、環境によっては『がんばればできるじゃん』と思われてしまうところにあるのでしょうか。
「ADHD特有の時間の感じ方や、ワーキングメモリーが弱くてやるべきことをすぐに忘れてしまったりする特徴は“怠けている”と捉えられがちですが、怠けているのではなく、困っているのです。
ADHDだけじゃなくたとえば学習障がい(LD)の方が漢字が読めないことを“勉強が足りないからだ”と責めるのは、文字の認知の仕組みが違うために他の人と同じように勉強しても覚えることができなくて困っている人を、さらに追い詰めることになってしまいます。
すべては脳みその中で起きていることだから、側から見ると理解できないことも多いですが、そもそも脳みそは誰しも違います。誰の脳みそだって、他人からは分からないわけで、その違いの度合いが他と比べて大きいのが発達障がいだと思うんです。
――少し前には「発達障がいグレーゾーン」という言葉もよく聞きました。
「診断名がつくかつかないかにこだわりすぎる風潮もあると思います。発達障がいかそうでないか、ということに関しては、そんなにピッと線が引けるものではなく、環境も自分も変化する中で、ある環境では自分の特徴が障がいになることもあれば、別の環境では、そうでもなかったり。時期にもよりますし。
とても困っているときには専門家の助けが必要ですから、診断を受けて治療を受けることも大切です。診断は、必要な支援や環境につなぐためのもの。大事なのは本人が困らなくなることです。診断を“ダメな人認定”だと思っているから診断を受けるのが怖かったり、診断が下った人を差別してしまうのだと思います。
障がいを持っている人に変わることを強いるのではなく、障がいに対する理解を深め、制度設計を変えるなど、環境の方を変えることが重要ですね」
周囲の捉え方に疑問を感じて公表
――ご自身のADHDを公表しようと思った理由も、そういった障がいに対する考え方にもあるのでしょうか。
「身近な人たちには伝えていたし、隠していなかったんですが、記事に書くことにした理由は、世の中での発達障がいの扱われ方に疑問があったから。
知人や友人でも、『うちの子どものクラスでじっとしていられない困った子がいて』と不吉なことを話すような顔で言ったり、『うちの子、もしかしたら発達障がいかもしれない』とこの世の終わりのような顔で話したりするんです。
逆に、『俺、発達障がいだから』って診断されていないのに自慢げに話す人もいて。発達障がいという言葉が一人歩きしていると感じました。正確に理解することが必要だし、障がいは人の数だけあることを知ってもらいたいと思って、記事に自分のことを書きました。
実際に発達障がいがあると分かったからといって、話の通じないトラブルメーカーのように扱うのは決めつけですよね。ちょっと人と違う面があるからといって発達障がいと決めつけてしまうのも、偏見を助長します。
発達障がいがどういうものかを正しく知って、困りごとにはどんな支援が必要なのかを考えればいいと思います。
公表してから、たくさんの方から、実はうちの子も、とか、実は僕も、と声をかけていただきました。偏見を恐れて人に言えなかった人たちが、障がいについて安心して打ち明けてくれたのが嬉しかったですね。
――まだまだ、隠すべきものという認識を持つ人も多いのですね。
「発達障がいという言葉自体が流行り言葉のようになってしまっていますが、正しい理解を持つ人が増え、身近なものとして定着していくことが大事だと思います。今は、まだまだその段階ではないように感じます」
後編では、これからの社会のあり方や発達障がいの新たな概念“ニューロダイバーシティ”について、そして保護者がどのように考えるとよいかなどについて聞いていく。
<取材・執筆>KIDSNA編集部