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好きなことから「今ない仕事」を作り出そう!
KIDSNA編集部が選ぶ、子育てや教育に関する話題の最新書籍。今ある職業の大半がAIやロボットに代替されるといわれて10年近くがたちました。実際、なくなりつつある仕事がある一方で、新たな仕事も数多く生まれてきています。今回は、『今ない仕事図鑑100』『今ない仕事図鑑ハイパー』(講談社)から、今ない仕事を生み出した日人たちへのインタビューを一部抜粋・再構成してお届けします。
今ない仕事を始めた人➀宇宙飛行士・宇宙政策委員会委員・山崎直子さん
『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』など、宇宙を描いたSFアニメが好きで、小学校の高学年になるとプラネタリウムにもよく行っていました。
未来の世界では宇宙にコロニーができて人が住むのかな、と漠然と思い描いたりもしていました。
そのころはまだ日本人の宇宙飛行士は誰もいない時代です。宇宙での仕事は、当時の「今ない仕事」。自分が宇宙に出て仕事をすることになるなんて、想像もしていませんでした。
中学三年のときにたまたまテレビでスペースシャトル「チャレンジャー号」の事故の報道を見たことが、進路決定のきっかけになりました。
事故がとてもショックで、それまではアニメやSFの世界の話だった宇宙が、現実にあるということが伝わってきたんですね。
「本当に宇宙開発というものが行われていて、さまざまな形で働いている人がたくさんいるんだ」と驚きましたし、子どものころ、星や宇宙に興味があったことも思い出したんです。
働きながら、約一年間の選考期間中にさまざまな試験を受けて、合格することができました。最初は小さな好奇心で始まったものを、無理なくつなげて夢をかなえたという感じです。
宇宙飛行士という職業の特性も、マイペースな自分に合っていたと思います。宇宙飛行士に応募するには、まず三年間ほかで働いて実務経験をつまなくてはなりません。
そのため年齢の幅が広く、「早くならなくては」というプレッシャーはあまりなかったのです。
未来では、今よりも地球の課題解決の可能性が広がると思います。現代には課題が多くて不安もあると思いますが、同時に技術も発達しています。
宇宙開発における極限状態に挑戦する過程では、さまざまな技術が生まれ、地上でも役立つものに転用されてきました。サングラス、フライパンのコーティング技術や人工心臓など。
宇宙開発のアイデアと地球の課題解決はどんどん結びついていくと思います。たとえば発電所や工場など、地球環境に負荷をかけている施設を宇宙に移設できれば、地球環境保護につながります。
宇宙に「今ない仕事」をもっとたくさん作って産業のすそ野を広げ、さらに多くの人が宇宙に行けることを目標に活動していきたいです。
宇宙開発も、未来の仕事も、自分ひとりではできないし、ひとりで全部やる必要はないんです。自分の得意な分野でチームに貢献することがたいせつです。苦手なことはどんどんほかの人に助けてもらっていいんです。
今ない仕事を始めた人➁独立研究者・山口周さん
高校では学校をサボって、映画館、図書館、博物館通いをしていました。
関心のあるテーマを独学することがあまりにも楽しくて、授業に出たくなかったんです。空いた時間はすべて読書や音楽で埋めていました。
本の世界にどっぷり入りこんで、読み終わりが近づくといつも悲しい気持ちになりました。(中略)本を読んで得られる、ああいう感覚は、今の子どもたちにもぜひ味わってもらいたいなと思います。
独立研究者とは、大学や研究所所属ではなく、企業や研究機関と直接契約を結んで研究に参画する研究者です。
2020年の5月に会社を辞めて以来、勤め人としてどこにも勤めずに、研究を行ったり本を書いたり、講演などで自分の考えをお話ししたりすることを仕事としています。
昔は今の仕事をしている自分なんて、想像もしていませんでしたよ。
オフィスの中で行われてきた仕事の多くは、テクノロジーの発達によって、どこにも誰とでも働けるという状態になっています。
毎日通勤しなくてもよくなれば、どこに住むのが人生にとって豊かなことなのか考えなくてはいけなくなるでしょう。
恐らく考えてもわからないので、いろいろ試してみることが大事です。
