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【エストニアの子育て】市民IDで実現する子育てしやすい社会
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さまざまな歴史や風土をもつ世界の国々では、子どもはどんなふうに育つのでしょうか。この連載では、各国の教育や子育てで大切にされている価値観を、現地から紹介。今回は、エストニアで子育てしながら、視察サポート業務やライターとして働く大津陽子さんに話を聞きました。
ICT(Information and Communication Technology)の力で、電子政府化を実現したエストニア。
子ども、保護者、先生の三者がコミュニケーションをとれるプラットフォーム『eKool』や、アプリを使った授業や宿題など、学校現場でもICTはインフラとして子どもたちの日常に溶け込んでいます。
ICT環境に魅せられてエストニアに移住し、現地で出産・子育てをしている大津陽子さんは、学校で使われるICTツールの他にも、子どもにまつわるさまざまなサービスにICTが活用されていると語ります。
「電子国家エストニアでは、99%の行政サービスがオンラインで完結します。出産、子育てにまつわるさまざまなサービスも、もちろんオンライン上で手続き可能。
生まれた直後に市民IDが付与され、それがインターネット上における”エストニアでの名前”になります」
「市民ID」があれば産後のベッドで手続きが完了
エストニアが市民ID導入のプロジェクトをスタートさせたのは、旧ソ連から独立回復した6年後の1997年。2002年から市民IDカードの発行が開始され、2007年には世界初の電子投票が行われました。
「2018年にエストニアで娘を出産したとき、産後のベッドの上で出産関連すべての手続きができることにとても驚きました。
エストニアでは、出産後すぐに市民IDが発行されるんです。子どものベッドに市民IDがついているので、それをもとにスマホから出生届を提出できますし、名前を登録することもできます。手続きが完了すると、私と夫の市民ポータルページに子どもの名前が表示されるようになります。
市民ID番号による個人認証は、病院の個人ポータルサイトへのログインにも使用できます。妊婦健診の検査データなどはPC、スマホからいつでも確認でき、検査結果を聞くためだけに病院に通うことなく、通院回数は少なく済みます。
病院と各行政が、個人のデータを共有するプラットフォームがあるため、役所に出向き、もらった書類を病院に提出する、といったこともありません。
さらに、出産にまつわる検査結果の確認や、さまざまな費用の支払いもすべて市民IDによる認証で対応可能です。エストニアの場合、助産院はなく、公立の総合病院で産むことがほとんど。出産費用は国民医療保険でカバーされている場合に出産が無料になるのですが、妊婦は申請すれば全員医療保険で必ず保証されるような仕組みになっています。
産後すぐに行う保育園入園申請も、もちろんオンライン。現状何人待ちなのか、などの情報もリアルタイムで確認できます。
エストニアで紙ベースの手続きが必要なのは「結婚、離婚、不動産の取引」のみ。私たちは外国人夫婦なので、日本大使館とフランス大使館に紙の書類を提出する必要があり、一度だけ役所に行きましたが、首都のタリンでさえ、役所で働いていたのはワンフロアに、わずか3、4人だったと記憶しています。
教育、医療、交通、税金などあらゆるデータを安全に共有するシステム『X-road』によって、エストニアは年間1407年分の労働を節約できているというデータもあります」
X-roadは、複数存在し分散したデータベース同士を安全に連携させるプラットフォーム。データの安全性にも細心の注意が払われています。
日本でもマイナンバーによる行政の効率化や、国民の利便性の向上を計っていますが、総務省の「マイナンバーカード交付状況(令和2年7月1日現在)」によると、普及率はおよそ二割。日本でマイナンバーの普及が進まないのは、インセンティブを感じる機会が少ないことがあると大津さんはいいます。
「エストニアの電子化がこれほどまでに浸透しているのは、ICTの利便性を国民、市民が日々実感していることが大きいと感じます。
一度登録した情報は二度と聞かれることはなく、市民IDがあれば、どこにいっても住所や氏名などの記入が必要ないのは便利だと思いませんか。
エストニアの人々にとって、もはや電子政府やオンラインでの手続きは当たり前。書面でのやり取りや、印鑑文化が根強い日本から来た私がその煩雑さを説明してもわかってもらえず、『逆にオンライン以外どうやるの?』と言われるほどです」
働きやすい環境が「夫婦単位の子育て」を実現する
電子化により、子育てが格段にやりやすいといわれるエストニアは、子育てに関してどんな価値観を持っているのでしょうか。
