百貨店から追い出され「お徳用」を量産…「クッキーといえば泉屋」の知られざる栄光と転落

百貨店から追い出され「お徳用」を量産…「クッキーといえば泉屋」の知られざる栄光と転落

14種類のクッキーが詰まった紺白の缶箱。「東京土産」の代名詞にもなったクッキーの老舗「泉屋東京店」は今、女性社長が率いている。4代目である泉由紀子さんは「父である先代の社長は、なかなかのワンマン。職場での意見の相違が、すぐ“親子ゲンカ”になってしまった」という――。

【後編】とことん落ちて失うものはない…「本社を麹町の一等地から川崎へ」泉屋・先代社長にはできなかった決断を娘が

曾祖母の手づくりクッキーで創業する

「社長職の引き継ぎは突然でした」

泉屋東京店社長の泉由紀子さんは、そう言って7年前の事業承継を振り返った。

2018(平成30)年、先代社長・泉邦夫氏の急逝によって、あれよあれよという間に4代目の社長となった由紀子さん。父である邦夫氏はじつに30年間にわたり、「クッキーの泉屋」を率いていたという。

もともと泉屋の創業者は、由紀子さんの曾祖母にあたる泉園子氏。幼少の頃より京都で育った園子氏は結婚し、和歌山に移住。そこで宣教師夫人からクッキーづくりを学び、京都に移り住んでから自分でもクッキーをつくり始めた。

当時は、戦時中で美味しい食べ物もない。だが、たまたま夫の伊助氏が貿易商をしていたため、小麦や砂糖、バターが手に入りやすい環境だった。まだまだ日本ではオーブンなど珍しい時代に、夫に怒られることを覚悟しながら内緒でオーブンを発注。夫が知らないままオーブンが日本へ届くと、夫は怒るどころか園子氏の行動力や意欲を褒め、クッキーづくりに協力していった。ほどなく手づくりのクッキーを「母の味」として子どもたちに食べさせながら、近所にも配るようになったという。そのうち「買うからもっとつくってほしい」という人が現れ、泉屋の看板を掲げるまでになる。

泉家の手で受け継がれた「クッキーは泉屋」

初代社長は、園子夫婦の間に生まれた子ども9人のうち、次男の英男氏。由紀子さんの祖父にあたる。英男氏は千代田区麹町に泉屋東京店を設立、そこから菓子製造業として泉屋を広く展開しつつも50代で他界、妻の薫子氏が2代目社長となる。

薫子夫婦の子どもは一人だけ。由紀子さんの母親の知子氏だ。知子氏が23歳になった時に、泉家は跡継ぎに由紀子さんの父である邦夫氏を娘婿として迎えた。そして邦夫氏が3代目社長として会社を率いたが、7年前の急逝により由紀子さんが跡を継ぎ、今日に至る。

「クッキーと言えば泉屋」はまさにこうして、泉家の手により焼き継がれてきたのである。

泉由紀子さんが入社したのは、20代前半だった。「他の会社で働くぐらいなら、うちに来い」と言う社長である父に従い、最初は秘書室に入った。

「自然のなりゆきでした。泉屋はオーナー企業で、創業当時からずっと従業員さんとは家族同様に接していたので、私が入社した時も『長女が来たぞ』というかしこまった雰囲気はありませんでした」

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「泉屋東京店」伝統の紺白缶を持つ4代目社長・泉由紀子さん。左手の缶は1950年代のもの
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2025.03.13

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