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クリエイティブユニットtupera tuperaが子どもより本気で創作を楽しむ理由
「かおノート」をはじめ、絵本から舞台美術、ワークショップ、アートディレクションまで多岐にわたって活動しているクリエイティブユニットtupera tupera(ツペラツペラ)。今回はご夫婦でもあるおふたりに、アートと子育ての関係やアートを楽しむコツについてうかがった。
真っ白なキャンバスに自由に筆を走らせたときのわくわく感を最後に感じたのはいつだろう。
大人になるといつの間にかお絵描きや工作など「描く・作る行為自体が目的」の創作から遠ざかり、子どもが画用紙いっぱいに描いた無数の円が理解できなくなる。
でも、誰もが純粋にクリエイティビティを発揮し、創作を楽しんだ時代があったはずだ。
絵本『かおノート』をはじめ、tupera tuperaの一度見たら忘れられない印象的な絵柄と作風は、誰しもそんな時代があったことを思い出させてくれる。
今回は、中学2年生と小学3年生の子どもを育てる夫婦であるおふたりに、ものづくりの根底にある「アートを楽しむ心」について話を聞いた。
アーティスト夫婦の子育ては「やりたいことは何でも応援」
――「子どものクリエイティビティを育みたい」と思いつつ、アートの良し悪しや、子どもの作品とどう向き合うべきか分からないという悩みを持つ保護者も多いです。アーティストであるおふたりは、お子さんの創作をどのように見られているのでしょうか。
中川敦子さん(以下、中川さん):仕事柄、なんでも手作りしていると思われがちですが、プライベートではみなさんが思っているほどはやっていないんです。
子どもが自分から始めたことに関しては「いいねいいね」「どんどんやろう」と言ったり、「こんな材料を使ったら?」と提案はしています。
亀山達矢さん(以下、亀山さん):小3の長男はふだんはラグビーやゲーム、外遊びなど広く浅く楽しむタイプ。
自分の子ども時代の記憶が重なったり、共感したりすることが多いのですが、何かひとつのことにのめり込むより、自分がやったことのないことやテーマに興味をもってひとつひとつやっていくのが好きなようです。
でも、急にスイッチが入って夢中になって作ったりして、それがすごくいいものだったりするんですよね。
たとえばいろいろ吟味して恐竜が作れるレゴを買っても、結局説明書通りには作らない。
一度作ったら壊して、今度はブロックの上に油性ペンで好きに描いたりしていました。僕も子ども時代、ガンプラの頭に足をくっつけていましたね。
中川さん:中2の娘は小さい頃から仕事現場に連れて行くことが多く、tupera tuperaの活動をずっと近くで見て、小さい頃はよく描いたり作ったり、長男以上にアートに囲まれた刺激のある環境で育ちました。
でも今はアートにそこまで関心はなくて陸上部で走っています。アートが身近にある環境で育っても、必ずしも好きになるとは限らないんですよね。
亀山さん:僕は子どもの頃、親から「勉強しろ」と言われ続けたことがすごくしんどくて、その反動で進学校をドロップアウトしたので、アートも勉強も、強制するものではないと思っています。それより子どものやりたいことを応援することが大事。
子どもをよく見れば、子ども時代の自分と重なる部分が見つかるじゃないですか。親はそれに共感し、見守ってあげるのが大事かなと思います。
中川さん:私たち夫婦はたまたまアートが好きでそれが仕事になっていますが、たとえばアウトドアは苦手なので、「アウトドアで子どもとこんな体験をした」と聞くと焦ることもありますよ。
だから、子どもが小さいうちはとくに「勉強もアートも、親がやらせてあげたことが将来につながるんじゃないか」と思ってしまう気持ちもよく分かります。とくに今は他の家庭の様子をSNSでたくさん見ることができますからね。
亀山さん:なにか特別なことをさせなくても、クリエイティビティは日常の中にもたくさんあります。
今の子どもたちはゲームやスマホが当たり前に与えられていますよね。僕らはどちらかというと、仕事でもパソコンを使わない超アナログ人間ですが、息子は自分でオリジナルのコースを作るゲームが好きで、おもしろいコースをたくさん作ってますよ。これもクリエイティブだと思うんです。
今の子どもたちにはデジタルもアナログもそれぞれの良さに気づいてほしいし、僕らとは逆に、デジタルからスタートした世代がどんな創作をするのか、どこにいくのかは純粋に楽しみです。
反動ですごくアナログな人間になるかもしれないし、デジタルの最先端にいくかもしれない。スタート地点が違うんだから当然ですよね。
子どもにやらせるより「大人が本気で楽しむ」
――ワークショップで全国を回られていますが、そこに来る子どもたちのアートはどのように感じていますか。
亀山さん:ワークショップには、集中して作品を作り続けたり、子どもとは思えない作品を作ったりする、いわゆる天才みたいな子も来ます。
