教育熱心はどこまで?
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不安定な社会情勢やSNSなどを通じて得る過剰な教育情報によって、子どもの教育に奔走し、過干渉な子育てをする親が増加しています。行き過ぎた「教育熱心」が及ぼす危険性とは?そして子どもを疲弊させないために、親がどうあるべきか、各専門家に取材しました。
〜言葉にならない子どもの気持ちについて〜
「子どものこころが穏やかに育つ魔法の育児法」のタイトルで40000人以上、Facebook公式ページには20000人以上の読者を持つ、作家/子育てアドバイザーLICOさんの連載コラム第6回です。
前回、私の3人の子どもの育児について少しお伝えさせていただきましたが、今回は、私が子どもとのコミュニケーションで大切にしていることについて、書いてみたいと思います。
以前このコーナーで触れた、自分の幼少期の経験、記憶などから、今目の前にいる子どもを眺めると、その子がなぜ泣いているのか、なぜ苦しいのか、なぜそんなことをしてしまうのか、どんな言葉を欲しがっているのか、本当は何を伝えたいのか……など、子どもが心の奥の奥で必死になって握りしめている「言葉にならない想い」が、私にはしばしば透けて見えることに気がつきました。
子どもの気持ちを想像し、言語化し、共有し、共感する。
そうやって子どもの言葉にならない想いに寄り添いたいという思いは、間違いなく自身が経験したことから生まれたもの。
どんなに悪いことをしたり、ひどい言葉を口にしていたとしても、その子が叫んでいるのは「誰か私に、ここにいていいよと言って」「私を助けて」という寂しさであることを知っているからです。
そして、生まれた気持ちは簡単に消えてなくなりはしない、ということも実感しています。
もちろん、時間と共に薄れてゆく想いもありますが「自分はここにいていいのだろうか」という不安は、誰かにその想いを抱きしめ、癒してもらうまでは、その気持ちを手放して前に進むことは、なかなかできません。それでも子どもは、「私を救って」と正確に伝えることができないのです。
そもそもの語彙力が大人に比べて格段に少ないし、自分の気持ちを言語化することがとても困難です。
そして、言語化より難しいのは、今自分の中に生まれた気持ちを「自分で認識すること」。
つまり、子どもは自分の気持ちを自覚できていないことのほうが多いのです。
大人であっても自分の気持ちを自分で正確に把握し、人に伝えることは難しい。
そう感じている方も多いのではないかと思いますが、子どもにとってはなおさら、渦巻く気持ちに名前を付けて説明することは難しいことです。また、自分の本当の願いに気付くことも。
ならば子どもはどうやって自分の気持ちを表現するのかというと、親の注意を引くようなことをするしかありません。
つまり、親を困らせることだったり、親が怒るようなこと。
そうすれば、必ず自分を見てくれると子どもはわかっています。
怒られても、叱られてもいい。それでも自分に目を向けてくれるのならば、そのほうがいい。ないものにしないでほしい。今ここにいる私の寂しさや、今ここにいる私の存在を、ないものにはしないでほしい。
さみしいから、私を見て。
私を信じてほしい。
――私に「ここにいていいよ」って言ってほしい。
と、子どもたちの言葉にならない行動には、そんな切羽詰まった想いが詰まっています。
こうした子どもの発するSOSに周りの大人が気づくのが早ければ早いほど、子どもも親も家族も、早く楽になれます。
「私のことなんて、ママ、嫌いなんでしょう」
そんな想いを子どもにぶつけられることがあるかもしれません。でも、子どもはそれを肯定して欲しくて言っているわけではないのですから、こちらは、
「そんなことないよ」
「そのまんまのあなたのことが大好きだよ」
子どもを思う、こちらの正直な言葉や温もりを、ただただ手渡せばいいだけです。ささくれ立った子どもの心をやわらかくするのは、私たち大人の愛の絆創膏ですよね。
時間をかけて、子どもを丸ごと抱きしめれば、心はちゃんと伝わります。
そして、子どもの声にならない声が、だんだんと耳に届くようになり、親子の気持ちがちゃんと通いあいます。
声にならないたくさんの声が、必要な親御さんたちのもとへと今日も届きますように。
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共働き家庭が増加している昨今、夫婦ともに実家が遠いと、どうしてもシッターが必要になることもあるのではないでしょうか。今回の記事では、共働き家庭のママが有資格者のみが登録できるKIDSNAシッターのサービスをはじめて利用した様子をレポートします。