「育児において、日本だと『ママ』が主語になることが多いと思いますが、エストニアの場合は『ペアレンツ』が主語。何事も夫婦単位で考えます。
ですから、夫婦やカップルでいっしょに妊婦検診に行きますし、断らない限りは立ち合い出産が基本。産後の入院中も、数千円の個室料金を支払えば、夫もいっしょに泊まることができます。
もちろん困ったときには助産師さんを呼びますが、生まれた直後から男性も育児に関わりますし、奥さん不在でベビーカーを押す男性の姿もよく目にします。というのも、エストニアは育休中の保証が厚く、給与同額が国から保証されているため、育休を取得する男性が多くいます」
一方で、エストニアでは産休や育休を取った後は、同じポジションに戻っての現職復帰が法律で定められているものの、そのブランクが昇進に影響し、女性の給与が上がりにくくなっていることが問題視されています。
「医師や公共交通の運転士など、日本だと男性が就くことの多い専門職でも、エストニアでは女性比率が高いんです。専門職に就く女性が多く、労働時間も変わらないにも関わらず、男女の賃金格差が大きいことが課題です。
どの国にも共通していることですが、なぜか男性の方が理工系に強く、IT関連の仕事に就く割合が高い。電子国家であるエストニアで最も給与が高いのはIT関連職なので、賃金格差はここに影響を受けていることも大きいです。
女性が進出しやすい社会を作るためには、ベビーシッターやメイドなどの外部サービスが充実しているか、両親が子どもに関わりやすい環境を整えるかのいずれか。エストニアの場合は後者を選び、育児と両立しやすいワークスタイルを確立していきました。
仕事はだいたい17時くらいに終わりますし、フレックス制やリモートを導入している企業も多く、そういった意味では時間的な制約は男女関係ないですし、融通もききやすい。コワーキングスペースは開放的で、子どものみならずペットを連れてくる人もいます。
レストランでウェイターが自分の子どもを連れてきていても誰も気にしませんし、有料ですが、ショッピングモールにはキッズスペースが完備されています。ジムのキッズスペースは、会員は無料で利用でき、子どもを預けて運動を楽しむことが可能です。
どこに行っても子連れで過ごしやすいので、エストニアにはベビーシッターやメイド文化はありません。そもそもエストニアは移民の数を制限しているのもあって、メイド業に従事する外国人労働者もとても少ないんです」
ニュートラルな価値観で子どもと関わる
「隣国のフィンランドと文化的には似ているものの、エストニア人は半数以上が無宗教。以前は他の欧州と同じように、ルター派キリスト教をはじめとした様々な信仰がありましたが、ソ連時代を契機に宗教の力が沈静化。国勢調査で国民の大半が「無宗教」と回答しています。
国民の半数以上が無宗教のエストニアは、ニュートラルな価値観を持つ人が多く、とても現実的で論理的、プラグマティック(実利的)な考え方をします。
それもあるのか、エストニアの保護者たちは、子どもに対して割とあっさりとした接し方をしている印象があります。
保護者も子どもにべったりすることはなく、親元から離れて集団生活に馴染んでほしいと思っています。エストニアの保育園は、2.5食付き。子どもたちは、朝ごはんを保育園で食べ、昼食をとり、夕方になると0.5食目である軽食を食べてから帰宅します。
同年齢の子どもたちといっしょに過ごす時間が長い分、子ども同士の関係性を築くのが早く、親離れも早いですね。週に5日、2.5食を共にしているので、自然と生活の中心が子ども同士のコミュニティに移行し、居心地の良さを感じているようです。
保護者たちは、子どもを起こしたら、そのまま保育園に連れて行き、家に帰ってから夜ごはんを軽く食べさせればいいだけ。楽器やダンスなどの習い事なども、保育園のホビースクールで学ぶことができます。費用は、週一回のスポーツクラスで、月3000円前後です。
ICTで有名な国なので、家でもコンピューターなどの遊びをしていると思われていますが、エストニアの人々にとって自然はとても身近なもの。休日は自然のなかで過ごすことも大切にしています。森の中にセカンドハウスを建てる人もいますし、キノコやベリーを採るなどのアクティビティが一般的。
エストニアでは、国が外遊びを奨励しているので、公園は遊具が充実しているんですよ。子どもが飛び出さないように大きな柵で囲われていたり、遊具の下にはネットなどの柔らかい素材が敷かれていたり。安全な遊び場で、子どもたちが思い切り体を動かせる工夫が施されています。
寒い時期が長く、マイナス20℃を記録することもありますが、それでも子どもたちはスキーウェアのような厚手の防寒具を着て屋外の遊びを楽しみます。生活の一部にICTがあることと同じように、自然も生活の一部。どちらもエストニア人にとって欠かせないものになっています」
<取材・執筆>KIDSNA編集部