でも、ワークショップって基本的には親がやらせたくて連れて来ているので、僕の予想では4割は「外で遊びたい」と思ってるんじゃないかな(笑)。
だから僕は「付きあわせてごめんね。やめたかったらパッと作って外で遊んできていいよ」と言っています。
その代わり、いかにも付き添いで来たお父さんに作ってもらって、お父さんがいい作品を作ったら「すごいっすね!お父さん!」と盛り上げることにしています。すると子どもは、目を輝かせて嬉しそうな表情をするんです。その姿を見て、何かを得ているのだなと。
だからまずは大人が楽しんで、その姿を子どもに見せるだけでいいんじゃないですか。僕自身も、熱中すると子どもの材料を奪う勢いでやりますよ(笑)。
ーー子どもに何かをやらせようとするより、まずは大人自身が楽しむ……。今まで逆の発想でした。
亀山さん:子どもは誰しもが個性のかたまりで面白いです。でも、世の中の大人たちも今の学校教育も、そこを伸ばすことをあまり重視していないように思います。
たとえば僕らの活動も、「絵本なんてどうせ子ども向けにやってるんでしょ」と捉えられることもある。でも、大人もかつては全員子どもとして生まれた子ども経験者なわけですから。人間の共通テーマは「子ども」なんです。
だから「子ども」の部分をいかに楽しむかも、大人の見せ所だと思うんですよ。
そう思うと、絵本や創作を「子どものすること」と切り離してしまうのは、すごくナンセンスですよね。本当は子どもから大人まで楽しめるものだし、大人こそワークショップも楽しんだ方がいい。
中川さん:環境という意味では、たとえば音楽の授業で先生が誰よりも楽しそうに音楽をしていたら、「ああ音楽ってこんなにうきうきするんだ、歌ってこんなに気持ちいいんだ」と子どもは影響されていく思う。
私は、自分が作品作りで癒されるタイプだからこそ、自分の手で何かを作り上げる楽しさや充実感みたいなものを伝えられたらと思っています。
大人の基準で創造性を判断しない
――たとえば、子どもが何かを作りはじめたとして、それが5分くらいで終わってしまったとき、「集中できてないな」「熱中してほしいな」と思ってしまいます。これは大人が楽しむ姿を見せられてないからでしょうか。
中川さん:パパッと作って終わり、という子どもを見ると焦る気持ちもわかります。
昔、瓶をデコレーションして人形を作るワークショップをした際、みんながいろいろな飾り付けをしている中で、一面青に塗って、簡単に顔を描いて完成させている男の子がいたんです。
「もっと工夫して欲しいな」と思って、「向こうにこんな材料あるよ」「こんなの付けてみたら」と声がけしたんですが、ワークショップが終了する頃には、ほぼ同じ“青の瓶人形マン”が10個以上できあがっていて、それはすごい迫力でした。
中川さん:悩みながら時間をかけてひとつの作品を作る子もいれば、パパッと数を作り全体でひとつの作品を表現する子もいるんだなと思い、反省した出来事です。
その瞬間だけを見てしまうと集中してないように感じるかもしれませんが、実は、その子ならではのクリエイティビティを発揮しているかもしれない。大人の常識にとらわれず、ちょっと引いて見てみるのもいいかもしれません。
――おふたりのInstagramでは、息子さんの作品もよく見られます。ふだんは、どんなふうに関わられていますか。
亀山さん:息子は今セロハンテープ工作に凝っていて、紙で立体を作り、色を塗ったものをセロハンテープでぐるぐる巻きにして固めた作品をたくさん作っています。
ところが、学校では「セロハンテープはそんなことに使うものじゃない」と怒られたり、友だちからは「お前んちはいいな。うちの親だったらセロハンテープの無駄遣いって言われる」と羨ましがられたりしたそうです。
セロハンテープってまとめ買いすればすごく安いですし、どう使うかは自由に本人が考えることであってほしい。そういう理由で子どもの創作意欲を止めたくないと思っています。
中川さん:息子の作った作品をテーブルの上ではじいて落とさないようにするチキンレースを家族でずっとやってるんですよ。全部顔がついていて可愛い。
亀山さん:息子が楽しそうに作ってるから僕も本気でウミガメやヘビを作りました。
あとは、息子の描いた「ハンバーグと天ぷら」という漫画のキャラのハンバーグと天ぷらを、僕の母がぬいぐるみにしてくれて。息子の創作からコラボレーションが生まれて楽しいですね。
中川さん:とはいえ、やっぱり大人にもある程度、時間のゆとりがなければ「楽しむ」ことは難しいですよね。
たとえば夜に急に子どものスイッチが入って「今から作りたい!」と言われたとき、母親はとくに明日のことを考えて躊躇してしまいがちですが、大人もたまには子どもと一緒にハメをはずすことも大切だと思います。
子ども時代にしかない感性を親が楽しむ
――子どもが作った作品についてはどう反応していますか?保育園で作った作品を持ち帰ってくるのですが、たとえば5歳児の描く絵に対して「この年齢ならこれくらい描けていればうまいのか、下手なのか」が分からず、悩んでしまいます。
亀山さん:そこがいいんじゃないですか!