自分の能力がどんな仕事や役割で生きてくるかを、事前に判断するのは難しいですよね。だからあまりかたくなにならずに、いろいろやってみることをおすすめします。
現代は、「副業」という形でいくつもの仕事にトライできます。
何でも10年くらいやつてみれば、「これなら、自分は上手にできるようだ」というのがわかってきます。
今ない仕事を始めた人➂BionicM株式会社代表取締役・情報理工学博士 孫小軍さん
バスケットボールが大好きでよくやっていたのですが、ある日足をねんざしました。よくあることだと思っていたら、そのまま歩けなくなってしまった。
病院で「骨肉腫」と診断されました。骨のがんで、当時の中国の医療では脚を切断しないと2、3年で死んでしまう病気にかかってしまったのです。それで9歳のときに右足の切断手術を受けました。
両親から、「脚を失ったおまえは、将来農業をして生活していくことはできない。地元を出て職業に就くために、今から勉強をしなさい」と言われました。
まじめにやってみると、勉強はおもしろいものだと気づきました。学力はみるみる上がり、半年で成績上位になりました。(中略)初めて、「自分でもやればできるんだ」と自信もつきました。
2009年、大学3年生のとき、東北大学との交換留学制度があることを知りました。(中略)まず一度、日本を見に行きたいと思い応募して選ばれました。
大学を卒業した後は、東京大学大学院の修士課程の試験に合格して入学しました。(中略)大学院に入って初めて日本で障がい者手帳をもらい、義肢製作所に行ったんです。
それが、9歳で脚を失ってから15年を経て、初めての義足との出会いでした。松葉杖を持たなくてよくなったので、雨の日に自分で傘をさすことができるし、食堂でトレイを持つことができる。そんなことのひとつひとつが、感激でした。
けれども、義足を使っていると、だんだんと不満も出てきました。社会人になって出勤や移動の機会が多くなり、義足ユーザーとしての不便や課題もますます感じるようになり、義足を作る研究をするために退職。東大大学院の博士課程にもどりました。
大学院を修了したら、海外の義足メーカーに勤めようかとも考えましたが、インターンシップを断られ、追い詰められた私は「こうなったら自分で作るしかない」と自分の会社BionicMを設立。
私は追いつめられると、よりはっきり「別の選択肢」に進むことに専念します。
起業自体には大学のときから興味があって、いつか起業して何か作りたいという思いはありました。ただ、起業して何を作るのか、何をすればいいのかということが全然分からない状態でした。
起業してみて、自分がやりたいことができるようなって、すごく幸せです。
自分がやりたいことを見つけることは非常に大事です。もし、まだ見つかっていなくても、今自分ができることに一生懸命専念していけば、それはきっと今後の役に立つはずです。
今後テクノロジーは発展していろんな機械や便利なものはできていきますが、何が求められているかを考えて実現していくことは人間にしかできないことだと思います。
自分にとって「仕事」とはやらされているものではなく一生かけてでも「やりたいこと」。今やりたいことが見つかっていないなら、何にでもチャレンジして、試してみるといいと思うんです。
自分の「今ない仕事」を生み出すには
『大人は知らない 今ない仕事図鑑100』では、SDGs目標や社会課題を踏まえて、世の中にどんな変化が起こっているかを調べて今後の社会で「今ない仕事」が必要となってくる10の「仕事ジャンル」を設定しました。
ジャンルに入らないニーズ(必要)もあるだろうし、2つ、3つのジャンルを組み合わせたところで、生まれる仕事もあるはずです。
今、社会で必要とされることとテクノロジー、やりたいこと(問題だと思おもうこと)をかけ合あわせたら、あなたの「今ない仕事」が生まれます。
AIにできないとされていることは、社会で何が問題なのかを発見することや、これが好きだ、やりきろうという情熱、意志になります。
どんな社会に身を置くことになるかを想像しながら、「自分はどんな仕事をしようか?」と考えるヒントにしてみてはいかがでしょう。
大人は知らない 今ない仕事図鑑100/上村 彰子(講談社)
SDGsでわかる 今ない仕事図鑑ハイパー 自分の才能発見ブック/上村 彰子(講談社)