僕はむしろ子どもが描いた顔がちゃんと顔になっていなかったり、うまく喋れずに言い間違えをしたりするのも、ずっとそのままでもいいと思う。20歳くらいまで言わせたい。
だから僕は、子どもに対しては絶対直さないようにしています。「プレゼント」を「ブゼレント」って言ったり、「蚊が刺した」って言ってたら蚊のことを「蚊が」という名前だと思い込んでいたり(笑)。
でも、これも残念ながらいずれは「正しい」とされるものになっていくでしょ。
よく、「かおノートは何歳からできますか?」と聞かれますが、結局、かおノートも、年齢を重ねるとまともにしか作れなくなっちゃうんですよ。
だから0歳からでいいんです。0歳の顔の認識がない頃なんて神がかった作品ができるときもあるし。みんなまともになっていくからこそ、小さい頃のおもしろくて仕方ない感性を大切にしたい。
中川さん:要は親がその段階を楽しめるかですよね。
亀山さん:7、8歳くらいまでの子どもは、いろいろ試しながら、人間のかたちに向かって変化している状態で、すごく神秘的でおもしろい時期です。
だから大人はそこを楽しめるくらいじゃないと、空回りしちゃうと思うんです。
中川さん:危険なこととか、言わなきゃいけないこと以外はね。
亀山さん:だから、子どもの作品に対しても、いいと思った部分はいいと言って、まあまあだなと思ったらそのまま伝えた方がいいんだと思います。
――そのすごく神秘的でおもしろい時期の子どもから、おふたりの作品制作に着想を得た経験はありますか?
亀山さん:子どもからヒントを得て作った本はいくつかありますが、その中のひとつが『こわめっこしましょ』です。
娘と息子の3人でお風呂入っているときに、にらめっこをしたんですが、子どもはすぐ笑うけど、大人は同じ動作のくり返しでつまらなくなってくるんですよ。
それで「こわめっこにしよう」という話になり、電気を消して、水中で使えるライトを使ったらおもしろかったんですよね。
ほかにも『ぼうしとったら』は、子どもが落書きをしている横で僕も落書きをしていて「(ぼうしをとったら)ちょんまげ!」とやったら反応がよくて、子どもはこういうのがおもしろいんだなと思ったり。
ーーまさに亀山さん自身が子どもの感性を楽しんでいるからこその気づきですね。
tupera tuperaのアートは「人とつながり、人を楽しむ」
――アートや創作活動は「特別ななにかを作ること」という思い込みが私たちの中にありましたが、ここまでお話を聞いて、日常の中で子どもならではの感性や創造性をいっしょに楽しむだけで、見える世界が変わりそうですね。
亀山さん:ワークショップでも僕らは教えることではなく、引き出すことを大事にしているんですよ。個性を引き出して、できあがったものを発表して、みんなで一緒に楽しむことを一番に考えています。
中川さん:たとえば、椅子を作る技術を持つ人からその作り方を教えてもらうことも、とてもワクワクする体験です。でも、作品を通して誰かが反応してくれたりとか、誰かの作品を見て「あの子はこんなものを作るんだ」って分かったりとか。自分で何かを作りあげることで、人と人とが交流しあえたり、つながれることがいいなと思うんです。
亀山さん:それから、僕らは絵本もたくさん出していますが、大人が子どもに読んだり、子どもが大人に読んだり、ひとりが複数に読んだりして、絵本は使うプロダクトだと僕らは思っています。
僕らの絵本に文字が少ないのは、単に文字を書くのが苦手だからという理由もありますが(笑)、起承転結のあるいわゆる物語と違い、文字が少ないシンプルな絵本は、「スッポーン」という一言も、読み手がどう読むかによって作品が変化するんですよね。まさにそこがシンプルな本の面白さで、読み手とのシンクロ率にかかってくると思うんですよね。
最近は絵本以外にもおもちゃの制作などもしていますが、僕ら自身、その都度関わる人たちとみんなでものづくりを楽しんでいる感じです。
中川さん:「アート」と一言で言っても、自分自身を癒すためのアートもあるし、世の中の役に立つためのアートもあって、アーティストの数だけ意味も目的も違うと思います。
その中で、やっぱり私たちは、作って誰かに見せることによって、なにかが生まれることがおもしろくて好きで、そこを大事にしています。
亀山さん:そもそも人はなぜ絵を描いたり音楽作ったり映画作ったり、クリエイティブな活動をするのか?
当然、作る行為がおもしろいからだとは思いますが、やはり、根源的には人に共感してもらったり、好きでも嫌いでも、なんらかの反応があることが嬉しいからなんです。
僕らが「大人がまず楽しむ」と先ほどお話したことも、こことつながっています。
僕のルーツのひとつに、子どものころのお祭りの屋台のちょっと悪いおじさんがいます。はずれしか出ないくじや、絶対倒れない射的とか、馬鹿馬鹿しくもクリエイティブなことを本気でやっていたじゃないですか。
すべては驚かせたり笑わせたり、子どもたちに記憶として喜怒哀楽の感覚を残したいからやっているんです。
だから僕たちも、さまざまなかたちで作った作品に好きとか嫌いとか言われるのがすごく嬉しいし、その人たちとつながりたいと思うし、そういうふうに「“人”を楽しむ」ことをアートを通して続けていきたいと思っています。
<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部